インテリジェンスの基本ですが、「人は誰でも、限られた情報をもとに不完全な分析をして、間違った判断を下しがち」ということがあります。どんな優秀な人でも、常に正しいなどということはありえません。
なので、情報が更新されれば、判断をどんどん変化させていくのが、じつは健全な態度ということになります。「私はブレない!」などと自慢する人が、インテリジェンス的には落第になります。そういった意味で、以前も書いたことがありますが、鳩山元首相の「学べば学ぶほどわかった」との最高権力者としての画期的な発言は素晴らしいです。学ぶべきことがもっといっぱいありそうですが。
ということで、政治家の方々も、ときの情勢、ときの立場で発言を変えるのは、私は全然アリだと考えています。むしろ、状況が激変してもずっと同じ主張に拘泥しているほうが害悪が多いようにすら感じます。一般論ですが。
ということで、憲法解釈変更が話題になっている今、2005年に私が編集・構成(インタビュー)を担当した『日本の防衛7つの論点』を読み直してみたら、なかなか感慨深いものがあったので、当時の何人かの政治家のインタビューをご紹介します。
まずは石破幹事長。当時は最初の防衛庁長官をやめたばかりで、自民党国防部会防衛政策検討小委員会委員長という立場でした。以下、記事中より抜粋。
――このアメリカとの付き合い方ですが、まさに現在、防衛問題でいちばんの話題といえば、日米の戦略的パートナーシップの問題です。アメリカが今、進めようとしているのは、日本を極東だけを対象とする同盟国ではなくて、世界戦略レベルで同盟国にしていこうというプロセスと思われますが、これについては賛成ですか?
「基本的には賛成ですが、『わが国としていかなる国益のためにどのようなことをやるのか?』……逆に言えば、『このようなことはやらないのだ』というメルクマールのようなものを整理しておくことが前提となるべきです。
たとえば、テロ特措法やイラク特措法に基づく活動は、日本の国益に大きくかかわる話でしたが、では日本の国益にとってなんの関係もない話にも乗るべきなのかといえば、無条件にそうはならないでしょう」
(中略)
――ところで、石破さんは防衛庁長官在任中に、先ほど順位付けしていただいたような、さまざまな相手との折衝の経験があったと思いますが、そのなかでもっともやりづらかった相手はどこですか?
「うーん、やりづらかった相手、ですか……」
――たとえば、トップ3でいえば……。
「そうですねえ。やっぱり、『公明党』→『政界の実力者』→『外務省』といった順ですかね」
――公明党はやりづらそうですね。
「政界の実力者、といわれる方たちでも、個人的に法案採決の本会議を欠席したりはされていましたけれど、派閥まで動かして決定に絶対反対という行動はなさらなかった。外務省は当然、官邸とは連動していますしね。ですから、交渉がいちばん難しかったのは与党・公明党でしたね」
――長官自ら公明党に説明に行ったりということもしたのですか?
「それはありますよ」
――私の印象では、公明党も執行部は防衛問題で自民党や防衛庁とそんなに考えが違うわけでもないんだろうなという気がします。ただ、護憲・平和主義という旗がありますし、創価学会婦人部あたりに気を遣わなければならないだろうし、そういう意味では板ばさみなんじゃないかと思うんですけど。
「公明党の関係議員さんは、とても明晰な方たちでしたね。でも、公明党の支持者の皆さんが納得するような政策で初めて、バランスが取れるものになるというところもあったように思います。われわれだけだと、どうしても急進的なものになりがちですから」
(中略)
――ところで、イラク特措法などをめぐる国会審議では、相変わらず奇妙な議論がありました。有名なのが戦闘地域、非戦闘地域をめぐる議論ですね。『他国の物資や兵士を輸送するとダメ』とかいうのもありました。
また、前任の中谷元長官のときには、その前のアフガンでの対テロ戦で、『油の補給はいいけど弾丸はダメ』とか、『普通の護衛艦ならいいけどイージス艦は出しちゃダメ』とか、なにかホントに不思議な議論がありました。イージス艦のインド洋派遣は結局、石破長官の時代まで論争がズレ込み、ようやく実現したという長期戦になっています。
このように、石破さんと前原さんでやった敵地攻撃能力はどうするなどという議論はかなりマシなほうで、実際には特措法を重ねるごとに与野党はハッキリ言って言葉尻をめぐる攻防に相当なエネルギーを費やしていたわけですね。イラク派遣などのときにはまさに石破さんは長官としてその最前線にいた。でも、長官という立場にいる以上、たとえ茶番劇と思っていても、『そんな議論はくだらない』とか言うわけにはいかなかったと思います。まるで内閣法制局の人がずっとやってきた世界みたいなわけですけど、どんなお気持ちでしたか?
「開き直ってましたよ。『この法案をとにかく通さなきゃいけない』『インド洋へのイージス艦派遣を実現させなきゃいけない』とかの具体的な目的を実現するのが優先でしたから、そのためにはとにかくどんな奇妙な議論でも、それを切り抜けなければならないとハラを括ってましたね」
――ああいうやり取りというのは、国民の側からしても、『あの政治家たちは何をわけのわからんことでやり合ってんだろうね』と見えると思うんですね。
「それはこちらのほうだって疲れますよ。でもしかたないですね」
(中略・オマケ)
――でも、すでに防衛庁長官を経験した石破さんにとっては、たとえば再登板などということは政治家としてのキャリアを考えればほとんど旨みがない話ですね?
「まあ、政治家としてエラくなろうとすればそうですね」
――政治家として総理・総裁を目指そうとするなら、それよりも党の3役をやったりするほうが断然有利なわけです。もしも次の改造のときに、幹事長か防衛庁長官かどっちか選べと言われたらどうしますか?
「迷わず防衛庁長官ですね」
――ホントですか? 石破さん自身がそうでも、後援会や地元の支持者が許してくれないんじゃないですか? そもそも、こんなに国防問題にのめり込んでいて、いいんですか?
「たしかにときどきは『もっと農林や建設の分野をやってくれ』とは言われますが、大方の人は、ウチの代議士はこんなもんだと思ってるんじゃないかな」
続いて前原誠司・民主党元代表。当時はまだ代表になる前で、民主党「影の内閣」のネクスト防衛庁長官という立場でした。
――防衛に関する法律をテーマに伺います。まずは基本的なところで、憲法9条と集団的自衛権行使からですが、このあたりは早急に変えていきたいということですね?
「そうですね。まあ、何かがあったときにはもう憲法改正しかないと思っています。国民にとってわかりやすいのは、9条変更ですよね。1項は残してもいいと思うんですね。で、2項はなくすと」
――2項というのは、戦力を保持しないという項目ですね。
「そう。1項はいいと思うんですよ。専守防衛の考え方が書いてあるんですね。でも、2項はどう読んだってこれは自衛隊は憲法違反ですよ。これは排除しないといけないでしょうね。
それに、憲法には国民の権利と義務は書いてあるんですけれど、国家の義務と権利はひとつも書いてないんですね。そこで私は、国家の権利である自衛権はしっかりと憲法に明文化させることが必要だと考えてます」
――そこで2点お聞きします。ひとつは、本当は憲法改正がしたいのだけれども、憲法改正は結構面倒なので、とりあえずは解釈変更で集団的自衛権行使を認めるという道を目指すのか、いきなり本丸の改憲に持ち込もうというのか、そこはどう考えていますか?
「安全保障の問題というのは、いかに国民に理解してもらえるかということですから、『あるとき気がついたら、なぜか憲法解釈が変更されていて、やれることが拡大されていた』というのは、私は健全ではないと思ってます。もし解釈変更をやるのであれば、徹底的に国民的議論を重ねたうえでなければならない。そんなことも考えると、はやり憲法改正が望ましいと思うんですね。
ただ、私には、9・11テロの後に政府は憲法解釈変更の絶好のチャンスを逃してしまったなという思いもあるんですね。というのも、日本はそのとき米軍のアフガニスタン戦争に参加することになったわけですが、あれは誰がどう考えたって集団的自衛権の行使なんですよ。つまりアメリカは自衛権行使ということでアフガニスタンを攻撃した。それに日本が軍事協力したわけですから。だからあのときに憲法解釈の変更がなされなかったというのは、ひとつのチャンスを逸したのではないかと思うのですね」
――米軍に給油するということは、軍事作戦の兵站に参加したということですから、あのときをもって事実上、日本は集団的自衛権行使に踏み切ったということになりますね。
「それでもとにかく、内閣法制局は武力行使の一体化はしていないと逃げているのですね。しかしですね、給油なんてことだけではなくてですね、そもそも基地を提供することも広い意味での集団的自衛権行使なんです。ですから、武力行使の一体化はしないという一点で集団的自衛権は行使してませんよというのは、私からみるとまったくのナンセンス。逃げ口上であって、屁理屈でしかありません」
(中略)
――有事法制についてですが、これを実際に機能するものに整備していくにはどうすればいいと考えますか?
「有事法制はやはり、憲法改正を経なければ魂の入ったものにはならないですね。たとえば、有事法制策定でいちばん苦労したのは、国民の主権制限をどのように求めていくかということだったのですね。そこで、公共の福祉という有事にはあまり関係のないような概念を引っ張り出してきて、それを膨らましてようやく主権制限にもっていくという非常にまだるっこしいことをやったんです。それはなぜかというと、憲法に有事とか非常事態だとかに対する緊急の概念がまったくないからなんです。
ですから、私は憲法を改正し、平時と有事の規定を設けて、そのスイッチによって国家と個人の権利・義務関係が変わる制度をしっかり作らなければならないと考えています。そのことが憲法になければ、どんな有事法制でも有事に対応できないと思っています」
――その他の法整備についてはどうですか?
「やっぱりおかしいのは武器使用基準ですよね。これは見直していかなければならない。
緊急避難、正当防衛あるいは自衛隊法95条の武器等防護、これがベースではやはり国際貢献活動はできないですよ。われわれが自衛隊のイラク派遣に反対した大きな理由のひとつも、危険地域に武器使用の制限を自衛隊員に強いて行かせるというのはいかがなものかということだったんですね。国際標準での武器使用基準というものを、日本にもあてはめることが不可欠です。それにはマイナー自衛権という概念を導入するのがいいと私は思っています」
――マイナー自衛権とは何ですか?
「自衛権というと、日本ではすぐに国家の自衛権の話にワープしちゃうんですよ。これは内閣法制局の悪い習慣だと思うんですが。つまりは部隊が任務を遂行するうえでの自衛権というものを認めていないわけですね。
国家の自衛権は認めている。個人の自衛権も正当防衛とか緊急避難とかで認めている。でも、部隊が任務を遂行するうえでの自衛権というものを認めていないために、世界標準というか、国際慣習に基いた武器使用ができないというおかしな仕組みになっちゃっているわけです。
同じようなことが、自衛隊法84条の対領空侵犯措置にもあります。法的に、領空外では自衛隊機は相手に一切手出しができないように規定されているんですね。だから領空外で仮に自衛隊機が相手を撃ち落としたら、その操縦士はおそらく刑事責任を問われることになるわけです。つまりそれは、任務遂行のための武器使用を認めてないからなんです」
――ロックオンされても逃げるしかないですものね。
「普通の国の空軍なら、ロックオンされたら反撃していいというのが常識ですが、空自の場合はロックオンされても撃ってはいけないというのが内規です。だから、他の国の戦闘機はよく自衛隊機にロックオンして遊んでいるようですよ」
――武器使用基準を新たな任務追加ごとに細かく設定していくものだから、今ではあまりにも複雑すぎてワケわかんなくなっちゃってますよね。防衛白書の資料編には武器使用基準の一覧表があるんですけれども、もうあまりにも細かすぎて読んでて頭痛がするほどです。どうして政治がこれをすっきりさせることができないのでしょう?
「内閣法制局段階で突き当たるからです。ですから自衛権の解釈を変えなければならないわけです」
――それを変えないと、結局はどこまでも細かな規定を重ねていくことになるわけですね。
「はい。ですから、集団的自衛権行使と同じなんです。最後は内閣法制局の憲法解釈あるいは自衛権解釈という壁にぶち当たっているわけです」
――法制局が自ら解釈を変えるわけもないですから、それを変えようと思えば、実際には国会で政治家がコンセンサスを作って政府に迫るなり法律を作るなりしてやらなければなりませんね。
「そういうことです。さらにそれに付随して、軍事裁判所のようなものも造らないといけないですね。おそらく一般の裁判所では対応しきれない。ある事例について、任務遂行のための武器使用であったかどうかというところで見解が分かれてくるような場合には、専門的な裁判施設でそういった判断を行なう必要性があると思うんですね。だからそういったことも整備をしていかなければならないですね」
――そういった話をすると、戦争準備だなどと言い出す人もまだいますね。
「海上警備行動や対領空侵犯措置など、日本の警戒監視にあたっていて、それで危害射撃を行なって、相手が死んじゃう可能性もあるわけですね。
たとえば海上保安庁が奄美大島沖で北朝鮮の工作船と撃ち合いになって、最後は向こうが自沈しましたけれども、仮に海保の弾が当たって沈んだとなった場合には、あの場合は正当防衛で処理されるんだろうけれども、私はちゃんとその行為が法的に妥当であったかどうかを検証するものをむしろ設けることのほうが、実力組織にしっかりとしたコントロールを常にかけておくということで必要なことだと思います」
(中略)
――専守防衛、あるいは非核3原則、武器輸出3原則といった、いわゆる国是と言われているものについてはどう考えていますか?
「専守防衛と非核3原則はこれからも堅持すべきだとは私は思っているんです。しかし、専守防衛というのは、時代とともに中身が変わるんですね」
――そこがわかりづらいところなんです。前原さんはもちろん御自身の考えに基く専守防衛の考えがあるわけです。でも、専守防衛という言葉をもっと硬直的に、どんなことがあっても一切他国に手は出さないことだと考えている人もいる。政府は過去の国会答弁で専守防衛の定義をしたことはありますが、それでもそれが法的に明確になってるわけではないと思うんですね。結局、それぞれ主張の違う人たちが、それぞれ自分に都合のいいように解釈して使ってるのですね。
「私は、憲法9条の1項の考え方が専守防衛だと思っています。つまり、国権の発動たる武力の威嚇または行使は行なわないと。でもやられたらやり返すんだということは専守防衛の範囲内です」
――でもそうすると、世界の国はみんな専守防衛だということになりますよね。
「それはそうです。国連憲章にも同じようなことが書いてあります」
――どこの国でも軍隊は国防軍だと。自衛のためにやってるんだということですよね。そうすると、専守防衛という言葉にいったいいかほどの意味があるのかなと思うんです。逆に専守防衛を盾にして、いくらこちらに多大な犠牲が見込まれても、向こうから攻撃されるまでは絶対に手を出さないという閉じこもり戦術の根拠に利用されるとすれば、こんな曖昧な言葉やめちゃったほうがすっきりしませんか?
「専守防衛の考えそのものはいいんだと思いますよ。ただ、先ほど言ったように、時代の変化とともにその中身が変わってくる。軍事技術の革新によって、戦い方も変わっているわけですから。
以前は海を渡って押し寄せる侵略軍を想定していたから、こちらはそれを迎え撃っていればよかった。でも今は、瞬時に飛来するミサイルがあるわけですからね。専守防衛の戦術的な内容が変わるのは当たり前のことだと思います。われわれの側から戦争を仕掛けるということはしないということに捉えればいいのではないでしょうか」
最後に加藤紘一・元官房長官・自民党幹事長。当時は「加藤の乱」での失脚後。自民党議員。
――ところで、加藤さんといえば、いわゆる“ハト派”政治家の代表格として知られていますが、憲法改正には賛成なんですか?
「社会主義の崩壊などで国際情勢は変わりました。私は過去十数年、憲法9条もそろそろ論議の対象とすべきだと述べてきました。6、7年前に中国に行ったときにも『憲法9条は改正します』と向こうのテレビで話してます。
ただ、諸外国に信用されることも大事だと私は思うんですね。ですから、国内での議論はもちろん、外国への説明も欠かしてはいけないと思います。ちゃんと話せばわかってもらえると思いますし」
――では、集団的自衛権行使は当然、容認という考えですね?
「そこは2点に分けて考えるべきです。2国間の安全保障と、国際社会という枠組みのなかでの集団安全保障ということですが、いずれも集団的自衛権行使を容認しないと正しく機能しないと思います。
たとえば、日本にとっての2国間の安全保障を考えた場合、現実的には日米安保しかあり得ませんが、それを確実なものにするには、集団的自衛権行使を容認するように憲法を改正したうえで、安保条約を双務的なものにしなければならない。このとき大事なことは、それと同時に安保条約に強い事前協議制を導入することです。
他方、国連などを中心とする国際警察活動に参加するケースも考えなければなりません。私は、国連中心のコンセプトでの集団安全保障への参加は構わないと思っています」
(中略)
――とすれば、今の憲法解釈のままでも、国連軍あるいは国連決議に基く多国籍軍なら、集団的自衛権行使ではなく集団的安全保障あるいは国際警察活動というまったくべつの概念のものとして参加できませんか?
「それも理屈だなとは思いますけれども、今の憲法というのは、『わが国は2度と海外では戦闘行為を行ないません』と決めてあるものだと思うのですよ。ですから仮に警察軍だとしても、どうしてもそれに派遣しなきゃならんとなったら、憲法改正しなきゃならないと私は考えています」
(中略)
――アーミテージ氏をはじめアメリカの国防当局者は、小出しに『日本は憲法改正すべき』だの、『いや、そういうことを言ったわけじゃない』だのと日本に揺さぶりをかけていますが、アメリカとしてはだんだん日本をそういう方向に引き込んでいこうということなんでしょうね。
「たとえば97年の新日米防衛協力ガイドラインといったものも、実はそうした狙いだったと思うんですよね。それに『日本の平和と安全に重大な影響を及ぼす場合に限る』というタガをはめたのが、当時の自民党執行部なんです。具体的に言えば、政調会長の山崎拓さんと幹事長の私でした」
――アメリカから『それはやめてくれ』と言ってきませんでしたか?
「それは抵抗は強かったですが、当時は自社さ政権でしたし、そうでないと通りませんでしたからね」
(中略)
――テレビでよく浜田幸一さんが『日本はアメリカの植民地なんだ』と発言してますが、戦後の占領期から現在に至るまで、ずっと日本はアメリカの言うなりになるしかなかったということでしょうか?
「ノーと言おうと思えば言えた部分もあったと思いますよ」
――それは条件闘争のような部分に留まるのか、それとも日本の独自の戦略でアメリカに対することが本当に可能だったのか。その点はいかがですか?
「まず、実際に日本が必ずしもアメリカの言うなりにはならないようにしてきたこともあったと私は思います。
たとえば、そもそも日本がサンフランシスコ講和条約で事実上独立したとき、当時の吉田茂首相が日米安保条約を戦略的に使おうとしたんですね。軽武装で経済を発展させる道を進もうということです。その後、岸信介首相は安保条約にしっかり事前協議を入れようとしたんですが、国内左翼の力が大きい時代で、なかなかうまくいかなかった。でも、吉田さんにしても岸さんにしても、日本の独自の戦略というものをどう実現化するかということを模索しつつ、現実の日米関係に対応していたんだと思います。
ところが、その後、その日米安保体制の路線がごく自然なもの、あたりまえのものになり、しかもそれが日本にも好都合なシステムであったから、国民はみんなそれを享受したわけです。
しかし、ある一点以上のことをアメリカに要求されると、そのときにはタテマエを使ったんですよ。それが憲法9条であり、社会党の存在ということだったのです。
ところが、冷戦構造の終結とともに、冷戦構造の国内版たる自社対立路線が崩れたのですね。ちょっとタイムラグはあったけれども。そうなると、もはや『社会党がうるさくて』という方便がもう使えなくなってきたわけです。まして自社さ政権のときには社会党も政権与党になったから、対米的に口実に使えなくりました。それでだんだんとアメリカの要求をタテマエでかわすということができにくくなっていったのは事実ですね」
――政権を運営する側は、同時に2つの相手に気を使わなかったということですね。ひとつは日本国内の左翼の存在をネタに、アメリカといわばバーゲニング交渉をしなければならなかった。もうひとつは、日米同盟という基軸を揺るがせずに国内の左翼と渡り合い、国内をまとめなければならなかった。そういうことですね?
「その通りですよ」
――それにしても、つい最近まで、日米同盟で実際に軍事協力が機能していた現実と、左右陣営が言葉尻をつつき合う論争で紛糾していた日本国内での議論は、なにかものすごく温度差があったなという感じもあります。
「そうですね。今でもその名残を感じるのは、国民の中に、いまだに自衛隊を強力な軍隊だと認識していない人が多いことです」
――自衛隊は軍隊ではないという言葉を、字句通り受け止めれば無理もないことでしょう。
「政治集会などで、いまだによく日本と北朝鮮が戦争したらどちらが勝つのか?という質問を受けるんですよ。『それは力の差は歴然としてますから、北朝鮮が勝つなどということはあり得ない。あっという間に日本勝利で決着がつくでしょう』と私が言うと、『エッ、まさか!』という反応なんですね。
彼らは、日本が瞬時のうちに打ち負かされると思っているのです。『いや、米軍に助けてもらわなくたって、自衛隊だけでも北朝鮮軍なんかに負けませんよ』と言っても、信じない人がけっこう多いんです。『北朝鮮はGNP全体でも3兆円弱。日本の防衛予算の半分しかありません。防衛費に至ってはわずか2500億円程度で、日本の20分の1なんです』というようなことを言っても、そうした集会で会う普通の人にはなかなか信じてもらえないですね」
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- 2014/05/22(木) 14:28:24|
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