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明日12月5日は関東大学ラグビーの最終戦。ここまで無敗の明治と1敗の早稲田の決戦です。近年は長く絶不調が続いていた明治は、久々の優勝王手となりました。
私はどちらのOBでもありませんが、高校時代に1年間だけ当時の花園常連校(今年も出場します)ラグビー部の補欠の補欠の補欠をしていたので、ラグビーはよくテレビ観戦します。
今年の明治の快進撃は、監督就任2年目の吉田監督の手腕によるものと言われています。吉田監督といえば、主将として臨んだ1991年1月の伝説の大学選手権優勝ですね。1点ビハインドだった後半26分、左ウイングの吉田選手のセンターライン付近からのぶっちぎりの独走で逆転トライの劇的勝利でした。
そのときの相手も早稲田。当時のスポーツ・メディアでは、早明戦というよりも、明治の吉田主将と早稲田の堀越主将の因縁の「吉田VS堀越」で盛り上がってました。
で、じつは当時、駆け出しカメラマンだった私は某誌の補欠カメラマンとしてその試合を取材していて、なんと吉田選手の逆転トライの瞬間をバッチリ撮影できちゃったのです。

じつは、これは狙ってました。あの時間帯は「ここで画になるシーンは吉田選手のトライしかあるまい」との読みで、明治側左ゴールライン前に陣取り、フィルム(当時はフィルムでした)交換してそれだけを待っていました。完全にマグレですが、人生たまにはこういうことも起こります。

その年の早明戦が因縁の対決といわれたのは、直前の関東大学ラグビー最終戦で、早稲田が終盤に12点のビハインドを追いついて同点とし、土壇場で「両校優勝」に持ち込むというドラマがあったからです。
下写真は、その関東大学ラグビー最終戦の夜の新宿コマ劇場前広場。ドンチャン騒ぎしているのは明治の学生たち。当時の大学生は今よりずっと騒々しかったですね。

このすぐ後に、中東では湾岸戦争が勃発し、私も取材に向かいました。そちらではなかなか「決定的瞬間」というわけにはいかなかったですが・・・。(→
写真館⑫1991湾岸戦争)
さて、明日の早明戦はどうなるでしょうか。
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- 2010/12/04(土) 16:38:15|
- 写真館
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| トラックバック:0
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| コメント:3
インテリジェンスとかけて、ラグビーと解く、その心は?...オックスブリッジ...大英帝国エリート...
早稲田の展開ラグビーは豪州遠征時にルーツがあり、明治や同志社はNZ流。慶応が尤も英国的でしょうか。日本の対外インテリジェンスもラグビーの如くコモンウェルスから学ぶとか...黒井さんのメッセージはこれ?
私も日本の対外諜報機関は省庁間の摩擦が起こらないように「当面は」外務省傘下の英国型が良いと思います。機関名は『国際知報庁』。かつて、イスラエルで英語のインテリジェンスに相当する言葉がヘブライ語に無くモッサド初代長官のルーヴェン・シルアッフが幾つか訳語を作ってはお蔵入りになりました。現在の日本もインテリジェンスの定訳が無いという意味で同じ状態です。そこで、「知報」という言葉を思いついたので流行ったら良いな(笑)と。
来年からのモサッド新長官にタミール・パルド氏が選ばれました。元副長官の「T」でした。
http://www.pmo.gov.il/PMOEng/Communication/Spokesman/2010/11/spokemosad291110.htm
- URL |
- 2010/12/07(火) 23:47:41 |
- 道楽Q #HfMzn2gY
- [ 編集]
道楽Q様 いつもイスラエルの最新情報をありがとうございます。
ところで、今回ラグビーの写真をアップしたことに、とくに深い意味はありません。この写真のことなどずっと忘れていたのですが、じつは先般の過去戦場写真の接写作業の際に、これを久々に目にすることがあって、「我ながらなかなか上手いのもあるじゃん」と。カメラマンにとって、写真は可愛い子どもみたいなもので、できればどこかに残しておきたいという気持ちがあります。それで、ちょうど早明戦があったのでアップしてみたというだけです。
テロ&スパイとは無関係ですが、当ブログはあくまで個人の趣味としてやらせていただいているので、何卒ご容赦ください。
- URL |
- 2010/12/08(水) 12:38:09 |
- 黒井文太郎 #-
- [ 編集]