ワールド&インテリジェンス

ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

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KGBの対日工作④

侵食された外務省

 レフチェンコ氏は後に、複数のKGBアクティブ・メジャーズのエージェントを名指しした。うち最も重要なのは、サンケイ新聞の編集局次長だった山根卓二氏(コードネームはKANT)だった。彼は、A部門の偽造に基づき、偽の周恩来遺書をスクープし、日中関係に打撃を与えようとした。KGB本部は、保守系紙で発表されたほうが効果が高いだろうと計算したのである。
(※同記事はサンケイ新聞の昭和51年1月23日朝刊に掲載された)
 この偽遺書については、北京ですら騙され、死にもの狂いで出所を発見しようとした。だが、やがて日本の情報機関関係者が偽造と特定した。
 79年秋時点で、KGB東京支部のPR系統は合計31人のエージェントおよび24人の秘密の接触者を持っていた。
 もっとも、その頃のKGB東京支部は、積極工作よりも諜報に大きな成功を収めていた。とくに、KGB東京支部が最も成功した標的はおそらく外務省だった。
 少なくとも60年代後半からレフチェンコ亡命のあった79年まで(おそらくその後も)、2人の日本外交官(「RENGO」と「EMMA」というコードネーム)は、東京と彼らの外国の勤務先で大量の機密扱いの資料を提供した。KGBの彼らのファイルには、両者とも『貴重なエージェント』と書かれている。
 EMMAには、彼女がエージェントになったまもなく、運営者によってハンドバッグが与えられた。そのバッグには、外交文書の写真を複写するためのミノックスカメラが仕込まれていた。
 RENGOはまた、自ら新たなエージェントのスカウトとしても働いた。
「OVOD」というコードネームの日本の外交官は、合計6年間のモスクワ勤務の間に2回、ハニートラップに引っかかり、それをネタにエージェントに仕立て上げられた。
 彼へのハニートラップのうち2回目のほうは、MARIANAというコードネームのKGBエージェントによって実行された。彼女は、OVODのロシア語教師として雇用されたが、まもなく男女関係となり、その性交渉時の写真が撮影された。OVODはいやいやながらも、KGBに協力することを承認した。
 KGBが最も成功した日本外交官へのハニートラップは、70年代前半にモスクワに駐在していた電信官「MISHA」を、LANDYSHというコードネームのKGB工作員が誘惑したケースだった。
 MISHAはおそらく、70年代後期に「NAZAR」というコードネームでKGBに運営されていた東京の外務省本省に勤務する電信官と同一人物である。このNAZARの情報は、最初の運営者だったバレリ・イワノビッチ・ウマンスキーと後任のヴァレンチン・ニコライエビッチ・ベロフが、他のすべての任務から離れてNAZAR運営に専念することになったことからわかるように、KGB東京支部でも最重要であると考えられた。
 NAZARによって供給される外交公電(それは東京とその駐ワシントン日本大使館の間の交信を含む)は、しばしばKGB東京支部がKGB本部に報告する前にすべて翻訳することが難しかったほど膨大だった。
 ミトロヒン氏はその他に、70年代にKGBにリクルートされていた日本人外交官として「MARCEL」というコードネームのエージェントも確認している。MARCELの協力で、「KONUS」というコードネームの自衛隊の駐ソ連の防衛駐在官もリクルートされたとのことだ。

KGBの科学技術情報スパイ

 70年代のKGB東京支部のその他の最も明らかな成功例は、KGB本部の第1総局T局の指揮下にある「X系統」による科学技術情報の収集だった。
 たとえば、71年6月に、東京地域のハイテク会社の社長で、「TONDA」というコードネームの日本人エージェントは、米国の空軍とミサイル部隊のための新しいマイクロ・エレクトロニクスのコンピュータ・システムに関する重要な機密資料をKGB東京支部に提供した。
 進行中の情報を提供したエージェントで最も高く評価されるものの一人が、半導体製造会社オーナーの「TANI」で、彼は日米の半導体の機密情報やサンプルを提供した。
 TANIは、KGBの担当者に対し、自分はKGBのために働いているというより、単にビジネスとして産業スパイで稼いでいると語っていた。ほとんどとまではいかないが、いくつかのX系統のエージェントは、おそらく同じような冷めた見方をしていた。
 その他に、最新技術の半導体に関する機密情報を提供したエージェントに「LEDAL」がいた。彼は日本の大学の半導体研究の責任者だった。KGBファイルのミトロヒン氏のメモによると、70年代に日本のハイテク産業と研究所の幹部職にある日本人エージェントは合計16人だったという。
 X系統のその他のエージェントには、通信技術研究者の「ARAM」、通信技術者の「ARGUS」、東京大学の科学者である「BRAT」、宇宙研究者の「EYR」、微生物学者の「KANDI」、物理学者の「KARI」、宇宙学者の「KISI」、日立社員の「RIONI」、三菱社員の「SAK」、技術専門家の「SOT」、赤外線分光学者の「TAIR」、電子技術者の「TONI」、核科学者の「UTI」などである。
 警視庁の監視チームと彼らの本部の間で交わされる通信をモニターするためにKGB東京支部が使っていた器材さえ、日本から盗んだテクノロジーに基づいていた。
 日本はKGBが最新技術を盗む対象国としては5番手の国だった。たとえば80年時点でいえば、最新技術の61・6%はアメリカからのもので、次いで10・5%が西ドイツ、8%がフランスから、7・5%がイギリス、そして3%が日本からということだった。
 日本が比較的低かったのは、日本は第1総局T局が主標的とする大きな防衛産業を持っていなかったからである。もっとも、KGBによるハイテク情報入手のわずか3%とはいえ、それでソ連では80年代に100の研究開発プロジェクトに使用された。
 70年代後期、KGB東京支部長だったオレグ・アレクサドロビッチ・グリヤノフは、部下に対し、「これらのX系統の活動で得る資金だけで、KGB東京支部全体の活動経費より大きい」と語っている。
 実際、KGBの世界的なハイテク技術のスパイによって得る利益は、全世界でのKGB海外部門の活動経費をすべてカバーした。それをみたT局長のレオニード・セルゲイエビッチ・ザイツェフは、T局を第1総局から独立したセクションに格上げするように画策して失敗した。

レフチェンコ亡命のダメージ

 79年秋のレフチェンコKGB少佐の亡命は、KGB東京支部の活動、なかでもPR系統に大きなダメージを与えた。この事件で、KGB本部はすかさず損害制限措置に着手した。東京支部とエージェントとの一連の接触は中止された。
 なかでもPR系統のネットワークはすべて作り替えることになった。とくに、「DENIS」と「山本」との接触はすかさず凍結された。この2人はレフチェンコ氏が直接運営しっていたエージェントだったからだ。
 レフチェンコ亡命によって正体が露呈する恐れがあったエージェントのうち、最も重要なものはNAZARだった。彼とその他のエージェントについて、東京支部ではその後の数年、それが露呈するかどうか神経質に見守った。
 ところで、KGB本部では、80年代初期の頃にアメリカのレーガン政権が核の先制攻撃計画を作っているとの認識で、その情報を探ることを各支部に命じた。そのため、KGB東京支部の主な優先順位にも、西側諸国のKGB支部が「RYAN作戦」と題して行なっていたこの存在しない計画に関して情報を集めることが挙げられた。
 一方、70年代にはKGBによって日本での積極工作の対象とみられていた日本社会党も、その頃に極東でのソ連軍増強に驚くようになっていた。83年、日本社会党執行部は、ソ連がアジアに配備しているSS-20ミサイルが日本やアジア地域に脅威を与えているとして、公式にソ連共産党に申し入れた。
 KGB工作員の侵入のための「主な目標」のうちの1つとして、アメリカ、その他のNATO同盟国、中国に加えて、日本も加えられた。各支部は、アメリカ、西欧諸国、日本の間で亀裂が生じるように積極工作的に乗り出すように指示された。
 レフチェンコ亡命の結果としてPR系統が大打撃を受けたが、X系統はほとんど影響を受けず、87年春までその活動を拡大した。
 その年の5月に、潜水艦のスクリュー音軽減に役立つ東芝子会社の機密情報漏洩が発覚。ほとんど同時に、ソ連情報部のための日本のスパイ網が、ソ連情報部にAWACS技術に関する秘密文書を提供したことが露呈した。
 日本政府は、KGB要員を国外に追い出すことによって応えたが、それを受けてモスクワでも、海自防衛駐在官と三菱駐在員が国外追放された。
(以上、『ミトロヒン文書Ⅱ』日本の項の抄訳)
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  1. 2007/06/30(土) 09:43:59|
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  1. 2007/07/21(土) 15:08:54 |
  2. カメラ・写真への思い

プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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