ワールド&インテリジェンス

ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

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写真館⑫1991湾岸戦争

 日本人のカメラマンの場合、数ヶ月の長期滞在や頻繁な訪問でじっくり対象に迫るタイプの方が多いですが、欧米のカメラマンの場合には、どちらかというと短期決戦でニュースの現場を次々に渡り歩くタイプのほうが多数派です。私は初仕事となったニカラグア内戦と、約2年間を費やしたソ連取材を除き、2~3週間くらいの短期取材がメインでした。そもそも出自が週刊誌なので、そういうのが性にあっていたのでしょう。
 なかでも慌しかったのが、91年1月の湾岸戦争です。週刊誌のアサイメントで計7週間に4カ国を取材。その間、飛行機に搭乗したのは20回以上におよびました。
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 まずは90年8月にイラク軍がクウェートに侵攻し、湾岸危機が勃発すると、ちょうど統合直前の東ドイツを取材中だった私はすぐにヨルダンに入り、イラク国境のルウェイシドで、クウェートから逃れてきた外国人避難者たちを取材。ここに足留めされた多数の避難民を輸送する自衛隊機を派遣するのしないのと日本国内で政治問題になるのは、この少し後のことです。
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 翌91年1月に湾岸戦争が勃発すると、すぐにイスラエルに行きました。当時、一介の日本の週刊誌契約フリーランス記者の私には戦争当時国のイラク、および米軍が前方展開するサウジアラビアの入国ビザが発給されなかったので、周辺国取材しかできませんでした。
 本来、戦場取材の基本形は軍隊への従軍取材なので、これは自分としてはかなり不本意でした。エンベッド(埋め込み)取材に対しては批判もありますが、まずは最前線を見聞したいというのがホンネなわけです。
 上写真はテルアビブのホテル内に設置された「気密室」。みんな欧米人ジャーナリストです。戦争勃発初期は、イラク軍のスカッドに「化学兵器が使われる」との懸念があって、空襲警報が出るたびにこんな感じでした。そのうち慣れっこになりましたが。
(以下、カラー、モノクロともに写真のほとんどは安物のコンパクト・カメラによるベタ焼きの接写なので、画質かなり劣悪です。上写真の赤線は、当時ベタに書き込んだ目印です)
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 当時のテルアビブ市民。最初のうちは市民もこんな感じでした。もっとも、こんな緊張感はせいぜい数日間くらいだったように思いますが。
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 テルアビブ郊外のパトリオット・ミサイル基地をハイウェイの高架より隠し撮り。元ネガは出国時に没収されました。
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 スカッド被弾地。このへんの元ネガも没収です。
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 スカッド被弾地から被害者を救助。
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 この時期のイスラエル取材のメインは、やはりスカッド被弾でした。空襲警報と同時に車両で飛び出し、イスラエル軍車両を見つけて追走し、軍が立入制限する前に現場を素早く撮影して話を聞くという手順です。
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 イスラエルの次に訪れたのはトルコ。上写真は、イラク国境に近い同国南東部タットバンに設置された収容所で取材したイラク軍脱走兵たち。トルコ当局のガードが極めて固く、ここの取材は結構難しかったです。
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 トルコ南東部ディヤルバクル近郊のクルド人難民収容所。無許可取材を強行し、警備兵に本気で殴られました。
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 あまり注目されていませんでしたが、トルコにも多国籍軍の出撃拠点があり、イラク空爆作戦が連日行われていました。
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 出撃する戦闘機パイロットたち。国際的な記者証があれば、こういった取材は比較的容易です。
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 トルコの後は再びヨルダンへ。サダム・フセイン支持のデモが、外国報道陣が宿泊するホテルの前などでしばしば行われてました。もっとも、参加者はごく少数。当時、「ヨルダン人は反米。アメリカに同調する日本人も敵視されている」なんて報道もありましたが、私の取材ではそういうことはまったくなかったですね。
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 毎度お馴染みの故・アラファト議長。湾岸戦争当時はサダム・フセインに同調して下手を打ちました。

 さて、私はその後、ヨルダンからトルコ経由でイランに入りましたが、テヘランからアフワズに向かう長距離列車に乗っているところで終戦となりました。
 その直後、イラク国内で反政府武装蜂起が発生。私はちょうどその頃、イラク国境近くのホラムシャハルに潜入していたのですが、イラン秘密警察「コミテ」に捕まって、強制退去とあいなりました。警察国家であるイランは報道管制が厳しく、記者身分だと逆に動きがとれないので、旅行者としての入国でした。
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 オマケその1。移動天幕生活を送るクルド人の家族。
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 オマケその2。天幕の中。
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  1. 2010/09/26(日) 15:56:59|
  2. 写真館
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

貴重な写真の数々ありがとうございます。
湾岸戦争からもうすぐ20年なんですね・・・

ところで質問なんですが、
黒井さんはどんなカメラを使ってきたんのでしょうか?
(年代的にニコンのF3とかでしょうか)
好きなカメラやメーカーはありますか?
(こだわらないプロの方も多いでしょうが)

マニアな質問でごめんなさいw
  1. URL |
  2. 2010/09/26(日) 23:28:14 |
  3. ヨッシー #-
  4. [ 編集]

ヨッシー様 コメントありがとうございます。
 カメラですが、私が使っていたのはニコンです。フィルムの時代なので、F2、FE2、ニューFM2、F3です。F2は重いので最初の頃だけですが。自前ではないですが、知人のF4をしばらく使っていたこともあります。
 その他に大抵は予備として防水仕様のコンパクトカメラを持っていってました。あと、最初の頃は8ミリビデオを持っていってましたが、そのうち「両方は無理」と観念して止めました。
 もっとも、その頃は他のカメラマンさんたちは圧倒的にキャノン派が多かったですね。T90とかEOS1とかのヒットがあって、ニコンからキャノンに替えた人も多かったです。ちなみに、戦場でもライカを使っていた人はきわめて少数派でしたね。
 レンズは16ミリから300ミリまで(+テレコン)ですが、実際には紛争地取材に300を持っていったことはないです。私は写真週刊誌出身なので、どうしても広角で撮る癖があって、つい20とか24とかで撮ることが多かったです。写真誌の場合、見開き横位置1カット勝負なので、どうしても広角による画作りになりがちなんですね。「広角でラクしないで、標準で撮れるようにしなよ」とよく先輩カメラマンに言われました。
 ですが、広角でメインを撮って、あとは105か180でサブのカットや片起こし1Pタイトルバック用縦位置なんかを押さえると、数ページのグラビアなんかはだいたい収まりが良かったです。もちろんいつもそうというわけではないですが。
 その後、35~70と80~200のスグレモノのズーム2本が出てからは、広角以外は持ち運びやレンズ交換が飛躍的にラクになりましたね。
  1. URL |
  2. 2010/09/27(月) 17:21:28 |
  3. 黒井文太郎 #-
  4. [ 編集]

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プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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