私の故郷は福島県いわき市の平という町です。今は「いわき市」といえば、なんといっても原発事故の現場の近所ということで有名になってしまいましたが、もともと全国的には常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾート・ハワイアンズ)以外にとくに知名度もない地味な町でした。地元で大きな会社といえば呉羽化学(現・クレハ。メイン工場がある)やアルパインなどで、他にも海岸部を中心に化学工業などもありますが、もともとは炭鉱、漁業、農業の土地でした。
そんないわきではその昔、大正末期から昭和前期にかけての貧しい時期に、農民文学のグループがありました。中心にいたのは小川町出身の詩人・草野心平です。カエルにまつわる詩を多く残し「蛙の詩人」と呼ばれていた人物です。
この草野の周辺にいたのが、詩人の猪狩満直や三野混沌、作家の吉野せいなどです。
北海道開拓の経験があり、詩集「移住民」などがある猪狩は、好間町出身ですが、実は私の縁戚にあたります。といっても、叔父の婚姻による遠戚なので、直接の血縁ではありません。ただ、そんな背景があったからか、猪狩や草野については子供の頃から少し聞いていました。なお、猪狩の生家は、私の実家の隣町ですが徒歩圏内で、私の父母は叔父ともどもそちら縁戚の方々と親戚付き合いがありました。
ところで、このグループでもっともメジャーになったのは、吉野せい(小名浜出身)ですね。彼女は三野混沌(平出身)の妻で、結婚後は長く作品を書いていなかったのですが、三野が死んだ後、70歳を過ぎてから執筆を再開し、昭和49年(1974年)に出版した「洟をたらした神」がヒットしました。ちなみに、偶然ですが、三野の生家は私の実家のすぐ近傍で、吉野の生家は私の父方の本家のすぐ近傍です。
ということで、ほんのわずかに農民文学に人の縁があるのですが、現在に至るもそちら方面は読者としてはほとんど縁遠いですね。ちなみに農民文学ですから、当時でもいわゆる左派の系譜です。
いわきは東北地方の田舎らしく、どちらかといえば保守王国なのですが、かつては左派もいて、もちろん農民文学とはまったく別の話ですが、「平事件」などという事件もありました。昭和24年(1949年)、共産党が警察と対立、ついには警察署を襲撃した事件です。子供の頃はのんびりした町という印象だった平ですが、戦後はアツかったのですね。もちろん私が生まれるずっと前の話ですが。
スポンサーサイト
- 2016/10/19(水) 19:20:12|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0