震災と復興と悔しさと…10年目の福島県いわき市を歩く
黒井文太郎レポート【後編】2021年04月08日
FRIDAYデジタルhttps://friday.kodansha.co.jp/article/1732922011年3月、東日本大震災。地震、津波、そして原発事故。そんななか「すこし特殊」だった福島県いわき市の復興を支えた人を、いわき出身の軍事ジャーナリスト黒井文太郎が取材した。
いわきの「特殊な立ち位置」いわき市は被災地としては、ちょっと特殊な位置づけになる。
岩手や宮城の海岸部は、津波で凄まじい被害を受けた。福島県浜通り双葉郡の各町は、原発事故後の放射線被害で長期の避難生活を強いられた。それらに比べ、いわき市は全体的にみると、少し事情が違う。
僕は高校までいわきで育った。今は関東在住で、たまに帰省する程度だが、同級生たちとは震災当時から連絡はとっている。そうした実感からすれば、東京の人がいわきを見る感覚と、いわきの友人たちの感覚には、10年前から多少食い違いがあるのだ。
福島県外の人は、いわき市を「原発事故被災地」とみる見方が強いように思う。しかし実際には、いわき市では北部の市町境の一部地域を除き、幸いなことに放射線被害はごく軽微で済んだ。線量は低く、市内全域が避難区域の対象外に留まった。いわき市民でも原発事故への無念を語る人は多いが、それは双葉郡の被害を含めての話だ。
震災直後は原発事故の状況がよくわからず、タンクローリーや各種配送車がいわき市内へ立ち入ることを拒否したため、生活物資が枯渇し、多くの市民が市外に脱出するということもあった。だが、そうした事態は数週間で元に戻り、ほとんどの市民は静かに普通の生活に戻った。むろん現在も続く農業・漁業の風評被害は大きいが、風評被害の元凶は「風評」だ。
この風評被害について、悔しい思いを持つ知人は多い。たとえば農産物は、厳しい検査で安全性が確認されているのに、福島県産というだけで敬遠される傾向が当初はあった。実際には地域の線量は低いにもかかわらず、放射線の脅威を誇張する一部のメディア報道に対する違和感を、郷里の友人たちはしばしば伝えてきた。
(以下略)
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- 2021/09/27(月) 15:24:30|
- FRIDAYデジタル/黒井文太郎・執筆記事
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