ワールド&インテリジェンス

ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

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戦場で体験したこと

 先週、米軍パナマ侵攻事件のときのレポートをアップしたところ、地元の友人から好評だったので、調子に乗ってもう1本。ボスニア内戦従軍記の原稿です。

血まみれの帰還

 90年代はじめに東西冷戦が終結すると、世界各地で民族紛争の嵐が吹き荒れた。
 ユーゴスラビア連邦のボスニア・ヘルツェゴビナでも、多数派のイスラム教徒が支配民族・セルビア人に挑戦して独立を目論んだことから、92年4月に内戦が勃発。もうひとつの少数派であるクロアチア人がイスラム教徒側について、激しい殺裁戦に突入した。
 旧ユーゴスラビアの戦争の特徴は、大量の兵器が投入されて近代的総力戦となったことと、「民族浄化」と呼ばれる徹底した他民族排除の領土分捕り合戦となったこと。さらに、海外のマスコミを巻き込んだメディア宣伝戦争となったことだろう。
 筆者がボスニアに入国したのは、内戦勃発2ヵ月後の同年6月。首都サラエボでセルビア人部隊およびイスラム教徒部隊の従軍取材を行った後、中部戦線に“転戦”してクロアチア人部隊の前線拠点を訪れた。
 その時点ですでに30人を超える外国人記者が“殉職”していた内戦初期のボスニアで、筆者自身も迫撃砲弾の直撃を受け、死線をさまようこととなった――。

忍び寄る死

 なんだか疲れたなあ……。
 ぼんやりと考えていたのは、そんなことだった。
 力が入らない身体はずっしりとシートに沈んでいるし、おまけに頭のなかではぐるぐると世界がまわっている。恐怖はもちろんあるのだが、だからといってどうすることができよう。最期の瞬間、たいていの人間はきっとこんなふうに“諦める”のかもしれないな、などとふと思った。
 鼓膜を打ちつけるようなすさまじい轟音が、またとどろいた。近くに着弾したのは明らかだが、それがどのあたりかはわからない。
 ぐっと押しつけられるような重力を感じ、上体が横に傾いた。猛スピードでカーブに突人した車が、後輪をすべらせながら、ぎりぎりで崖っぷちを切り抜けたのだ。白い岩肌の山岳道路は、ようやく2台がすれ違えるほどの幅しかないが、迫りくる“敵”の狙い撃ちに遭っている状況では、安全運転など賛沢すぎるというものだろう。
 砲弾の直撃を食らって死ぬか、このまま崖から転落して死ぬか、あるいは……。いずれにせよもう後はただ運命に身を委ねるしかなかった。
 鬼のような形相をした兵士が運転するオンボロ・ワゴンの内部は、生臭い血のにおいが充満していた。それはなにも、後部席に折り重なるように積まれた負傷兵たちのものばかりではない。助手席に座る僕の足元も、おびただしい量の血液でまさに血だまりとなっていた。
 迫撃砲の破片で切り裂かれた僕の右腰からは、血がどくどくと流れつづけていた。痛みはもはや感じない。手足の感覚がまったく消え失せた身体には、ただ“重い”という感覚だけが残っていた。
 死ぬかもしれないな……。僕は漠然とそう思った。傷は致命傷というわけではないだろう。だが、こんなにも多くの血が流れたのだ。心臓がショックに耐えられるかどうか、自分でも自信がなかった。
 鼓動がやけに大きく感じられ、息が苦しくなってきた。意識もだんだんとかすんでくる。
「典型的な貧血の症状だな……」
 他人事のように、そんなことを考えた。いつかテレビでみたクイズ形式の情報番組を思い出した。さて、人問はどのくらい出血すると死んじゃうのでしょう? 2リットル? 5リットル? あるいは、体重の10分の1だったかな……。
 再び、どーんという爆発音が聞こえた。ドライバーの兵士がクロアチア語でなにかを叫んだ。窓の外に目をやると、なんだかやけに明るくて、僕は思わず目を閉じた。
 ぐるぐる、ぐるぐると目が回る。“安全圏”まではまだまだ遠いよなあ。少し眠ってしまおうか。でも、なんだかそれも怖いよなあ……。
 タイヤがまたずずっとすべり、エンジンの唸り声が一段と高くなった。僕は、深く暗いところへ落ちていく錯覚を覚えていた。自分のいる場所にも、置かれている状況にも、まったく現実感が感じられなかった。
 僕は再び目を開けて、ふと自問した。
 どうしておれは、こんなところにいるのだろう?

 その日の朝のことだった――。

「×××××!!」
 突然、誰かが大声で叫んだ。言葉はわからないが、緊迫した声の調子から「危ない!」というような意味だということはわかる。
 同時に、大気を切り裂く不吉な音が空から迫ってくる。迫撃砲の砲弾の飛来音だ。
 シューッ!
 この音を文字で表すのは難しい。ヘミングウェイは「タイヤから空気が漏れるような音」と表現しているが、ほぼそんな感じだ。ふいに耳に入ったその不吉な音は、ほんの1秒ほどのうちに急速に膨張する。
 これが聞こえたらもう逃れられない。近くのどこかに必ず着弾し、しばしば不運な誰かが死ぬ。それが自分なのか他人なのかは、偶然によって選別される。文字どおり運を天に任せたロシアン・ルーレットだ。
 反射的に身を伏せると、シューッという飛来音がヒュンという捻りに変わった。砲弾が頭上を通過していったのだ。
 少し遅れて、地響きのような轟音。300mほど離れたあたりに白煙が上がるのが見えた。
「ちっ、だんだん近くなって来やがったな」
 通訳をしてくれていた兵士が、そう言って舌打ちした。
 僕は身体を起こすと、再びカメラを構えて“最前線”の風景を撮影しはじめた。
 ボスニア中部戦線の激戦地「ポドベレッジ」のクロアチア人部隊野戦司令部では、兵士たちの誰もが血走った目をして駆けまわっている。その日は早朝から、怒涛のようなセルビア人部隊の猛爆撃を受けていたのだ。
 次々と絶え間なく負傷兵たちが運ばれこまれてきた。土挨が混じってドス黒くなった血に染まった彼らは、ある者は泣き叫び、ある者はうめき、ある者はぴくりとも動かなかった。
 死者と負傷者――。戦場写真には欠かせないアイテムを撮影しようとした僕を、ひとりの兵士が乱暴に突き飛ばした。激昂して激しく怒鳴っている。
「彼はなんて言ってるんだい?」
 僕は通訳の兵士に尋ねた。
「まあ、いいから気にするなよ」
 彼は、僕の肩をぼんと叩くと「行こう」とアゴをしゃくった。僕は彼にうながされて、さらに“前方”に歩いていった。
 死地に立つ兵士たちの多くは、死者や負傷者を探しまわっている僕を、あからさまな敵意のこもった目で睨みつける。当然なことだ。僕は屍肉をあさるハイエナなのである。戦場取材とはそういうものだ。
 それでも、こんなところまでわざわざやって来た以上、手ぶらで帰るわけにはいかない。僕は、目の前で繰りひろげられている現実の地獄図を、夢中になって撮りつづけた。
 そんなときだ。またシューッという砲弾の飛来音が襲ってきたのだ。
「あ、これは近い!」
 そう思った瞬間、すさまじい轟音とともに、腰をしたたか蹴飛ばされたように感じた。驚いて振り返った僕の目に、一斉に散開して岩かげに飛び込む兵士たちの姿がスローモーションのように映った。20m先で土煙がもくもくと大きくなっていった。
 無意識のうちに腰に手を当てると、なにやら固い感触があった。手にぐっとカを入れて引き抜くと、それはにぶい鉛色の鉄片だった。迫撃砲弾の破片だ、と気づくまでに少しの間があった。
 瞬間、目の前が真っ白になったが、そんな気の動転を、再び襲来した砲弾の飛来音が吹き飛ばした。“敵”は連続攻撃を加えてきたのだ。
「マズい! 逃げなければ!」
 気持ちだけはそう思ったのだが、とっさにどこに隠れていいのかわからない。うろうろしている間に、続けて第3弾、第4弾が飛来した。これは危ない! 確かにそう感じたはずなのだが、僕は無意識のうちに5cmほどのその破片を投げ捨て、カメラを構えて兵士たちの一団に近づいていた。
 シャッターを続けざまに切った。凄い瞬間だった。死を目の前にした人間たちが、岩かげにぴたりと身体を寄せ、運命に身を委ねている。どの表情も緊張に凍りつき、ただひたすら悪夢の時間が過ぎることだけを願っているようだった。まさに、極限状態の人間の姿そのものだ。
 すっげえや、これは……。
 僕はきっと興奮していたのだろう。無我夢中でファインダーだけに集中していた。
 フィルム交換のとき、ふと兵士たちが驚いた顔で僕を見ていることに気づいた。それまで僕とひと言も口をきいてくれなかった兵士のひとりが、たどたどしい英語で言った。
「ユー、マスト、ゴー、ツゥー、ホスピタル!」
 その視線の先を目で迫うと、自分のズボンが腰のところから真っ赤に染め上がっているのが見えた。先ほどの一撃で負傷していながら、動転してそれを忘れていたことに、僕はそのとき気づいた。
 兵士がまた口を開いた。
「ユー、クレイジー?」

 兵士たちに促され、前線司令部に併設されていた簡易野戦病院によたよたと歩いていった。つい30分ほど前まで、軍医に怒鳴られながらむりやり負傷者を撮影していた場所だ。
 ふらつきながら入っていった僕は、衛生兵によってすばやく手術台に乗せられた。血まみれのズボンを下着ごと下ろされ、冷たい消毒液で血が流される。止血処置を受けながら、僕は「こんな大勢の人の前ですっぼんぽんで恥ずかしいな」などということを考えていた。
 中年の軍医は、英語が堪能な人だった。手当てをしながら、いかに僕が無謀な愚か者であるかを説教しつづけた。
「こんなところまで来るなんて、お前は正気か? バカもほどほどにしろ。日本人がこんなところで死んで、いったいなんの意味がある。そんなこともわからんのか!?」
 言われなくともわかっていた。どうせ僕はバカなのだ。
「傷を縫わなくちゃならんが、ここではできないから、戦闘が一段落したらすぐに脱出して街へ戻れ。このバカ者めが!」
 野戦病院は半地下壕のような造りになっており、そこで僕は身を休めた。周囲には、半分死にかけたような血まみれの男たちが何人もうめいていた。
 セルビア人部隊による砲撃が、いっそう激しさを増してきた。野戦病院の周囲にも、それこそ雨のように砲弾が着弾した。衝撃波が内部にまで飛び込み、薬品のビンを吹き飛ばした。軍医や衛生兵たちも、負傷者が転がっているいちばん奥の部分に避難し、身を伏せて時間が過ぎるのを待った。
 轟音とともに建物が揺れる。バラバラと天井から粉塵が落ちる。いつしか話し声は消え、誰もがじっと伏せたまま、天井を眺めていた。直撃したらそれまでなのは、皆わかっていた。僕は思わず、傍らに転がっていた鉄カブトを被った。元々は誰かのものだったのだろうが、持ち主はおそらく不運な人生を送った男に違いなかった。
 そうしている間にも、砲撃の合間をぬって、新たな負傷兵が続々と運びこまれてきた。もはや僕のことを気にかける人間は、その場に誰もいなかった。僕はなにか手持ちぶさたになり、再びカメラをつかんで立ちあがった。傷口が少し痛んだが、歩けないことはなかった。
「おい、どこへ行くつもりだ、バカめ!」
 軍医の声を背中に聞いて、僕はゆっくり歩き出した。僕はとにかく無性に外の風景を見たかったのだ。

 外はまぶしいほど明るかった。初夏の風はさわやかで、着弾の地響きさえなければ、口笛でも吹きたいような美しい高原の風景だった。
 しかし、現実には、ここで多くの人間が自分の不運を呪っているはずだった。なぜか戦争が起こり、なぜか兵士になってしまい、なぜか死んでいかなきゃならない。
 それは運命としかいいようがない不条理そのものであったろう。彼らは、心の奥底では誰もが叫んでいたはずだ。おれはどうしてこんなところにいるんだ?
 ファインダーに映った兵士たちは、誰もが怒ったような表情をしていた。そうだ、彼らは怒っているのだ。だが、誰に対して、なにに対して怒っているのか、彼ら自身がきっとわかっていない。“敵”に対して? いや、違う。“運命”に対して? どうだろう。ビールでも呑みながら聞いてみたいが、もちろんそんな暇はなかった。
 瀕死の負傷兵を担いできた兵士は、カメラを向ける僕に激昂して殴りかかろうとした。なにものかへの怒りが、瞬間的に僕に対して爆発したようだった。しかし、その男は、僕の血まみれのズボンを見ると、その手を静かに下ろした。
「×××××!!」
 捨て台詞のように大声でなにかを叫んだが、その言葉の意味は僕にはわからなかった。
 轟音と爆風が飛び交うなか、僕はなにかに吸い寄せられるように歩き出した。
 前へ、もっと前へ!……そんな言葉だけが、脳裏にこだましていた。歩き回ったせいで再び傷口が開き、出血したが、まったく気にならなかった。僕は“戦場の空気”に呑まれていて、きっと狂っていたのだと思う。なんのために自分は前に行こうとしているのか、そんなことは一切考えなかった。
 砲弾の着弾音に混じって、タンタンという乾いた昔が聞こえてきた。自動小銃の掃射音だ。いよいよ“敵”が目前に迫ってきた証拠だった。
 それとともに、多くの兵士が最前線の塾壕から退却してきた。“味方”が総崩れ状態に陥ったのは明らかだった。退却してきた彼らはみな、泣きそうな表情を浮かべていた。戦う気力といったものがすでに消え失せているように見えた。
 転がるように岩肌を這ってきた彼らを、凄まじい形相をした上官が懸命に前方に押し返していた。退却を哀願する少年兵を、上官は容赦なく蹴りつけた。泣きそうな表情のまま、再び前方に引き返す兵士たち。とどのつまり、戦場には恐怖しかない。上官への恐怖、敵への恐怖、死への恐怖、だ。
 絶望の淵に引き返した兵士たちを、僕もよたよたと追いかけた。いつしかカメラを持つ手がしびれはじめている。足元も完全にふらついてきた。僕は何度も何度も転んだ。
 砲弾の飛来音が頭から降ってきたのがわかった。前をゆく兵士の目前に着弾し、轟音とともに炸裂した。爆風を全身で受けたが、僕は身を伏せることも忘れ、震える指でシャッターを切った。バラバラと粉塵が身体に降ってきた。
 あまりの恐怖に足ががくがくと震えたが、それよりも自分がフィルムに収めた確かな手応えに興奮した。今、まさに戦争の瞬間を捉えたのだ。火薬が炸裂する――無情な“破壊”こそが、戦争の本質だ。不条理への怒り、恐怖、流血、死、などは、きっと戦争の一副産物にすぎないのだ。
 僕は、その場にへたへたとしゃがみこんだ。爆風が何度も頭上を飛び交ったが、ずっしりと重くしか感じられない身体はもう動かなかった。
 遠くに誰かの声を聞いた気がした。ふいに両側から腕をつかまれ、僕は力を振り絞って立ち上がった。

 ボスニア中部戦線で僕が迷い込んだポドベレッジの防衛線は、瞬く間に撃ち破られ、部隊は壊滅状態となって敗走した。負傷者を運ぶワゴン車に放り込まれた僕は、その日の午後、前線から離れたモスタルという街の病院に搬送されて、傷の処置を受けた。
 結局、多くの兵士たちが還らなかった。通訳をしてくれた兵士も、口の悪い軍医も、僕を殴ろうとした兵士も、その後どうなったかは知らない。僕が知っているのは、僕がそのとき従軍していた部隊が「全滅した」という噂だけだった。

 戦場を離れると、それまでの日々が夢のように感じられた。あれほど身近だった“死”が、いつの間にやら遠い世界のものとなっていた。しかし、“死”が遠いものだなどとどうして言えるのだ?
 戦場では死はそこかしこに存在していた。誰にでもいつか訪れるものだ。生と死の境界などあやふやなものだ。生きることこそむしろ奇跡と言っていい。だが、戦場を離れた僕の目には、そんなあたりまえのことが、突然まったく見えなくなった。
 ボスニアの内戦はその後も長く続き、95年末にようやく終結した。その間、市民も含め20万人を超える人々が犠牲となった。
 僕にはただ、5cmほどの腰の傷跡と、鮮烈な光景の記憶が残っただけだ。
(了)

▽写真館⑥サラエボ攻防戦

▽写真館⑦ボスニア戦線
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  1. 2011/12/17(土) 13:44:43|
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プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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