ワールド&インテリジェンス

ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

戦場NAVIその1/ボスニア編①

『ワールド・インテリジェンス』vol2の記事制作でアップアップな状態が続いていて、なかなかブログまで手がまわりません(弊誌サイトのほうも開店休業の状態です)。
 そこで、苦し紛れにコラム企画を考えてみました。題して「戦場NAVI」。現地での情報収集ということでは、取材活動もインテリジェンス活動に通じるところがあるので、「戦場取材とはどういうものか」ということを、ちょっと話が古いけれども、私の体験から紹介しようと思います。ただの個人的な思い出話なので、アップ・トゥ・デイトなインテリジェンス・マターに興味のある方にはまったくつまらない話になりますのでご容赦を。
 私の場合はもちろん、訓練されたインテリジェンス・オフィサーとは違い、ほとんど珍道中に近いものですが、それでも場数だけは踏んでいますので、まあネタはたくさんあります。「紛争地の歩き方」の一例として読み飛ばしていただければ幸いです。
(私の尊敬する戦場野郎・加藤健二郎さんの著書『戦場へのパスポート』『戦場のハローワーク』のコンセプトのパクリですけど・・・)

 と、「です・ます」調のごあいさつはここまで。以下さっそく本題に―ー―ー。

 さて、現場取材というかたちの情報収集を行なうには、とりあえず現場=つまり戦場にたどり着かなければ始まらない。では、戦場へはどうやって行ったらいいのか?
 まずは、私がこれまで体験したもっとも激しい激戦の地=内戦勃発直後のボスニアの例を紹介しよう。

 89年11月のベルリンの壁の崩壊をきっかけに、東欧諸国はドミノ式に民主化された。私はその頃、ニューヨークのブルックリンというなかなかハードボイルドな町に住んでいて、そこを拠点にいわゆるフリーのジャーナリストとして中米だの中東だのをあちこちを渡り歩いていた。
 90年8月からは中東に入って湾岸危機の取材に入ったが、翌91年1月からの湾岸戦争が一段落した後、91年春よりモスクワにアパートを借りて暮らし始めた。
 その年のモスクワはソ連からロシアに変わる激動の時期だった。私はモスクワでの取材活動にかかりっきりで、しばらく戦場取材をする余裕はなかった。その頃、旧ユーゴスラビアではスロベニアの独立運動から流血の民族衝突が始まっていて、クロアチア独立紛争では激しい市街戦まで発生していたが、私は結局、それらを取材することはなかった。
 92年に入り、モスクワの政局がいったん安定したので、私は同年春、イギリス・ケンブリッジ市の友人宅に転がり込み、現地の大学が開設している語学講座に入った。モスクワの暮らしは結構シンドいものがあったので、私は久々の文明圏の生活、しかも学生生活という楽しい時間を過ごした。
 もっとも、その間も生活費は稼がなければならないので、日本の週刊誌や夕刊紙の仕事を何本かこなした。イギリスではテニスの松岡修造選手が決勝まで勝ち上がったウインブルドンのプレ大会を取材したし、スペインに飛んでオリンピック直前のバルセロナのテロ対策状況なども取材した。
 が、その頃、世界では同年3月頃から始まっていたボスニア内戦が激化の一途を辿っていた。私はBBCやタイムズなどを見ているうちにガマンできなくなり、同年6月、学校に一時休学を申し出て、ボスニアに向かった。ロンドンのセキュリティ用品店で日本円換算で10万円くらいのケプラーの防弾ベストを買った。
 海外で取材する場合、まったくの個人で動くこともあるが、私はそのときは『週刊現代』誌に話を通した。私は無謀にも、ボスニア、南アフリカ、ソマリアなどなど何ヶ所もの戦場を連続ルポするという企画を同誌に提案し、「とりあえずボスニアからやってみて」ということでOKを得た。
 メディアとの契約のことを「アサイメント」というのだが、これを獲得しておくのとおかないのとでは、経費の面で大きな違いが出る。アサメントがなければ全額自腹だが、アサメントがあれば、原則的に経費は雑誌社に請求できる。ただし、ここが日本の出版業界の妙なところなのだが、最初から版元サイド発注の場合は全額版元負担だが、ライター売り込み企画の場合はそのあたりがファジーなのだ。経費請求はまあ金額次第ということになり、どこまで出してもらえるかは、実際のところ、担当編集者の編集部内での発言力次第というのが現実である。
 外報部が完備されている大手メディアとは違い、出版社の場合は海外事情に詳しいスタッフもほとんどいないので、取材法などはすべてこちらに一任される。このとき、担当編集者からの要望は「日本人としてのサラエボ一番乗り」だった。これは「タイトルを打つ」ことを考えた場合に当然のことで、私も異論はない。当時、日本人のフリーランサーでサラエボ周辺および郊外の空港エリアを取材した人はいたが、包囲された市内に入って取材した人は(たぶん)いなかった。大手メディアの場合は、今もそうだが、責任問題が面倒なこともあって社員記者を危険地帯には派遣しない。

 さて、そんなこんなでともかくボスニア戦場取材を思い立った私は、「では、どうすれば戦場に到達できるか?」を考える。順序としては、まずはメディア報道を片っ端からチェック。それによって、「先行の記者たちはどこを取材できているのか」ということがわかる。
 紛争地の場合、物理的なアクセスの問題だけでなく、取材対象のガード(記者を受け入れない軍・武装勢力も多い)という問題もある。実際のところ、BBCやCNNが入れていない場所に私ごときが潜入できるはずはない。
 ボスニアの場合、特徴的だったのは、どうやら記者たちが「どこへでも自由に入れている」らしいということだった。何人ものベテラン記者たちが「こんなに最前線が取材できたのは初めてだ」と書いているし、確かに戦闘場面のルポルタージュもたくさん出ている。現に、その時点ですでに約30人の記者が死亡していた。「オレの体験はこんなにすごい!」式のレポートには誇張が付き物だが、数字はウソをつかない。
 ボスニアがこんなに「取材できてしまう」のは、おそらく戦闘中の現地軍がまだ即席の軍隊で、報道統制というものがまだしっかりと出来上がっていなかったからだと考えられた。どこの軍隊でも体制が整ってくると、外国プレスの影響力を痛感し、報道管制を敷く。ボスニアの場合、内戦はまだまだ拡大の様相をみせていたが、取材者としては、早く現場に入らないと、今のような自由な取材ができなく恐れがあった。
 報道というのは常にいちばん緊迫した瞬間の情報を切り取って伝えるので、読者・視聴者には当然ながらそうしたイメージが伝わるが、報道されている戦争と実際の戦場でたいてい違っていることのひとつは、「戦闘はそんなにいつも行なわれているわけではない」ということだ。
 戦争の最中とはいえ、戦場のほとんどの時間は、非常に静かである。たいていの戦争では戦場は広域に広がっており、昨日はあっち、今日はこっちというふうに戦闘がある。したがって、これは私のようなハイエナ系記者にかぎらず、世界の一流メディアでもまったく同じなのだが、記者たちは戦場で「流血の場所」、もっとミもフタもない言い方をすれば、ライバル同業者たちと「死体や怪我人」探しの競争をしている。
 現に私は当時、すでに4年近く戦場取材を続けていたが、目の前を銃弾が飛び交うような戦闘シーンには遭遇したことがなかった。戦場に行くことはそんなに難しくないが、戦闘現場に身を置くということは、それなりの経験を積んで取材ノウハウを身に付け、それなりの嗅覚を働かせなければ実際には難しいものだ。
 ボスニアからの「死のリアリティ」があふれる各報道は、不謹慎な言い方だが、そこに「戦闘のど真ん中」に身を置くチャンスがあることを示していた。

 さて、どうやらボスニアに入れば最前線の取材をするチャンスがありそうだということはわかった。では、どうやってそこまでアクセスするか?
 ぶっちゃけて言えば、こういうとき、もっとも参考になるのは同業者の情報だ。アメリカに住んでいたときもソ連に住んでいたときも、取材方法に関しては、欧米メディアの支局あるいは現地メディアに聞くのがもっとも手っ取り早かった。とくに米英の国際メディアはどんな現場でもそのアクセス法を真っ先に開拓するので、そこに知り合いを作っておくことは非常に重要だった。
 取材ノウハウを同業者に頼るというのは情けない話で、フリーランスのなかにはそういうことを一切しない人もいるのだけれど、私の場合、実利主義なのでそういう面でのプライドはあまりない。実際、日本人のフリーである私と、APやロイターでは実力が横綱と乳児ほども違うので、そのへんは私は割り切って甘えることにしている。
 では、こうした国際的なメディアと知り合うにはどうするか? ロンドンやニューヨークの支局にいきなり尋ねていっても、門前払いを食うのがオチである。いちばんいいのは取材現場での名刺交換。そして、現場での記者同士の酒宴に積極的に参加することだ。ノミ二ケーション(?)を古い日本社会の悪癖だと馬鹿にする向きもあるが、私の経験では、万国共通に有効だと思う。
 ともあれ、そのとき私は知人の欧米メディア記者数人を通じて情報を集めたが、それによると、もっとも一般的な方法は、クロアチアに飛び、国際援助物資を運ぶコンボイに同行して首都サラエボに入る方法だということだった。だが、それだとほとんど直接サラエボへのイン&アウトになり、他の土地の取材が難しい。
 私はそれまでの取材経験から、ひとつの方法論を自分なりに持っていた。敵対する両陣営を取材すること、である。片方の陣営だけの取材では、紛争の全体像がどうも見えづらいからだ。
 そこで、行き当たりばったりになるが、ともかくボスニア紛争3派(クロアチア人、セルビア人、イスラム教徒)のなかでももっとも外国プレスと疎遠な関係にあるセルビア人側を最初に取材することにした。最初の目的地をユーゴの首都ベオグラードと決めたのである。
 細かい話になるが、アクセス・プランで意外と重要なのが、ビザと航空券の問題だ。ビザは国籍によってみな制度が違うので、通過予定国も含めて日本人の場合を事前に確認しなければならない。だが、たとえばロンドンの東欧各国の大使館に電話しても、よくわからなかったり、いまいち信用できなかったりするから、確実に確認したいときは東京の大使館まで電話確認するほうが間違いはない。
 どういう動きをするかわからないので、ビザは原則的にマルチ・エントリー。その国の中で取材活動を予定している場合は、報道ビザ取得可能かもいちおう確認する。ただし、私の経験では、報道ビザが必要だったケースはそんなにはない。
 ちなみに、報道ビザの申請というのは、プレスカード(記者証)の申請と同じで、原則的には所属報道機関からの手紙が必要になる。なんだかたいへんそうだが、実はそんなに面倒ではない。実際のところ、取材用のプレスカードを作るか作らないかというところが、旅行者と取材者の分岐点なのだが、そのノウハウについてはまた稿をあらためたい。

 さて、そのとき私は、まずユーゴ(セルビア側)に入りたいと決めたのだったが、当時すでにベオグラードの空港は閉鎖されていたので、私はロンドンからハンガリーのブダペストに飛んだ。航空券はロンドンの格安航空券を扱う代理店で購入した。
 ビザの場合は取材アクセスの制度的な問題だが、航空券については経済上の問題である。いまや世界は航空路で縦横にネットワークされていて、たいていの場所には数日内で行けるが、じつは、航空券の価格が購入地によってかなり違う。たとえば、私が学生バックパッカーだった80年代前半でいえば、ヨーロッパではアムステルダムとアテネが格安チケットの本場だったが、90年代はすでにそんなことはなく、ロンドンでも格安チケットが入手できるようになっていた。社員ジャーナリストでないフリーの場合、いくら雑誌社のアサイメントがあっても会社がどこまで出してくれるかはいまひとつ信用できないので、取材経費はできるだけ切り詰めなければならない。
 アクセス・プランを考えるとき、まずはビザの問題、次いで交通費や交通アクセスの問題を検討することになる。たとえば、アメリカから南米に行くときにマイアミからよりニューヨークからのほうが安かったり、アメリカから安く中米に入るときに陸路でメキシコに入り、国内便でメキシコをショートカットすると安いなどということがある。今では日本発も安くなったが、以前は結構高かったので、アフリカに行くのにいったん香港に飛んで、そこで航空券を購入したこともあった。
 また、路線によっては混雑していてすぐに乗れない場合もあるので、いろいろ裏ワザが必要なときもある。たとえば、北京にすぐに入りたかったが空がなかったため、いったん香港に飛んでそこから広州に入り、広州から国内便で北京に飛んだこともある。結果的には経費もそちらのほうが安くついた。このあたりは格安旅行術そのものだ。

 話がだいぶ脱線した。ボスニアの話に戻ろう。
 私はブダペストは初めてだったので、ホントは少しブダペスト見物もしたかったのだが、空港から中央駅に直行し、そのままベオグラード経由アテネ行きの国際列車に乗り込んだ。今はどうかわからないが、当時はハンガリーもユーゴスラビアも日本人はビザ免除だったので、そんなことが可能だった。
 後から思えば、ベオグラードでも取材すべき対象はいくつもあった。とくに、セルビア民族主義者陣営やらセルビア人の裏社会関係などは、ボスニア内戦の影の主役でもあり、話を聞いておくべき相手だった。
 だが、当時の私はそんなことには気づかず、まずは何はともあれ戦場取材を狙った。ボスニアの首都サラエボを包囲し、市内に爆弾の雨を降らせているセルビア人部隊の取材を考えたのである。
 そのために私はまず、ボスニアに入るためユーゴ政府の正式な許可を得ようとした。内務省、外務省、大統領府報道部などをまわり、そのどれかでゲットしたのだが、どこだったかは忘れてしまった。いずれにせよ、取材対象国に到着した場合、まずは政府機関や軍の報道担当セクションに顔を出す。そこで「どこそこに行く」あるいは「なになにを取材する」ためには何か特別な許可が必要かどうかをチェックするわけだ。
 ベオグラードでは国連部隊(国連保護軍)の本部にも行き、そこで記者証を作った。当時、ベオグラードの国連軍からボスニア各都市への援助物資コンボイも出ていて、メディアは自前の車両を調達すれば、そのコンボイにくっ付いて現地に行くことができた。
 国連軍に同行すれば、セルビア側もまず攻撃したりしないから、それは安全確保ということでは非常に有効な方策だったが、当時の私にとっては、自前で車両を調達するなどという「贅沢」は考えられないことだった。
 ただ、この国連軍部隊本部には各国からのメディアが集結していて、いろいろ情報収集には便利な場所だった。ベオグラードからボスビアに乗合バスが出ているなどとう情報もここで入手した。
 知人のFNS(フジテレビ系)モスクワ駐在記者にもここでバッタリ会った。「ボスニアに入りたいけど、危険だという理由で会社が許可を出さない」と言っていた。私も実はそれから数年後、同じフジテレビの番組の取材でサラエボに入ることになったのだが、クロアチアの首都ザグレブまで来てから、危険だとの理由でストップがかけられ、なぜか取材地をモスタルに変更されたことがある。モスタルはサラエボ以上に危険な町だったが、東京の局上層部はそれを知らなかったのである。
 ところで、当時、ベオグラードでユーゴ政府の事実上のプレスセンターになっていたのが、国営通信社だった。たいていの報道資料はそこで発表するから、私もそこにはしばしば顔を出し、情報を集めた。こういう場所は、情報収集だけでなく、各国から来ている記者や、地元の記者たちと知り合いになるのにもいい場所である。たいして用がなくても時間があれば私はこういうところには顔を出すことにしている。そういえば、そこで日本の某紙特派員にも会った。ときおりいるタイプの、なんというか、フリーを見下した感じの人だった。
 もっとも、ベオグラードでやることはあまりなかったので、私はまもなくボスニアのパレという町に向かう長距離乗合バスに乗ることにした。パレというのはサラエボから約15キロの山ひとつ離れた町で、戦争がはじまってからはサラエボからセルビア系住民が多数逃げ込み、当時はボスニアのセルビア系住民の首都のような役割を果たしていた町だった。サラエボを砲撃しているセルビア人部隊を取材するなら、まずパレに行ってみる必要があった。
 乗り合いバスは早朝にベオグラードを出発した。(続く)
スポンサーサイト
  1. 2006/07/26(水) 10:10:12|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<週刊エコノミスト増刊「ドル・原油・戦争」 | ホーム | 日米同盟の幻想>>

コメント

読んでください。

読んでください。この記事を広められないかしら。

戦争の体験談を語るわ
http://mamesoku.com/archives/183772.html
  1. URL |
  2. 2010/06/09(水) 11:32:23 |
  3. まさみ #-
  4. [ 編集]

まさみ様 投降をありがとうございました。
私にはよくわからないサイトでしたが、ボスニア紛争の取材を思い出しました。短期間でしたが、私のこれまでの全紛争地取材経験のなかでももっとも濃密な時間でした。
  1. URL |
  2. 2010/06/24(木) 10:36:17 |
  3. 黒井文太郎 #-
  4. [ 編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://wldintel.blog60.fc2.com/tb.php/17-f227ba36
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。