ちょっと前ですが、千原ジュニアさん司会のBSスカパーのクイズバラエティ「ダラケ」で、「戦場ジャーナリストダラケ」という回にゲストで呼んでいただきました(共演は常岡浩介さんと大津司郎さん)。
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▽ダラケ! シーズン6第5回「戦場ジャーナリストダラケ」 その中で「私の人生最高の戦場スクープ」というコーナーがありました。事前にディレクターさんといろいろ打ち合わせをしたところ、こちらの記事(FRIDAY)が番組では選ばれました(人生最高というのは自己申告ではないです・笑)。

これは湾岸戦争時にトルコで、イラク軍の逃亡兵収容所を取材したときのものです。当時、イラクおよび周辺国では世界中からメディアが殺到していて、メディア間・メディア内での激しい競争がありました。そんななかで、単独で独自記事を作らないといけないということで、いろいろ考え、現地で試行錯誤を重ねて取材したものです。
番組では、この記事のギャラがクイズになっていて、答えが25万円だったのですが、この取材はFRIDAY誌の経費全額支給の特派アサイメントで、この週だけでなく4週+増刊で記事・写真を使用していただき、さらにファーストルック後は他メディアでも流用可にしていただいたので、トータルではなんとかそこそこのギャラは入りました。
たとえば、そのひとつがこちら。

こちらもFRIDAYですが、実はこれですね、自動車専用高架道路から望遠で隠し撮りしたものです。なにせイスラエルですから、撮影中にテロリストと誤認されて射殺されてもしかたないですね。いま考えると無謀ですが、当時は若かったですからね。反省です。
もっとも、本当はこれよりも、このときのイスラエルの取材では下の3つの写真のほうが自分としては気に入ってます。



これらはスカッドミサイルの被弾現場なのですが、イスラエル軍はすぐに現場を封鎖して立入禁止にしてしまうので、その前に現場にいち早く到着し、封鎖される前に素早く撮影する必要があります。当時はやはり多くの報道陣がテルアビブに集結していたのですが、こうした場面を撮ったカメラマンは少なかったはずです。
ところで、自分としてはどちらかというとやはり写真作品として、これらより思い入れの強いものがあります。
たとえば、こちら。

こちらもFRIDAY。まだソ連時代、反逆児エリツィンが台頭しつつある頃の写真です。これ自分ではかなり気に入ってます。撮影・発表のタイミングも含め、報道写真という観点では自己ベストと思っています。
ただ残念なことに、これのオリジナルフィルムを紛失してしまいました。当時、海外からフィルムをあちこちの編集部に送りっぱなしだったり、預け先がバラバラだったりしたので、紛失した素材がいくつもあります。上の写真は掲載誌面の複写です。
それから、いわゆる報道写真とばちょっと毛色の違うネタ写真のなかでの自分のお気に入りはこちら。何人か要人の写真もニュース素材として撮影したことがあるのですが、カンボジアで撮影した写真です。

こちらは「週刊文春」です。右が有名なシアヌーク殿下(当時。後に国王)ですが、この写真の主役は左の人物。シアヌークの盟友だった金日成がシアヌークのプライベートの護衛に送り込んだ北朝鮮人ボディガードです。
実は当時、ケビン・コスナー主演「ボディガード」が大ヒットしていて、そのパロディみたいな構図を狙いました。
こんな感じです。

ところでこのときは自衛隊の初の国連PKO派遣ということで、日本から多くの取材者が殺到していて、やはり激しい競争がありました。なんとか頑張って他誌でも何本か記事を採用してもらいましたが、コツとしては、あまり他の人がやらないネタを狙うということでしょうか。たとえば、これは、他のカメラマンの皆さんが自衛隊に張り付いていたので、あえて文民警官を取材した記事です。FRIDAYです。

実は他の記者さんたちが取材しなかった理由には、首都プノンペンにいる日本の警察庁の責任者が基本的にこうした個別取材を許可しなかったということもあります。それで難しいかなとは思ったのですが、現地で飛び込み取材交渉してみたら上手くいった例です。なぜそんなことが出来たかというと、警察庁責任者が現場の部下たちと連絡をほとんどしてなかったからです。当時、文民警察官の殉職者が出ていて、報道にナーバスなのはわかりますが、微力ながら彼らの活動を伝えることが出来てよかったです。
それから、何年も前になりますが、写真誌「FLASH」の戦場カメラマン特集企画で採用していただいたことがあります。自分の写真を何点か送ったところ、編集部ではこちらを採用していただきました。

元は「週刊プレイボーイ」の写真ルポで使用した写真。ニカラグアの反政府ゲリラに従軍した時のものです。
これは自分の本格的な初戦場取材だったので、思い入れはあるのですが、やっぱり自分としてはこれまでの戦場取材で最もシビれた瞬間は下のこちらですね。

ボスニア戦争時の写真で、媒体は「週刊現代」です。
これは敵軍の迫撃砲を受けた瞬間の兵士たちです。実はこの時、すでに自分も被弾して負傷しており、出血で意識も朦朧としていたのですが、取り憑かれたように前進して撮影していました。
前線の取材をしていると、撃っている場面を撮影する機会はあっても、撃たれる側から撃たれた瞬間を撮る機会はそうそうありません。戦場取材経験者でも、こういう場面に遭遇した人はほとんどいないはずです。当時、いわゆる「コンバット・フォトグラファー」を目指していた自分としては、これはいちばん思い入れのある写真です。
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- 2016/05/20(金) 15:02:27|
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