昨日、明治大学国際日本学部で講義しました。東アジア論の講座だったのですが、東アジア以外のテーマとの要請でしたので、現在の国際紛争の最新潮流である「イスラム過激派」の動向を主題に、「ロシア・ファクター」の話を少し絡めて解説しました。
また、これも先方様のご希望により、後半は学生さんたちも関心があるという集団的自衛権の話。
学生さんに聞いてみたところ、賛成・反対・それ以外、とそれぞれいらっしゃいますね。
集団的自衛権の問題は、たしかに話題になっていることを感じます。昨日も新宿駅を歩いていたら、後ろの若者がこの話を熱心にしていました。
私自身はこの問題では過去に本を書いたこともありますし、もちろんそれなりの持論はありますが、こうした場で持論を押し付けるようなことは避けました。けれども、ちょっと思うことがあります。
学生さんにもお話したのですが、この問題は原発問題に似ていて、国論がそれこそ2分され、感情的な反発が双方に多くみられる気がします。賛成の方も反対の方も、いずれも日本を滅ぼしたいわけではないのですから、持論が正義で反対論は悪だというような狭い捉え方をせず、現時点の持論を結論と限定せず、現実的視点で、そこから先を見て議論していただきたいなと感じます。
反対派が賛成派を「軍国主義者」と罵ったり、逆に賛成派が反対派を「平和ボケ」と罵ったりしても、何も生まれません。
安保関連の出版・言論の片隅にいる者としてこれまでも感じてきたことですが、左右の罵り合いにはあまり生産性はないように思います。自分たちだけを「愛国者」と呼んで、反対論者に「非国民」とレッテルを張ったり、逆に自分たちだけを「市民」と呼んで、反対論者を「ファシスト」とか「権力の犬」とか呼んだりするのはいがなものかと。そうした方々だけが愛国者とか市民とかいうわけではないですからね。
私自身は、自分はリアリズムを基準に判断したいという希望があって、結果的に集団的自衛権容認ですが(本来は憲法改正容認で、解釈改憲は反対です)、かといってこれまで「平和ボケ」という言葉を使ったことはなかったと思います(たぶん)。
それともう1点。
これは講座の先生から質問をいただいたのですが、今回の解釈変更で中国などが防衛政策を変更するなど考えられません。近隣国からの懸念の声などは政治的な問題であって、防衛政策とは無関係です。
つまり、たとえば中国はこれまで、日本が集団的自衛権行使しないと言っているから、有事に自衛隊が出てこないだろうとの前提で自国の防衛政策を進めたりはしません。そんな政治的判断は有事にはどうなるかわかりっこないと思っていて、基本的には米軍+自衛隊を仮想敵として作戦計画を考えます。
そもそも日本は「軍隊を持たない」と宣言しながら強力な自衛隊を保有している国家ですからね。中国が日本の「言葉」を信じるほど甘いとは考えられません。
そういう観点は右とか左とか関係なく、リアリズム(政治学のリアリズムとは少々意味が違いますが)の考え方が重要だろうと考えています。
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- 2014/07/06(日) 10:14:15|
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