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ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

KGBの対日工作とフェン・フォーキング①

アクセス解析をみていたら、5月31日より「フェン・フォーキング」をキーワードに検索したヒットが極端に急増していた。どうやら、松岡大臣自殺→盟友・鈴木宗男→「宗男=フェン・フォーキング」説、という連想のようだ。
 フェン・フォーキングとは、かつてレフチェンコが暴露したという日本人エージェントのリストに載っていたコードネームで、「謎の自民党員」のことである。かねてより宗男=フェン・フォーキング説というのはマスコミ記者のあいだでは有名な話だったが、一昨年イギリスで公表された旧KGB文書の分析書『ミトロヒン文書Ⅱ』によって、「どうもガセらしい」ということになった。
 けれども、おそらく宗男=フェン・フォーキング説はなかなか面白い話なので、ネット世論を中心にどうやらかなり出回っているようだ。
 弊誌では、昨年12月発売の第4号でミトロヒン文書とレフチェンコ・メモ(弊誌では公安筋より現物入手)について長文の解説記事を掲載し、さらにその一部を当ブログで紹介したが、せっかく多くの人にアクセスしていただいているので、今回より数回に分けて、弊誌掲載の元原稿をそのままここでアップしてみたい。
 このくらい具体的な内容が弊誌では毎号読めますので(たぶん)、今後も御購入をお願いいたします!

KGBの対日工作とフェン・フォーキング①


「ミトロヒン文書」と「レフチェンコ・メモ」
KGBの日本人エージェントは誰だったのか?

KGBの元文書保管担当者がイギリスに持ち出した大量の資料――。かつてアメリカに亡命した元KGB東京支部工作員の証言――。この2つの情報源から、冷戦時代の対日工作が見えてくる。

持ち出された機密情報

 1992年4月、ワシリー・ミトロヒンという旧KGBの幹部が2000ページもの大量の機密文書の手書きの写しとともにイギリスに亡命した。ミトロヒン氏は22年生まれ。48~84年にKGB海外部門(第1総局)の将校として勤務していたが、なかでも72~84年には第1総局の書庫の機密文書を整理し、新書庫に移す作業を指導していた。その際に、多くの機密文書を書き写していたのである。
 この大量の資料は、イギリスのインテリジェンス学の権威であるクリストファー・アンドリュー・ケンブリッジ大学教授(現在はコーパス・クリスティ大学学長兼任)によって詳細に分析された。その後、99年にミトロヒン氏とアンドリュー教授の共著として『欧州と西側のKGB~ミトロヒン文書』が出版された。同書はミトロヒン文書のなかでも、対欧米工作がメインとなっていた。
 ミトロヒン氏自身は2004年に死去したが、その後、残りのアジア、中東、中南米、アフリカでのKGBの工作についてまとめた続編『ミトロキン文書Ⅱ』が2005年9月に出版された。
 ここではまず、同書内の「日本」の項を以下に抄訳する。

『ミトロヒン文書Ⅱ』第16項 JAPAN

 KGB東京支部は冷戦時代を通じ、日本の対ソ外交政策をソ連に有利なように仕向けるため、積極的なウラ誘導工作=アクティブ・メジャーズ(積極工作)に力を入れた。とくに、日本とアメリカの間にくさびを打ち込むことが優先された。
 なかでも、60年安保闘争の際にいくつかの工作が行なわれた。そのひとつは、予定されたアイゼンハワー米大統領の訪日時にいくつかの破壊活動が行なわれるかもしれないという不穏情報を流すことだった。
 また、KGB本部の対外部門である「第1総局」内の欺瞞情報・秘密工作セクションである「A部門」が偽の日米安保条約付属書作戦を企画し、KGB東京支部が実行した。これは、「日本国内の暴動を鎮圧するために米軍の出動を認めるなどの旧日米安保条約の協定が、極秘で継続されることを確認する秘密付属書がある」という偽情報を流すことだったが、これはいくらかは安保反対の学生運動を鼓舞することに成功した。
 KGB本部では、日本はNATO加盟国と同様の主要な工作対象国と認定した。60年代を通じて、KGB東京支部の「F系統」(特殊活動担当)が活発に活動した。
 F系統は、本部で非合法破壊活動を実行する「破壊活動情報グループ」(DRGs)に直結したセクションとして、日本国内での非合法破壊活動を担当した。毎年、4~6つ程度の対象に対する破壊工作の作戦が立てられたが、そこでは主に在日の米系施設が狙われた。たとえば、62年にF系統は、沖縄の米軍基地および全国4カ所の精油所に対する破壊工作を準備した。
 また、F系統は、DRGsのための日本国内の秘密拠点を作ることも指示された。70年には北海道の北西海岸に4カ所の秘密上陸地点を確保した。その上陸拠点は、KGBの資料では、正確な地図および詳細な地形説明とともにそれぞれコードネームを付けられてファイルされた。上陸拠点のことは「滑走路」(Dorozhka)、その他のDRGsの拠点は「蜂の巣」(Uley)と呼ばれた。
 KGB東京支部はまた、日米関係に打撃を与えることを目的とする平時の破壊工作に熱中した。さまざまな作戦が企画されたが、そのときに使われたF系統の隠語を例示すると、破壊活動を「ユリ」(Liliya)、爆薬装置を「花束」(Buket)、起爆装置を「小花」(Tsvetok)、爆発を「スプラッシュ(=跳ね散らす)」(Zaplyv)、破壊活動実行者を「庭師」(Sadovnik)と呼んだ。
 F系統が企画した破壊活動にひとつに、バルカン作戦がある。これは、65年10月のベトナム反戦デモと同時に東京のアメリカ文化センターの図書館を攻撃するという計画だった。ノモト(野本あるいは野元か)という工作員が閉館直前に図書館の本棚に、本型爆弾とタバコ箱内に隠した起爆装置を置く。タイマーは翌朝の早い時間にセットすることになっていた。KGBの犯行であることを隠すため、本部の「A部門」が、日本の極右グループにみせかけたビラを準備した。
 米国=日本関係で危機を引き起こすためにF系統によって考案された最も劇的な計画は、東京湾に放射性物質を撒き散らし、横須賀基地のアメリカ原子力潜水艦への非難を引き起こすという69年の計画だった。
KGB東京支部はその作戦を承認したが、ソ連製放射性物質を使った場合にそれが露呈する可能性があることと、かといってアメリカから適当な放射性物質を得ることが難しいということで、KGB本部で却下された。
 71年、F系統の将校オレグ・リャーリンがロンドンで亡命したため、KGBは非合法破壊活動全体を劇的に縮小させた。東京支部のF系統担当者たちも一斉に本国に召還された。ミトロヒン氏は、「KGB資料には70年までの日本での数々の非合法破壊活動計画がファイルされていたが、その後はまったくなかった」としている。

影響力のエージェント

 他方、アクティブ・メジャーズと政治・経済・軍事・戦略情報を担当する「PR系統」は、60年代前半に日本共産党の支持を失うという手痛い目にあった。中ソ関係が決裂した際に、日本共産党を中国にとられてしまったのである。日本共産党は、それまでのソ連KGBの「資産」からいっきに監視対象となった。
 KGBの日本での活動は、長年のKGBの協力者だった中国人の「ジミー」を63年に失ったことによって大きダメージを受けた。ジミーは中国情報機関の支援を得て、香港と東京に貿易会社を設置していて、KGBの非合法要員のために偽の香港の身分証を入手していたのである。ジミーの配下の非合法員だった中国系ソ連人「ワシリーエフ」は、東京で学生に扮していたが、日本人女性と結婚するためにソ連への帰国を拒んだ。
 こうして、中国との対立から日本共産党を失ったKGB東京支部にとって、62~67年にもっとも重要だったエージェントは「KOCHI」というコードネームの『東京新聞』の記者だった。この人物は、内閣と外務省から高い水準の内部情報を入手していた。KGBファイルによると、KOCHIがリクルートされたのは62年のこと。ただし、67年からその情報価値がKGB部内で否定されていて、74年に記者を辞めた1年後の75年にはエージェント登録を抹消されている。
 なお、日本共産党との関係が切れたKGB東京支部は、次に日本社会党左派にコネを構築し、「KOOPERATIVA」とコードネームを付けた。彼らは、いわゆる「影響力のエージェント」である。
(※編集部注/影響力のエージェントというのは、インテリジェンス専門用語で、要は「自分たちの都合がいいように相手国内で言動する影響力の強い人物」のこと。工作対象を出世させて影響力をつけさせるために資金援助するケースも多い)
 70年2月26日に、ソ連共産党政治局は、日本社会党とその機関紙に助成金を支給するために、合計10万ルーブル(当時、3571万円)の支出をKGBに承認した。類似した助成金は、毎年払われたようだ。
 たとえば、72年に支払われた10万ルーブルのうち、6万ルーブルは政治資金として各議員個人に渡された。1万ルーブルは日本社会党とソ連共産党の交流資金、2万ルーブルが日本とアメリカおよび中国との関係に打撃を与えるアクティブ・メジャーズ工作資金、1万ルーブルが日本社会党に公明党や民社党など他の野党と提携させないためのアクティブ・メジャーズ資金として使われた。
(以下、続く)
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  1. 2007/06/25(月) 09:44:48|
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プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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