アフガニスタンやイラク、リビアなどで取材経験のある某社のカメラマンと話していて、「あれだけシリア国内から凄い写真が大量に発信されているとき、外国人がシリアに潜入して写真を撮っても敵わない」という話になりました。
まったくその通りですね。ピューリッツァー賞はじめ、今年の主な国際的報道写真の賞はシリア関連が独占状態ですが、個々の写真は実際のところ、シリアの無名の素人が撮影した写真に、「写真のちから」において完全に劣っています。受賞者は、そこそこ名のあるメディア契約あるいは、外国人だから受賞できているわけです。
それでも私は、写真に限らず、外国人によるシリア・レポートは目に入るかぎり読んでいます。
私はもともと個人的にシリアと長く深く関わってきているので、あの国の真の姿をそこそこ知っているつもりではありますし、革命が始まった後も、シリア国内の知人たち、あるいは関与しているいくつかの地域調整委員会からの情報によって、だいたいの実情を把握しているつもりではあるのですが、革命初期に日本のメディア各社にシリア情報をプレゼンした際、しばしば「シリア情報はどこまで真実かわからない」と言われたので、あえて意識的に証拠力の高い外国人レポートを重視してきました。
ですが、考えてみれば、シリア人の情報は信用ができず、外国人のレポートだから信用できる・・・というのも変な話です。シリア人であろうと外国人であろうと、ひとりひとりの情報発信は100%の信憑性を担保できませんが、そうした情報も膨大な量を分析すれば、「ほぼ事実と考えられる」線は自ずとわかってきます。情報分析というのは形式ではなく、「実」が重要なのですね。
凶悪な独裁政権に立ち向かうシリアの人々の勇気と努力は称賛に値します。彼らの努力はもちろん自分たちの国を自由な国にしたいとの考えに基づくものですが、独裁者側は偽情報工作に勤しんでいますし、外国のメディアも情報の信憑性は最重視します。外国人記者の存在は、シリア情報をある程度入手できる者にはあまり必要ではないですが、メディアが客観報道という形式を担保するためには必要なものです。
だからこそ、情報を隠蔽したい政権側は外国人記者の活動を懸命に妨害しているわけですが。
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- 2013/05/06(月) 10:33:29|
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