ワールド&インテリジェンス

ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

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もうひとつの日米密約

 外務省の有識者委員会が、日米密約の存在を認定しました。
 なかでも60年の安保改定時の「核搭載艦船の寄港を事前協議の対象外とする」という密約は、「暗黙の合意」が存在し、「広義の密約」に相当すると判定されました。
 栗山尚一・元外務次官の証言によると、もともと曖昧だったこの問題をアメリカ側が後に懸念し、68年1月、当時のジョンソン米駐日大使が牛場信彦・外務次官と東郷文彦・北米局長に対して念押しした事実があるということです。それで、東郷局長がこの密約の経緯をまとめたメモを作成し、その後、外相や首相が変わるたびに外務次官が密約について説明していたとのことです。栗山元次官も89年に当時の海部首相と中山太郎外相に対して説明し、了解を得ていたということですが、栗山氏の前任者の村田良平・元次官も認めているので、少なくとも海部政権までは継続して行われていたわけです。
 ですが、次の宮沢内閣では、宮沢喜一元首相も、外相だった渡辺美智雄・武藤嘉文・両元外相も故人なので、証言者がいません。当時の小和田恆・外務次官は言わずと知れた皇太子妃の実父なので、なんとなくアンタッチャブルな存在になっています。次の細川政権あたりからは、反自民政権に伝達してはマズイという判断があったのかもしれません。
 いずれにせよ、密約はなぜ必要だったかというと、日本政府がアメリカに対してノーと言えなかったためです。苦渋の選択だったとは思いますが、やはりそんなのはおかしいと思います。国民に情報を開示し、その判断に任せるべきです。
 それで日米同盟が壊れるかもという懸念があったのかもしれませんが、そんなことで日米同盟は壊れません。理由は簡単で、アメリカの国益に反するからです。アメリカは日本のタテマエを立ててやり、曖昧さを残すかたちで決着したことでしょう。こうした曖昧外交というのは、韓国への戦後賠償とか、沖縄返還時のニクソン=佐藤共同声明第8項とか、歴代の日ソ間の共同声明とか、けっこうよくあることです。両国でそれぞれ都合よく解釈するというウラ技ですね。
 そういうのもどうかとは思いますが、政権担当の方々はせめてそこを苦心していただきたいですね。密約はアウトです。詐欺ですから。

 ところで、昨年、私が週刊朝日に寄稿した「もうひとつの日米密約」について、ここで紹介しておきます。
 これは、70年代前半に金大中事件の関連してマスコミで騒がれた自衛隊ウラ部隊について、その誕生に日米間の秘密協定があったことが、当時を知る関係者への取材からわかったという話です。
 そもそも自衛隊の前身である警察予備隊は、旧軍の服部卓四郎一派が排除され、旧内務省系の人脈を中心に創設されました。情報関係を主導したのは、初代の陸幕2部長となる小杉平一(後に関東管区警察局長)、2代目2部長となる山田正雄(後に陸幕長)、内局調査課長となる後藤田正晴らの旧内務官僚エリートたちでした。それまでG-2と連携していた有末機関・河辺機関系の人脈もほとんど入れませんでした。
 そこで在日米陸軍は、警察予備隊の警察士長(3佐)・1等警察士(1尉)クラスの人間を在日米陸軍情報部隊で研修させ、その配下に組み込むことにしました。これがそもそものスタートで、よってその後もこのウラ部隊では、組織の発端は「マッカーサー司令部の命令」だと代々言い伝えられてきました。
 けれども、実際にはちょっと違っていて、その時点ではまだちゃんとしたものにはなっていませんでした。じつは、昭和29年の吉田茂政権末期に日米相互防衛協定(MSA協定)というのが日米間で締結され、正式に自衛隊が創隊されるのですが、その際、当時のジョン・ハル極東米軍司令官から吉田首相に書簡が出され、「陸上自衛隊と在日米陸軍が共同で諜報活動を行う」という秘密協定が結ばれます。この秘密協定をもとに前述した諜報研修が順次拡大され、昭和36年に非公然組織「陸幕第2部情報1班特別勤務班」が発足します。これがこのウラ部隊の正式な誕生になります。
 そもそもこの諜報研修は米軍側では「MIST-FDD」と呼ばれていました。FDDというのはキャンプ座間を本拠とする米陸軍情報部隊「第500情報旅団」の朝霞キャンプにあった分遣班の名称で、MISTというのはミリタリー・インテリジェンス・スペシャリスト・トレーニングの略。ミストと発音します。この研修はFDDによって朝霞キャンプで行われ、設置された共同部隊もそこを本拠としました。後に朝霞キャンプ(キャンプ・ドレイク)が日本側に返還されたのにともない、このウラ部隊もキャンプ座間に移転します。
 ところで、当時の陸幕2部では、ミストに語感が似ているからということで、この秘密の日米共同班に「武蔵」というコードネームをつけます。昨年、元隊員が出版した手記に初めて名前が登場した「ムサシ機関」というのは、このことです。
 武蔵という通称はその後、使われなくなり、部内ではもっぱら「特勤班」と通称されます。「別班」との通称もありましたが、マスコミには70年代にこの通称が漏れ、このウラ部隊はマスコミ的には「陸幕2部別班」ということになって今日に至っています。特勤班の実情については、『軍事研究』『週刊朝日ムック』に拙稿を書いておりますので、そちらを参照していただければ幸いです。
 興味深いのは、この特勤班の過去の活動内容について、現在の防衛省当局はあまり詳細を知らないようだということです。というのも、昨年春に私が『軍事研究』や拙編著『戦後秘史インテリジェンス』に初めて元隊員の実名証言を掲載し、その後、別の元隊員が手記を発表するなどしたことを受け、関係筋に「あの話はどうなの?」という問い合わせがあったらしいのですが、もう古い話なので、防衛当局にもほとんど関係資料がないようなのです。
 私が間接的証言として聞いた話では、80年代くらいまで、陸幕にはこの特勤班誕生に関わる日米秘密協定の文書が残っていたようですが、その後、どうなったかは定かでありません。たぶんよくわからないまま破棄してしまったのではないかと思います。
 ハル=吉田秘密協定について、私自身は実物を見たわけではありません。しかし、この話を証言していただいた方は、かつてこの件の詳細を知る立場にいた方ですので、その信憑性は非常に高いと私自身は確信しています。
 残念なのは、この件に関して、昨年出版された前述の手記がかなり話を誇張・脚色して書かれてしまったため、現在、関係者が互いに牽制する事態になってしまっていることです。すでに皆さん70代後半から80代の方々なのですが、まだいろいろしがらみがあるらしく、実名でお話しいただけない状況です。
 日米関係に関わる戦後史には、まだまだ知られていない秘史がありそうです。
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  1. 2010/03/10(水) 23:21:46|
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プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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