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ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

ラフサンジャニはハト派?

 イランでは、最高指導者ハメネイのライバルであるラフサンジャニ元大統領(現専門家会議議長)の動向が注目されています。穏健改革派の重鎮で、国内外でいわゆる「ハト派」と見られている人物ですね。

【イラン騒乱】カギを握る実力者ラフサンジャニ師 不気味な沈黙続く
産経新聞
ハメネイ師の罷免権握る議長はラフサンジャニ師 『専門家会議』焦点に
東京新聞

 ただし、このラフサンジャニも必ずしもクリーンなわけではありません。アハマディネジャドが大統領候補者討論でムサビの背後にいるラフサンジャニを「腐敗している」と名指しましたが、これはイラン国内ではよく知られたこと。縁故贔屓が一般的なイランにおいても突出していたほど、親族をあからさまに利権役職に就けたりしています。
 ハト派というのも、外国人の私たちが考えるハト派というのとは少し違います。
 たとえば、ラフサンジャニは79年のイスラム革命直後、内相として政敵弾圧の片棒を担いでいます。ホメイニの私兵・革命防衛隊の創設を主導し、その初代副司令官にもなっています。
 ラフサンジャニは89年から97年まで大統領を務めていますが、その頃に海外で実行されたたくさんのテロが、実際には大統領府情報部にコーディネートされています。大統領府情報部長アハマド・べバハニもラフサンジャニの親族にあたります。
 イランはイスラム革命以降、一貫して国外に亡命した反体制イラン人の暗殺を続けてきました。強硬なホメイニ路線が徹底していた80年代中旬までがその最盛期かというと、現実はその逆で、ホメイニの指導力が低下した晩年から死去後までの88~93年がピークでした。
 暗殺の主舞台となったのは亡命者たちの本拠地であるパリですが、他にもベルリン、ウイーン、ドバイ、ラルナカ(キプロス)、イスタンブール、ローマなど、少なくとも21カ国以上で350人以上がこれまで殺害されてきました。とくに、ラフサンジャニが大統領に就いた89年以降、反体制組織司令官や元閣僚クラスの有力活動家が20人以上も殺害されています。
 ホメイニの著者死刑宣告によって、『悪魔の詩』関係者もテロに遭っています。日本でも91年に同書の翻訳者だった筑波大助教授が惨殺されました。未解決ですが、まず間違いなくイランによる暗殺と考えていいでしょう。
 こうしたテロ実行のメカニズムについて、欧州でのいくつかのテロ事件裁判を通じ、反体制派組織が詳細に明らかにしています。
 たとえば、96年8月、バニサドル元大統領が92年のミコノス事件(ベルリンのレストラン「ミコノス」で反体制派が暗殺された事件)の裁判で証言台に立ち、独自の情報網から得た情報として「イランの権力中枢には、ハメネイ最高指導者、ラフサンジャニ大統領、ファラヒヤン情報相、アリ・ベラヤチ外相らで構成する秘密会議があり、テロ作戦はそこで決定されて情報部に指令される」と証言しています。
 反政府側の情報ですが、権力内部に情報源を持つイラン反体制派の情報は比較的確度が高いので(核開発情報などもほぼ正確)、以下にその概要を記します。
A:決定はごく少数の権力中枢が構成する最高安全保障委員会が行う。
B:作戦実行については、大統領府情報部が作戦指令本部となり、情報省情報部と革命防衛隊特殊部隊「クドス部隊」が実行部隊となる。
C:外務省(外交郵袋による武器輸送と要員への外交特権付与)、国防省(武器調達と後方支援)、郵政通信省(通信及び情報収集)は側面から協力。各国のイラン大使館が全面支援する――。
 まさに国家をあげてのテロ体制ですが、その意思決定の中心に大統領、つまりラフサンジャニがいたことはまず間違いないようです。

 イランはまた、90年代に外国人用のテロ訓練所も運営していました。一説には11箇所あったという情報もありますが、そのうち最大規模のものが、コム近郊のイマム・アリ基地です。サウジアラビア、アルジェリア、エジプト、パレスチナ、ヨルダン、レバノン、リビア、スーダン、シリア、トルコからのイスラム過激派を訓練し、イラン主導の海外テロ作戦の主力要員を養成していたとみられています。97年までに約5000人が訓練を受けたとの未確認情報もあります。
 この訓練施設の創設は94年。監督は大統領府情報部で、運営はクドス部隊が担当です。当時の大統領はラフサンジャニですから、これも彼自身の決定によるものと考えられます。
 当時はイランのヒットマンとしてヒズボラが世界各地でテロをやっていましたが、アルゼンチンでは94年の対ユダヤ人施設テロ(96人殺害)の共謀共同正犯容疑者として、2006年にはラフサンジャニに逮捕状まで出ています。
 さらに、ラフサンジャニは91年12月にスーダンを訪問していますが、その直後から革命防衛隊が同国に派遣されています。彼らはいわゆる軍事顧問団としてスーダン軍を訓練するととももに、当時からスーダンを拠点としていたエジプトの「イスラム集団」を筆頭とする各国のテロ組織にも軍事訓練を開始しています。ちなみに、こうしたテロリストの多くが後にアルカイダに合流しています。
 また、イランは90年代前半、ボスニア内戦にもモスレム勢力側を支援するために革命防衛隊約1000人を派遣しています。これらの決定の背後に、間違いなく当時のラフサンジャニ大統領がいます。
 イランではこうした人物が今、改革派の希望になっているわけです。
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  1. 2009/06/24(水) 18:44:53|
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

イラン・イスラム共和国の政治・軍事機構の組織的脆弱性

イランの意思決定機構について、ロシアの危機管理研究所の論文を訳したことがあります。ラフサンジャニ時代のものです。
  1. URL |
  2. 2009/06/25(木) 22:48:08 |
  3. 元諜報員 #y1.rB1Oc
  4. [ 編集]

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黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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