ワールド&インテリジェンス

ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

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ネットは独裁を倒すのか?

 現在進行中の中東の民主化運動には、インターネット・ツールが一定の役割を果たしているわけですが、それが「ネット導入・情報化」→「情報公開&自由言論空間拡大」→「民主化」という歴史的必然のなせるワザなのかどうか・・・という点を考えてみます。
(以下、かなり長くなりますが、とりあえずまとめてみようと思います。一部、過去に書いてきたことと重複すること、ご容赦を)

 さて、上記した「流れ」の後者の部分、すなわち「情報公開&自由言論空間拡大」→「民主化」というのは、比較的わかりやすい話ではないかと思います。90年代初頭の共産主義体制崩壊でもそうでしたが、独裁政権が統制していた官製情報独占が崩れて、真実の情報が人々の目に触れるようになり、しかも、それまでご法度だった「誰もがホンネで話せる」環境が誕生すれば、人々を恐怖で縛ることで成立していた独裁は成り立たなくなります。
 あの極端な恐怖体制にある北朝鮮でさえ、もしも真の言論の自由が国民に与えられれば、金正日政権など明日にも崩壊します。
 ですが、上記した命題の前者の部分、すなわち「ネット導入・情報化」→「情報公開&自由言論空間拡大」は、どんな独裁国でも必ず起こるのか?という点は、議論の分かれるところではないかなと思います。というのも、「ネット導入・情報化」を実行しても、そこに完全なる統制の網を被せれば、「情報公開&自由言論空間拡大」を阻止することが可能かもしれないからです。
 そこで問題となるのは、国家が完全なる統制をキープしつつ「ネット導入・情報化」を導入することが現実に可能なのかどうか?ということになります。これは国際政治学あるいは国際関係論の分野でも、おそらく今いちばんホットな命題になるかと思うのですが、まさに新分野であるがために、「これだ」という理論は見あたらないようです。
 私はこのところ中国とシリアのケースに関して、その部分を調べています。両国とも、ネット導入をしつつ、政府の統制によって「情報公開&言論空間拡大」を阻止する政策を採用しています。
 で、結論から言うと、まだ完全な自由化まではほど遠い状況ですが、情報化の拡大によって、確実に「統制のタガ」が緩んできています。中国でもシリアでも、国民はネット経由で以前は考えられもしなかった大量の海外情報に接していますし、当局の対応を伺いながらではありますが、ネット発で発言するようにもなってきています。
 中国では公安部の懸命の締め付けによって国民レベルの反政府運動までは至っていませんが、高速列車事故などの「直接的な政権否定以外の言論」に関しては、当局を批判する動きが、なかばなし崩し的に黙認されつつあります。
 他方、シリアでは反政府デモの爆発的拡大を生んでいます。つまり、シリアではすでに民主化への動きに繋がっているわけです。
 そこで疑問が出てきます。それは歴史的必然だったのか? そして、今後もその流れは止まらないのか?ということです。
 アラブの典型的な権威主義体制であるシリアを例に考えてみます。シリアでは、国内のインターネットは、独裁政権と直結した通信会社・プロバイダーが管理しており、そのトラフィックを秘密警察が完全に監視・コントロールできる仕組みになっています。なので、理論上は完全統制が可能なシステムになっています。
(アラブ各国のインターネット統制のしくみについては、各国のインターネット・コントロール政策を詳細に分析した名古屋商科大学の山本達也先生の労作『アラブ諸国の情報統制~インターネット・コントロールの政治学』<2008年・慶応義塾大学出版会刊⇒アマゾン>が非常に詳しいです。中東情勢を研究する方には必読の書をいえます)
 しかし、実際には、シリア国民は携帯電話とインターネットを通じて大量の海外情報に触れることができていますし、主にSNSを通じて情報発信もできています。スカイプやヤフーメッセンジャーなどで互いの連絡もほぼ制限なく行えています。シリア政府が強力なファイアウォールをかけていますので、もちろん他の先進国の国民ほど自由ではないですが、もはや「完全な情報統制下にある」という状況でもありません。
 その経緯を振り返ってみます。

 もともとシリアでは官製メディアだけが存在し、人々が自分の意見を自由に発信する場もないという状況が長く続いていました。そこに最初の風穴が空いたのは、90年代に大きく広がった衛星テレビの登場でした。つまり、インターネットの前に、衛星テレビという「情報統制崩壊」のツールが“上陸”していたわけです。
 アラブ地域での初の衛星放送は、90年からのエジプト国営放送機構でしたが、娯楽番組を多く含むものとしては、91年からのサウジ系「MBC」、94年からのサウジ系「オービット」あたりが最初になります。ほかにも90年代半ばには多くの衛星放送がスタートしており、とくに95年打ち上げのフランス・ユーテルサット社のホットバードによって欧州の多くのチャンネルが視聴できるようになっています。
 情報統制国家だった大方の中東の国では当初、「堕落した欧米文化が流入する」などとして衛星テレビの受信機の設置を禁止しましたが、国民は珍しく国の政策に従わず、こっそり受信機の設置を進めました。当局は当初こそ取り締まりに動きますが、国民の衛星テレビ受信への意志はきわめて強固なもので、やがて事実上の黙認状態となります。
 私はちょうどその頃にエジプトに短期間居住したことがあるのですが、中東の人々(イランでも顕著)が怖い怖い政府の禁止措置に逆らって衛星テレビ受信に固執したのは、私の印象では、それこそ堕落した欧米文化=すなわち「娯楽」への渇望でした。国営テレビはつまらない大統領の演説やお堅い「NHK・Eテレ的番組」を延々と流していたわけですが、そんなときに衛星テレビは、海外制作のポップ音楽や映画、エンターテインメント番組を見せてくれたのです。
 また、これは拙ブログでも以前に書いたことがありますが、とくに人気だったのが、「堕落した欧米文化」の最たるものであるイタリアのお色気番組でした。ご存知のように、中東アラブはエロがご法度のお国柄だったのですが、逆にそれゆえにエロへの情熱は押し留めようがなかったともいえます。
 また、アラブの男たちにはひと昔前の日本のように、白人「金髪」女性崇拝傾向があるのですが、衛星テレビに登場する金髪のテレビ女優やニュースキャスター、歌番組の司会などが人気を博したりもしました。いずれにせよ中東イスラム圏は、独裁体制と同時にイスラム社会というガチガチの建前社会だったわけですが、そこにいっきに華やかで自由な空気を持ちこんだのが、衛星テレビにほかなりませんでした。
 官製報道でないアラビア語国際ニュースということでいえば、前述した「オービット」が英BBC放送のアラビア語ニュースを有料で放送しましたが、やがてオービットとBBCの衝突で放送が停止した後、そのスタッフを集めて96年にスタートしたカタールのアルジャジーラが無料放送で人気を博したことは周知のとおりです。
 こうしたさまざまな衛星放送によって、アラブ圏ではかつてない自由な空気がお茶の間に入ってくるようになりました。90年代にアラブ圏の都市部での生活を体験した方はわかると思いますが、インターネットの本格的導入の前、すでにあの地域では自由度がそれなりに進んできていたわけです。
 その背景には、独裁政権のコワモテ度が、かつてよりは表面上かなり緩和されてきたことがあります。
 90年代には、かつて米ソ冷戦にリンクしていた政治的な対立が緩み、それに連動して経済的な規制緩和・開放が部分的に進み、それにともない都市化・中産階級化が徐々に進んできていました。この時代、東南アジアでも中南米でも東欧でも似たような動きがありましたが、中東もまた、国によっては温度差はあったものの、全体としてはこうした時代の流れに乗っていたといえると思います。
 人々に本格的な「情報化」をもたらすツールであるインターネットと携帯電話は、90年代後半にアラブ圏でも導入されますが、シリアなどの権威主義体制国家では、当初、その使用には厳しい制限をかけていて、一般国民が自由に使える状況ではありませんでした。インフラ整備が遅れていたこともありますが、独裁政権側がこれらの導入を警戒したわけです。
 しかし、多くの国で2000年頃からネットと携帯電話が解禁されます。シリアではちょうどその年に前大統領が死去し、現在の大統領が世襲しますが、年若で英国滞在歴の長い大統領は、自身を「改革派」と位置付け、インターネットと携帯電話を広く国民に開放します。
 これはシリアだけでのことではなく、他のアラブ諸国でもほぼ同じ頃に同じような動きが出てきています。これは大きな背景としては、世界的にインターネットや携帯電話というツールが台頭していく過程とリンクしています。
 ネットの場合、もちろん多くの研究者が指摘しているように、経済活動に直結していたということもありますが、個人レベルでいえば、かつての衛星テレビよりさらに直接的に「エロ」への渇望が推進力となっていた気がします。このエロ・パワーによるネット拡大というのは、日本も含めて世界的に共通したウラ要素だと思うのですが、もともとエロが禁忌だったイスラム圏ではさらに決定的な推進エンジンになっていたのではないかと思います。
 もちろんその他にもネットで入手するゲームや映画、欧米ポップ音楽コンテンツなどもアラブの若者たちを惹きつけました。そのあたりの「娯楽」を入り口として、やがてネットサーフィンからメッセージのやりとりという方向にも足を踏み入れていったというのが、平均的なアラブの若者の姿だったのだろうと、乏しいサンプル調査から私は推測しています。
 他方、携帯電話のほうは、もともと国内の有線電話網が貧弱だったということが背景にあります。アラブ諸国でも携帯電話の通話料は結構高額なのですが、その便利さからあっという間に一般国民のあいだにも広がりました。搭載されたカメラで写真を撮ったり、携帯でデータ通信サービスを日常的に使うなどということも、その他の世界各国の国民たちと同様に、アラブ諸国でもすぐに一般的な光景になっていきました。

 2000年代はじめに中東アラブ各国で、いわば「なし崩し」的にインターネットや携帯電話が爆発的に普及したわけですが、権力者側がそれを公認した要因として、よく言われる経済活動上の必要性の他に、私は2つの点をとくに指摘しておきたいと思います。ひとつは「政権の正統性」、もうひとつは「権力層の利益」です。いずれも、そこでカギになるのは「政治的緊張の緩和」と「世代交代」だと思います。
 少なくとも大方の近代国家においては、いくら独裁でも建前上の正統性は必要になっています。独裁者は実際には「独裁者のための独裁」を行っていても、「オレだけが重要だ」「オレのためだけの国だ」などというホンネは言いません。ヒトラーもスターリンも毛沢東も金日成・金正日親子も、ポルポトやサダム・フセインでさえ、「国民のため」という建前を使ってきました。自分には国を治める正統性がある、との建前です。
 こうした表裏の使い分けを担保したのが、情報・言論の統制です。情報・言論の統制は、政治的正統性という建前と独裁権力を両立させるための必須条件で、そういう意味では、独裁の要件のワン・オブ・ゼムではなくて、まさに屋台骨といえるものです。したがって、そこに手をつけるということは、独裁政権にとっては必然的に致命傷になりえるわけで、それが今のアラブの春に繋がっているのだと思います。
 
さて、政治的正統性という建前が重要なのはシリアの場合も同様で、いちおう表向きは選挙を行い、議会を作ったりしています。そんななか、2000年に独裁権力を世襲したバシャール・アサド現大統領は、前述したように、自身を改革派と位置付け、先代のきわめて強硬な「締め付け」体制を多少緩和します。
 これには世代交代という要素も作用しています。現大統領が就任時は、政権上層部に先代時代からの腐敗した古株が多く残っていたのですが、大統領は同世代の側近(とくに実姉の夫)と協力し、彼らの多くを順番に引退に追い込みます。その口実に使われたのが「改革」という正統性だったわけです。
 これも前述したように、その頃は国内外の政治的緊張も以前ほどは緊迫していなかったため、権力上層部の世代交代と同時に、そうした開放的な施策が採用されたということになります。
 大統領は、そうしていくつもの規制緩和策を打ち出しますが、肝心の政治改革の部分については、実際にはそれらの改革政策はどれも実質的には実行されていません。ほとんどすべて口先だけの約束に終わっていて、独裁システムは温存されています。こうして、政治的な事実上の独裁システムは温存されながら、社会全体の統制は徐々に緩むという流れが定着していったわけです。
 シリアはたまたま先代の病死というわかりやすい契機があったのですが、他のアラブ諸国もほぼ似たような道に進みます。かつて血みどろの権力闘争を勝ち抜いて独裁権力を握った初代独裁者がどこの国でも高齢になり、その2世たちが国内政治を采配するようになってきたからです。こうしてエジプトやリビアを含む多くのアラブ諸国で、独裁者の息子たちがIT化の推進役になりました。
 しかも、こうした国々では独裁者ないしその取り巻きの2世たちが、携帯電話会社などの利権を独占し、多大な利益を得るようになります。シリアの場合は、大統領の従兄弟の政商がその恩恵にあずかっています。殺すか殺されるかの世界を生きてきた古い世代は、IT化に対する警戒心を解きませんが、甘やかされて育った若いボンボンたちは、「たいしたことあるまい」とタカをくくりつつ、目の前の金儲けに目の色を変えて邁進したのでした。

 改革を旗印に建前上の正統性をアピールする仕組みにとって、ネットへの介入がしづらいのは、それまでの国内メディアが「許可制」だったのに対し、サイトのブロックはいちいち「禁止」する必要があったからではないかと思います。
 当局の許可制のメディアの場合、載せられる情報は基本的に当局の意に沿うもので、それ以外はみんな禁止です。改革派を標榜するなら、許可の基準を以前よりほんの少し緩めるだけで充分です。
 ところが、ネットの場合は、世界中の無数のサイトとつながります。アクセスを禁止するためには、いちいちそのための理由が必要です。なので、「エロサイト」「イスラエルのサイト」「イスラム・テロリストのサイト」「CIAが裏で糸をひくサイト」などなど、いかにももっともらしい理由をつけて禁止しなければなりません。「独裁体制に不都合な真実を載せてあるサイトだからダメ」などとは言えないわけです。
 前述したように、インターネットのシステム自体は基本的に当局が随意にファイアウォールをかけることができるのですが、たとえば海外のニュースサイトを軒並みブロックすれば、それは当局が「国民には事実を知らせない」と宣言しているようなもので、改革派を自称する大統領からすると、いかにもマズイとなります。
 なので、ブロックするサイトは限定的にならざるをえません。シリアでは、反体制運動が広がった現在はよくわかりませんが、今年3月まででいえば、いちばん多いときでも約250程度のサイトがブロックされたに留まっていたと思われます。膨大なインターネットの情報空間からすれば、ほんのわずかの数といえます。
 しかも、ブロックされたサイトにしても、迂回路を経由するなどして、その気になればかなりのサイトがアクセス可能です。シリア当局はそれらもブロックすることもできるのですが、それにはそれなりの追跡作業が必要で、とても全部までは手がまわりません。反政府運動、クルド組織、イスラム過激派などの危険なサイトはともかく、エロサイトに裏ルートでアクセスしようとする若者あたりをいちいち摘発していては、キリがないわけです。
 ムハバラートにはそうしたネット監視のセクションもあるのですが、反体制運動が始まる前はそれほど政治的に緊迫した状況でもなかったので、それほど力を入れて監視していたとはいえません。

 こうした状況は、シリアのネットユーザーに、かなり「自由」な空気を実感させる効果を生みました。シリアのネットユーザーは、ネットをムハバラートが監視していることをみな承知していましたが、それでも以前と比べると、情報アクセスの機会は格段に広がっていました。
 また、SMSなどでの情報のやりとりも、ほぼ制限なく出来ましたし、自前のホームページやブログの開設も可能でした。こうしたネット使用は、他の世界の国々と同じく、若者層に猛烈な勢いで拡散しました。
 ムハバラートの怖さはみんな知っていたので、直接的な反体制コメントをネット発信するなどという危険は犯しませんでしたが、政治犯の釈放や、より民主的な改革の実行を求めるなどの政治的な発言をする人も少しずつ出てきました。ブロガーが逮捕されるなどという事件も散発的に発生しています。
 そんなとき、大事件が勃発します。05年2月、レバノンの反シリア派の中心人物だったラフィク・ハリリ前首相がベイルート市内で爆弾テロで暗殺されたのです。暗殺の背後にシリアがいると噂され、真相解明を求める声はシリア軍のレバノン駐留そのものに対するレバノン国内の反シリア運動に発展。さらに欧米や国連も巻き込んだ国際社会の圧力となり、アサド大統領はシリア軍のレバノン撤退を決断。同年4月までに完全撤退に追い込まれました。
 この事件でシリアではさまざまな勢力が水面下で動き出しますが、政治的に大きな失点となったアサド政権を批判する勢力も徐々に活動を活発化させます。こうして同年10月、民主派が「ダマスカス宣言」を採択。独裁国家シリアで初めて、民主化運動が目に見えるかたちで浮上します。
 ただし、それでもこの時期の民主派の要求はあくまで政治犯釈放などの人権問題や、より民主的な政治制度改革であって、アサド独裁体制の転覆を求めるものではありませんでした。これは従来、アサド大統領が自身を改革派と位置づけて約束していた政策に方向性が合致していたため、従来のようなムハバラートによる徹底弾圧が難しい状況でした。
 改革派として自身の正統性をアピールするアサド大統領は、ウラではムハバラートによる取り締まりを進めながら、オモテ向きは民主的改革を進めるような発言を繰り返します。実際のところは、高まる民主化要求を口先だけの時間稼ぎでかわすだけのことでしたが、民主派はそんな状況のなかでさらなる攻勢に出ていきました。
 そうした民主派の活動には携帯電話からアクセスするフェイスブックなどのSNSが有効に利用されましたが、アサド政権は07年11月、フェイスブック、ツイッター、ユーチューブなどのアクセスを遮断。翌12月からはダマスカス宣言会合の出席者を逮捕するなど、民主派への大々的な弾圧に乗り出しました。
 このSNS遮断によってシリアのインターネット・コントロールが機能したとみる向きもありますが、私自身がシリア国内の知人たちに聞いた範囲では、迂回路を使ってフェイスブックにアクセスすることは、若者層の間では広く行われていたようです。
 これはシリア国内では違法行為であり、ムハバラートの摘発の対象になることは皆知っているわけですが、これも使用者が多数に上ることと、摘発が面倒なことから、よほど直接的な反政府言論でも行わないかぎり、それほど厳しくは取り締まられていません。ユーザーの側も、ムハバラートの摘発が怖いので、書き込みの表現には皆それなりに注意していたようです。
 また、スカイプも広く出回り、シリアの若者たちの連絡に利用されるようになります。こうして民主化運動も、ネットを介在して根強く続けられていきました。ときおりブロガーが逮捕されるなどの見せしめ的な弾圧は行われましたが、当局がネットユーザーを徹底的に監視することは事実上、まったく出来ていません。
 その頃、エジプトやイランなどの民主化運動にSNSが使われたことなどがときおり、国際ニュースで報じられましたが、そうしたことはシリアの民主活動家らもよく把握しており、仲間内ではネットを使った民主化要求の道を探る話し合いがたびたび持たれていたことを、私は今夏にレバノンで取材した反体制派幹部から聞いています。
 こうして、今年1~2月にチュニジアとエジプトで革命が進行したことをチャンスとみて、民主活動家グループはフェイスブックで民主化デモの呼びかけを行います。ネットでの呼びかけで中心的役割を担ったのは海外在住シリア人の若者たちですが、国内の民主化活動家らもそれに呼応します。クルド人組織やモスレム同砲団らの既存の政治グループも、その流れに合流しました。
 最初のデモの呼びかけは2月4日~5日でしたが、これは当局の厳しい警戒で実質的に不発。これで自信を深めた当局は、その直後にフェイスブックのアクセスを解禁。おそらくネット活動家を摘発する意図があったものと推測されます。
 ところが、フェイスブックを介在する民主化デモの呼びかけはその後も続き、3月15日には首都ダマスカスで政治犯釈放要求デモが発生します。ムハバラートによるネットの監視はほとんど効かなかったようで、SNSを介在したデモ呼びかけは瞬く間に全土に広がり、反体制運動の爆発に突入していったのでした。

 結局、いくらインターネット・コントロールを可能にするシステムを構築していても、ネットそのものを遮断しないかぎり、情報のインプットとアウトプットの拡大、そして言論空間の拡大は完全に抑え込むことは非常に難しい、という実例なのではないかと思います。
 まず、ユーザーの分母と、ファイアウォール回避の試みの数が、監視者のキャパでは追いつかないということがあります。これは、許可制メディアでなく、禁止を必要とするメディアの場合の宿命といえるかもしれません。
 また、正統性の縛りがあるため、禁止措置についてはどうしてもある態度甘くならざるを得ず、それは従来をはるかに凌駕する情報アクセスと自由の空気を持ち込みます。
 ここでユーザー側は、最初から急進的な反体制言論を打ち出すわけではなく、怖い当局の対応を様子見しながらジャブのように言論活動を始めますが、以前ほど露骨な弾圧をしないとみるや、そのスクラム・パワーである意味「図に乗って」いきます。赤信号もみんなで渡れば怖くないのです。
 そして、あるレベルまで来たら当然、当局が取り締まりに乗り出しますが、そのときには時すでに遅し。ネットで増幅された群集心理によって、コントロールが効かなくなっている・・・ということが往々にして起こるわけです。

 ここで、現実世界で大衆蜂起に至るかどうかの分かれ道は、群集心理と恐怖の力関係によるところとなるでしょう。群集心理が恐怖を上回れば、チュニジア、エジプト、シリアなどの道になり、下回れば中国のような状況になるということかと思います。
 恐怖を徹底するためには、当局の断固たる弾圧が必要になります。中国の場合、中国ジャスミン革命の呼びかけに、公安部と武装警察が投入され、徹底的なデモの未然排除が図られました。
 シリアの場合、とくに当初のデモの中心となった南部ダラアでの蜂起に、とくに当初の1週間ほど、治安当局が強攻策を手控えたことも大きかったのではないかという気がします。その頃、シリア当局はまだ放水車や催涙弾中心の弾圧でしたが、最初から実弾射撃を含む容赦ない弾圧を行っていたら、恐怖が群集心理を抑えこんでいた可能性があるのかどうか・・・そこはよくわかりません。
 しかし、中国にしても、前述したように高速鉄道事故などでは、結局はSNSでの言論空間をコントロールすることはもはや不可能になってきています。長い目で見れば、「ネット導入・情報化」→「情報公開&自由言論空間拡大」という流れは、これはやはり歴史の必然と考えるべきではないかなと思います。
 そこで、もうひとつのケーススタディとして注目したいのは、イランのケースです。イランでもネットを介在した反体制活動が行われましたが、当局の徹底した弾圧で、現在は反政府派がほぼ抑えこまれています。
 これが「体制側の勝利」として今後も体制派安泰で定着するのか? それとも、やがてはまた反体制運動が再燃することになるのか?
 イランのインターネット・コントロールはシリアよりもさらに厳格ですが、北朝鮮のようにほぼ完全にネット利用を遮断しないかぎり、いずれは独裁に対する「ノー」の火種が再び燃え広がることになるのではないかという気がします。理論上、インターネット・コントロールは可能かもしれませんが、実際にはシリアと中国の例のように、独裁維持のための実効性のあるコントロールはほぼ無理なのではないかと思います。
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  1. 2011/10/01(土) 01:46:21|
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プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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