ワールド&インテリジェンス

ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

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戦場カメラマン

 先ほど深夜テレビを何気なくつけたら、「笑撃ワンフレーズ」というバラエティの未公開集というのをやっていました。そこに現役の戦場カメラマンの方が出ていたのですが、なんともいえない味(落語界でいうフラっていうやつですね)があって、見事に爆笑ものでした。世の中にはすごい人がいたものです。
 私は同番組は初めて観たのですが、どうやらこれまでレギュラーだったようです(今回が最後の出演ということで、送迎会という設定でした)。渡部陽一さんという方で、お名前は雑誌などで何度も拝見していて、良いお仕事をされていることは知っていたのですが、これまでお会いする機会がなく、こんなに面白い方だったとは知りませんでした。
 ところで、戦場カメラマンになろうなどという人には、個性的な人が少なくありません。私がこれまで出会った人を何人か紹介してみましょう。
 1992年のサラエボは、非常に危険な状況でした。そこで会った2人の印象的なカメラマンがいます。ひとりはイブ・ドベイという筋骨隆々のマッチョマンです。『軍事研究』グラビア頁でお馴染みのカメラマンですが、当時の私は彼を知りませんでした。
 この人とは、外国人記者たちの唯一の宿泊施設になっていたホリディ・イン・サラエボのバー(砲撃中も営業してました)で会いました。彼は元ベルギー軍兵士で、ローデシアで傭兵経験もある戦争野郎でした。彼が来ると、他の記者たちはあからさまな軽蔑の目で、完全シカト状態でした。私が彼と話していると、他の記者がこっそり「あんなヤツと関わるな」と忠告してくれたりしました。
 たしかに目付きがかなりアブナイ感じでしたが、船戸与一ファンの私としてはそういうのも面白いと思い、1日取材に同行しました。当時のサラエボには世界中から記者・カメラマンが集まっていましたが、間違いなくこの人がもっとも戦場経験豊富に思えたからです。
 いやあ、驚きました。この人は「重いから」という理由で防弾ベストも付けず、銃弾がヒュンヒュン飛んでくるなかを、じつに嬉しそうに走り回るのです。その後を私は重い防弾ベストにへとへとになりながら、よたよたとついていきました。けれども、そのおかげで、当時の前線の被弾危険エリアがだいたいわかりました。こういうとき、戦場のプロはじつに頼もしいものです。
 もうひとりは、マーガレット・モスというCNNの女性TVカメラマンです。この人はホテルで隣の部屋だったので、ときおり挨拶程度はしましたが、とくに親しく話すということはありませんでした。
 それでも非常に強く印象に残っているのは、この人はものすごくカッコ良かったからです。ロック・ミュージシャンみたいな派手なロングヘアーに、全身をSWATみたいな黒の戦闘服でキメていて、まるでハリウッド映画のヒロインみたいなスタイルなのです。女性の戦場カメラマンというのは結構多いのですが、オシャレ度では群を抜いていました。
 この人もすでにCNNではエース級の戦場特派カメラマンでしたが、私がサラエボを離れた直後、銃弾を顔面に受けるという重傷を負ったことをニュースで知りました。
 じつはこの人とはそれから4年後の96年にレバノン南部で再会しました。イスラエル軍とヒズボラがドンパチしているなか、私が取材していた難民避難所に走りこんできたCNNの車両から彼女がカメラを抱えて颯爽と飛び出してきたのです。顔面には一目でわかる痛々しい傷跡が残っていました。生死をさまよったはずなのに、また戦場に戻っていたのですね。私は「彼女を題材にレポートしたらウケるかも」などと不埒なことを一瞬考えましたが、あまりにあざといので止めました。
 ちなみに、昨年9月、CNNは彼女のドキュメンタリーを放送しました。現在、末期がんで闘病中ということです。こんな体調でも変わらぬ魅力的な女性です。
http://www.youtube.com/watch?v=OCTMrx8ZyfA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Rss_Zylkshg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=vFYZMYxhAlM&feature=related

 世間には戦場カメラマンを評価してくれる方もいますが、私などはあまり使命感というものはなく、どちらかというと旅の延長みたいな感じで、野次馬的にやってました。ドンパチのシーンをどうすれば「よりカッコよく」撮影できるかとか、不幸な人々をどうすれば「より不幸」ぽく撮影できるかということばかり、いつも現場では考えていました。こう言ってはナンですが、自分自身はいわばハイエナみたいなものだと思っていましたし、紛争現場ではいつもそれに対する後ろめたさを感じていました。
 まあ、いずれにせよ良い悪いは別にして、私たちは常に「どれほどライバルより衝撃的な画を撮れるか」という競争をしていたので、他人の仕事はそれなりに気になります。
 私は駆け出しの頃、ニューヨークを拠点にしていて、中南米などをよく取材していたのですが、そんなときに紛争現場で必ず出会う同世代の駆け出しのカメラマンがいました。彼もニューヨーク在住で、ときどきニューヨーク市内でも顔を合わせました(私は取材の練習のため、ニューヨークでもなにか事件があると撮影によく行ってました)。その頃は私も比較的あちこちの紛争地にすぐ行ってしまうほうだったのですが、私が行くと必ずいるということは、この彼はおそらく常に世界中を飛び回り、当時のほとんどの国際紛争を取材していたのだろうと思います。
 数年後、ボスニア紛争のとき、『ニューズウイーク』で衝撃的な写真を目にしました。街角で小さな子供を連れた父親が狙撃され、父子ともに射殺される場面の連続写真でした。クレジットには、ロン・ハビブというその彼の名前がありました。その後、彼は世界トップクラスの戦場カメラマンとして名を成しています。
 一方、紛争取材中に亡くなった日本人のジャーナリストもいます。東京で何度かお会いした南条直子さんは、アフガ二スタンのゲリラを撮り続けていた方だったのですが、88年に地雷で亡くなられました。
 ソマリアで数日間共同取材した共同通信の沼沢均・ナイロビ支局長は、94年にルワンダ難民取材に向かう途上、小型飛行機の事故でフジテレビ特派員の方とともに亡くなりました。沼沢さんは大手報道機関の特派員としてはちょっと個性的な面白い方で、共通の友人がいたこともあって親しくさせていただいていたので、私としてもたいへんショックでした。
 沼沢さんの遺稿はその後、『神よ、アフリカに祝福を』(→<u>アマゾン)として出版されました。彼はボブ・マーリーの大ファンで、アフリカ駐在にたいへんな期待をして希望配属されたのですが、そのシビアな現実を前にして、いろいろ考えているようでした。「でも、アフリカの現実って違うんだよなあ」とナイロビの酒場で語っていたことが思い起こされます。私は沼沢さんのそんな姿を、たしか「終わりなき旅の途上」とかいうようなダサダサなタイトルで、それでもレクイエムにはなんだか相応しい気がして、雑誌の書評欄に書かせていただきました。
 同じ戦場といっても、ブラック・アフリカはその他の世界とはシビアさのレベルが違います。私などはたった3回(ソマリア内戦、南アフリカ部族抗争、ルワンダ難民)取材しただけでもう嫌になってしまったので、結局は世界の一断面しか知らないということになります。アフリカを取材し続けている方々は、私からするとそれだけで尊敬です。
 こんなことをとりとめもなく書いていたところ、書棚のある写真集が目に入りました。インドシナ紛争で死んだ戦場カメラマンたちの遺作集『レクイエム』です。久々に頁をめくってみましたが、これはもうなんと言うか、やっぱり凄いですね。

 ところで、先週の当ブログに世界の危険地帯に関して私自身の体験を少し書きましたが、戦場となるとまた別種の生命の危険があります。私の場合、92年にボスニア戦線で迫撃砲弾の破片を受け、出血多量で意識が霞んでしまったときが最大の危機でしたが、後で思い返すと、それよりも「マジでやばかったなあ」という瞬間がありました。
 同年のソマリア取材でのことです。首都モガデシオを取材中のことなのですが、あるときユニセフのスタッフに同行し、武装勢力同士が睨みあっている幅300~400メートルほどの軍事境界線(グリーンラインと呼ばれていました)を越えることになりました。片側から一方の武装勢力に所属する護衛が運転する車両でグリーンラインの中央まで行き、反対から敵対勢力の要員が運転する車両が来て、私たちだけが乗り換えるという手はずになっていました。ちょうど人質交換みたいな感じですね。
 ところが、片側の最前線で待機しているとき、突然相手側から発砲されました。私たちの周囲にいる兵士たちはみな一斉に後退し、臨戦態勢に入りました。私たちの車両だけが両派の間に取り残されてしまったのです。
 これは非常に危険な状況でした。両派が銃撃戦を開始すれば、私たちは車両もろとも蜂の巣になるのは明らかでした。ところが、運転手は気が動転したらしく、震えて動けなくなってしまっています。その車両にはもうひとりカメラマンが同乗していたのですが、彼が「ゴー・バック!」と狂乱して叫んでいて、それで運転手はさらに焦ってしまった感じでした。
 私は瞬間、ドアを開けて飛び出そうかと考えましたが、それが良いのか悪いのかとっさに判断がつきませんでした。結局、私たちはその場でしばらくビビりながら成り行きを見守りました。そのときは幸運なことに銃撃戦は起こらなかったのですが、生きた心地がしない時間でした。
 そのとき同乗していたカメラマンは、『ニューズウイーク』のピーター・ターンリーという人で、戦場カメラマン業界ではすでに著名なベテランだったのですが、その人も「こんな危険な状況は初めてだ!」とユニセフのスタッフにさんざん文句を言ってました。有名な戦場カメラマンなのに、今思えばなんだか雰囲気がマイケル・ムーアみたいな感じの人でした。
 最後に、戦場取材の話ではないのですが、危機一髪体験談をもうひとつ。私は大学2年の夏休みに初めての海外旅行でアメリカとメキシコに行ったのですが、最後のニューヨークが結構面白かったので、帰りの飛行機を1週間延期しました。ニューヨーク発ソウル経由の便でした。
 ところが、単なる偶然ではあるのですが、その延期によって私は命拾いすることになります。当初予約していた便が、サハリン沖上空でソ連軍機に撃墜されてしまったのです。1983年9月1日、いわゆる大韓航空機撃墜事件でした。同便には、私と同じようにアメリカから帰国する大勢の日本人乗客が乗っていました。冷戦真っ只中の悲劇でした。
 1週間後、恐る恐る同じ航路に搭乗しました。旅行シーズンでしたが、機内はガラガラで閑散としていました。
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  1. 2010/03/20(土) 01:26:55|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

朝日文庫からでているカメラマンの石川文洋さんの本に、ベトナムでのフリーのカメラマンの生活がくわしく書かれていて興味深かったです。その本で石川さんが、米軍のプレスに対する姿勢をとても褒めいていたのが印象的でした。申請をすれば、フリーの自分でも差別することなく自由に報道させてくれたと。最前線の取材もちゃんと許可してくれて、自由に撮影できたと。そんな環境が戦場カメラマンが活躍できた理由でしょうね。本を読んでいて、ベトナム世代のカメラマンに憧れてしまったことを思い出しました(笑)
  1. URL |
  2. 2010/03/21(日) 03:29:04 |
  3. ヨッシー #-
  4. [ 編集]

ヨッシー様 コメントありがとうございます。
 ベトナム戦争以後、どこの軍隊(反政府軍含む)も取材規制を厳しくやっていて、なかなかベトナム時代のような感じではなくなっています。軍事機密の問題もありますが、それよりも国際世論の動向を無視できなくなってきたことで、宣伝を重視するようになったことが大きいのだと思います。戦場では、たいていの軍隊が多かれ少なかれエグイことをやっていますので。
 欧米のベテラン記者に聞くと、初期のボスニア紛争がベトナム以後ダントツで前線取材可の戦争だったとのこと。私は比較的早い時期(紛争勃発3ヶ月後)に現地入りしたので、おかげで前線従軍ができました。その時点ですでに30人くらい記者が殉職してますが、それだけフリーだったということですね(当時の戦場カメラマン業界ナンバー1は『タイム』のクリストファー・モーリスという人だったのですが、彼も同誌にそんなことを書いてます)。
 その他の戦争では、とにかくいかに戦場に到達するかというのがいちばん難しいです。
 私は米軍パナマ侵攻のときは米軍仕切りの米メディア・チャーター機で早くに現地入りできたのですが、米軍が事態を掌握するまでまる1日以上、米南方軍司令部で他の記者たちとともに拘束されました。
 湾岸戦争のときは結局、米軍とイラク政府の取材許可がおりず、周辺国(イスラエル、トルコ、ヨルダン、イラン)の取材しかできませんでした。
 石川文洋さんは私はお話したことはありませんが、カンボジアPKOのときにプノンペンのホテルでお見かけしたことがあります。浴衣姿でたいへん目立ってました。
 あのときは、日本からもう誰も彼もが取材に来ていて、「日本人祭」みたいな感じでした。ベトナム世代の有名人も勢ぞろいでしたし、東スポのカメラマンさんまで来ていました。馬渕直城さんと橋田信介さんが両巨頭みたいな感じでしたね。
  1. URL |
  2. 2010/03/25(木) 14:21:36 |
  3. 黒井文太郎 #-
  4. [ 編集]

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プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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