チュニジアでの〝市民革命〟の勢いに乗り、周辺アラブ各国で反政府デモが拡大しています。とくにエジプトでかなりの盛り上がりを見せています。私はかれこれ四半世紀ほど中東エリアと付き合いがありますし、エジプトに短期間ですが住んでいたこともありますので、感慨深くこの状況を見ております。
私はかねてより中東各国の民主化を強く願う者であり、この動き自体はもっと盛り上がればいいなと考えています。イラク戦争の頃によく「中東には中東のやり方があり、アメリカ式の民主主義を押し付けてはダメ」との議論がありましたが、私はそうは思っておりません。中東を取材すると、よく現地の人でもそういう意見を言う人がいるのですが、そういう人は現地でそれなりの特権階級である場合が多いです。
たいていは部族幹部だったり宗教指導者だったり政界指導者だったり、あるいは政府・大学・マスコミ業界のエライ人だったり。私たち外国人取材者はそういう人をメインに取材することが多いので、たしかにそういう声は聞きますが、すでに欧米のテレビ番組やネットの世界を知っている国民の多くは、私の知る限りでは、やっぱり欧米みたいな社会にあこがれています。
中東アラブ諸国ではもともと、強権的な政権が長く独裁体制を敷いている国が多いのですが、それに異を唱える行為はかなり勇気の要る危険行為でした。その理由は、強力な秘密警察の存在による恐怖があったからです。
ですが、90年代以降の情報化社会のなかで、その規律が徐々に揺らいできました。今や中東のほとんどの国で、ネットや携帯電話が広く使われています。各国の権力層も最初はそうしたものを規制しようとしたのですが(最初は衛星テレビ規制からでした)、途中でもう諦めています。
独裁体制の幹部層も世代交代が進み、欧米式の自由社会の風潮に馴染んだ層がどんどん主流を占めるようになってきたこともあります。
ということで、こういった国々では今、「どのくらいの自由発言・行動を政府は黙認するのか?」という手探りの状態になっています。権力側も、ひと世代上の時代であったなら、治安部隊か軍が有無を言わせずひねり潰しているはずです。扇動者は拉致られて拷問されて密殺でしょう。ところが、今では放水とかで鎮圧です。そのあたりの社会感覚の変化が、まず背景にあります。
ただ、報道でイメージされるほどの国民的ウネリというには、まだなっていないように見えます。カイロでは数千人のデモ参加者が出てきていますが、市民のほんの一部にすぎません。デモに期待している人はかなりいるとは思いますが、実際に参加するのはまだちょっと怖いし、だいたいそういうのに関わりたくない人が大多数です。(ただし、他の町にもデモが広がっているのは事実のようです。全土で数万人との報道もありますが、こうした数字はえてして誇張されますので、どの程度の規模なのかは現時点ではよくわかりません)
暴れまわっている人の多数は若者で、フェースブックやツイッターの効果が報道で強調されていますが、それ自体はまだそんなにたいしたものではないと思います。
ただ、情報ツールの発達がもたらした大きなものは、「市民に対する権力側の暴力行為は、いまや国民・世界に映像で筒抜けになる」ということです。これは、権力側で暴力装置を指揮する人には、大きな足かせとなります。チュニジアでは軍最高幹部が大統領の鎮圧命令を拒否したことで政変が成功しましたが、そういうことが他の国でも起こりえます。
かつて共産圏の崩壊のドミノが起きたときも、要は権力中枢か暴力装置指揮官たちが、CNNのカメラの前で「暴力を行使するかどうか」をどう選択したかで、流血の事態になるかどうかが決まりました。今回のアラブの動きも、似たような感じになってきているところはあると思います。
ただやっぱり、みんな大統領の一族や側近ばかりが国を私物化しているのは気にくわないとしても、今の国民生活の状況のなかで、流血の事態になってまで政変を欲しているかといえば、どうもそこまでのレベルではないようにも見えます。なんとなく一過性で徐々に収まっていく可能性がいちばん高そうですが、ただ、こういうのはその場の雰囲気というか、熱狂の群集心理の盛り上がり次第でまた様子が変わってきますので、現時点ではどう転ぶかまだ判然としないところがあります。
それでも「権力層はもうそんなに怖くないかも」という空気が少しでも前進すれば、将来に向けてはたいへん好ましいことです。
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- 2011/01/27(木) 11:23:01|
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