ワールド&インテリジェンス

ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

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(写真館29)戦場カメラマンという仕事

 本日発売になった洋泉社ムック『戦場カメラマンという仕事』(⇒アマゾンに写真を5点(巻頭グラビア×2点、本文口絵×3点)採用していただきました。私が紛争地取材を最後にやったのは97年なので、もう14年も前に現役を引退したわけですが、ちょっと前に軽い気持ちで当ブログに過去写真をアップしてみたのがきっかけで、ロフトのイベント、写真誌『FLASH』、今回の洋泉社ムックと立て続けに過去写真を採り上げていただくことができました。どういうかたちであれ、自分の撮影した写真が少しでも世に出ることは嬉しいことです。なんでもやってみるものですね。
 今回の本では、それは錚々たる方々の写真が載っていますから、私なんぞの出る幕はたいしてなかったわけですが、それでも少しでも多く採用していただこうと思って、じつはそれなりに時間・労力をかけてかなり大量のポジやネガ(現地から即日電送するためにカラーネガで撮影した素材も結構あります)の素材を再度チェックし直し、データ化作業やトリミング作業などを行いました。巻頭4Cで採用していただいたのはわずか2点だけでしたが、せっかくそうしてデータ化したので、過去エントリーと重複しますが、今回は私の自選の10点を並べてアップしてみたいと思います(過去エントリーの写真はほとんど、ポジかベタをコンパクトカメラでテキトーに接写しただけだったので、画質が劣悪なうえに、歪み・ピンボケがかなりありました)。自己満足ですが、お許しください。
 撮影年の順でアップします。

①ニカラグア内戦(88年10月)
 中米ニカラグアでは、80年代に左翼政権と右派ゲリラ「コントラ」による激しい内戦が続いていました。私は約3カ月間、密林の戦場でコントラの従軍取材をしました。写真は政府軍前線基地への攻撃に向かう突撃隊。私は当時25歳で、週刊誌編集者を辞めたばかり。初めての本格的な戦場取材でした。
NIC88.jpg
(発表メディア・以下同)
「朝日ジャーナル」
「週刊プレイボーイ」
「WEEKS」(NHK関連ニュース誌)

②米軍パナマ侵攻(89年12月)
 89年12月、反米政策をとるパナマの独裁者・ノリエガ将軍を排除するため、米軍が電撃的な侵攻作戦を開始、わずか数日でパナマ市を制圧しました。写真はパナマ国防軍の狙撃手と交戦中の米陸軍第82空挺師団第1旅団の兵士。
PAN89.jpg
「フライデー」(特派)
「週刊宝石」
「週刊プレイボーイ」
「週刊文春」(写真1点のみ)
「朝日ジャーナル」(写真1点のみ)

③ペルーの対テロ戦(90年5月)
 80年代から90年代にかけ、南米ペルーではアンデス山中を中心に、極左ゲリラ「センデロ・ルミノソ」(輝く道)のテロが頻発し、それに対する政府軍の鎮圧作戦が続けられていました。写真は、センデロの本拠地だったアヤクチョ県ワンタ地区で活動する陸軍対テロ特殊部隊。1週間の山地潜入偵察作戦に従軍して撮影しました。
PER90.jpg
「フライデー」(特派)
「週刊現代」
「週刊プレイボーイ」

④フィリピン南部の分離独立闘争(90年10月)
 フィリピン南部に居住するイスラム教徒の反政府ゲリラ「モロ民族解放戦線」(MNLF)が、70年から96年まで分離独立を目指して激しい武装闘争を繰りひろげていました。MNLFが86年に本拠地・ホロ島で日本人カメラマンを長期監禁して以来、外国人記者の取材は危険だといわれていましたが、90年に同島に潜入し、MNLFの取材に成功しました。
PHI90.jpg
「週刊宝石」
「週刊プレイボーイ」

⑤湾岸戦争(91年1月)
 91年1月、米軍を中心とする多国籍軍がイラクを爆撃し、湾岸戦争が勃発しました。サウジとイラクのビザが下りなかったので、周辺国のイスラエル、トルコ(イラク逃亡兵収容所&多国籍軍基地)、ヨルダン(避難民等)、イラン(イラク国境エリア)の取材をしました。
 イスラエルでは、開戦当初からイラク軍が弾道ミサイル「スカッド」で攻撃。イスラエル側は迎撃ミサイル「パトリオット」で対抗しましたが、実際にはほとんど撃ち漏らしていました。写真はテルアビブ市郊外のスカッド被弾地での救助活動。
ISR91.jpg
「フライデー」(特派)
「週刊プレイボーイ」

⑥ボスニア内戦(92年6月)
 旧ユーゴスラビアのボスニアで92年3月から内戦が勃発。セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒がそれぞれ戦いました。写真は首都サラエボ市南部の最前線で、イスラム教徒軍と交戦中のセルビア人部隊。
SAR92.jpg
「週刊現代」(特派)

⑦ボスニア内戦その2(92年6月)
 ジャーナリストの殉職者が続出し、ベトナム戦争以来もっとも危険な戦場といわれたボスニアでは、私もそれまででいちばん激しい戦闘を経験しました。写真はボスニア南部のポドベレッジ戦線で、セルビア側の砲撃を受けるクロアチア人兵士。この日は敵方の総攻撃で、従軍していた部隊が壊滅。迫撃砲弾で私自身も負傷して動けなくなったのですが、かろうじて救助されました。
BOS92_20110223202956.jpg
「週刊現代」(特派)

⑧ソマリア内戦(92年9月)
 ソマリアでは92年、部族民兵同士の内戦が激化し、完全な無政府状態に陥りました。写真は当時、私が護衛に雇っていた最大派閥「アイディード将軍派」に所属する民兵。なお、この内戦では大量の飢餓難民が発生し、後に多国籍軍が介入しましたが、治安回復は失敗に終わっています。私は当時29歳でしたが、このソマリア取材を機に、しばらく戦場取材から遠のきました。思えば20代後半はずっと戦場取材ばかりでした。
SOM92.jpg
「週刊現代」(特派)

⑨レバノン侵攻(96年4月)
 96年4月、イスラエル軍はヒズボラを叩くために14年ぶりのベイルート爆撃を含む大規模なレバノン侵攻作戦を行いました。当時エジプトに居住していた私は、すぐにレバノンに入って戦況を取材しました。写真は沖合のイスラエル海軍艦艇から激しい艦砲射撃を受けるサイダ(シドン)市。
LEB96_20110223201208.jpg
「軍事研究」
(※当時は現役のENGカメラマンだったので主に影像取材をしましたが、ネタがマイナーなことと、自分の力量不足から、テレビでは採用されませんでした)

⑩アルバニア騒乱(97年4月)
 97年、東欧の小国アルバニアでネズミ講の破綻をきっかけに暴動が発生。軍の武器庫が破られ、国民の多くが武装して全土が無法地帯となりました。写真はもっとも治安が悪化した港町ブロラで、略奪グループの襲撃を受ける武装市民。当時、長期取材中だったペルー日本大使公邸占拠事件が膠着状態に陥ったので、こちらにスイッチしたのですが、結局、この取材を最後に紛争地取材から引退しました。時代はすでに「戦争」から「テロリズム」にメイン舞台が移りつつありました。
ALB97_20110223195306.jpg
「週刊プレイボーイ」
「軍事研究」

 以上、過去の紛争地取材のなかから、「戦場写真」という観点でセレクトした自選10点でした。メインは20代の頃だったので、あまり深くも考えずにやっていました。フォトジャーナリストというよりは、明確に「コンバット・フォトグラファー」を目指していて、「戦場」をとにかく探し歩いていた感じでした。
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  1. 2011/02/23(水) 18:19:44|
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プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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