本日、個人的な日記として。
「ワールド・インテリジェンス」でたいへんお世話になりました外務省のインテリジェンス専門家・北岡元先生が、在外公館に赴任なされるということで、インテリジェンス研究仲間の送別会に参加させていただきました。
「ワールド・インテリジェンス」誌でお世話になった東京工科大の落合浩太郎先生、防衛研究所主任研究官の小谷賢さん、PHP研究所国際戦略研究センター長の金子将史さん等々と久しぶりに再会。また、『インテリジェンスの基礎理論』(立花書房)の著者であられる慶応大学の小林良樹先生とは初めてご挨拶させていただきました。
(さらに、某インテリジェンス専門職の方とも初めてご挨拶させていただきましたが、お名前を書いていいのかわからないので、ここではいちおう伏せておきます)
いずれも日本のインテリジェンス研究を牽引されている錚々たる先生方で、たいへん勉強になりました。私は「ワールド・インテリジェンス」廃刊以降、インテリジェンス研究の世界からちょっと遠ざかってしまっていたのですが、フロントランナーの方々の会話に刺激を受けること多々。ちょっと羨ましくもありましたが、自分もやっぱりこの分野が好きなのだなーと再認識しました。
いろいろ手広く商売をせざるをえないフリーランスという立場ゆえ、なかなかインテリジェンス研究そのものにタッチする機会はないのですが、自分なりにもっと頑張ろうと気合が入りました。結局、自分次第ということですからね。
(追記)
知らなかったのですが、「911陰謀論者」で有名な某民主党議員が野田政権の某重要省庁の副大臣に就任していたとのこと。いずれは外務大臣とか???うーん、どうなのでしょう・・・・
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2011/09/29(木) 02:32:54 |
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10月1日発売の月刊『正論』に、「シリア独裁政権のウソを暴く決死の『虐殺』映像」という記事を寄稿しました。興味のある方はぜひよろしくお願いします。
ところで、シリアでは本日も過酷なデモ弾圧が続いているわけですが、反体制派フェイスブックなどでは、各地で軍の逃亡兵が続出しているという情報が盛んに流されています。
なかには、反乱兵グループが正規軍と戦闘になったというような話も多いのですが、これだけネット経由で映像が流出する態勢が整えられていながら、「内戦」の映像が一切ないということは、おそらくこれまでのそれらの情報は、希望的観測に基づく「噂の増幅」が多かったのではないかと推測されます。
もっとも、逃亡兵自体の映像はこれまで何度もネットにアップされていて、皆無というわけではないことは明らかですが、まだまだ反乱軍と呼べるような反政府武装集団までは出来ていないということなのでしょう。
ただし、一向に収束する気配のない反政府デモと弾圧のなか、離脱兵がさらに増えていることは、おそらく間違いないと思われます。そうした離脱兵の映像は過去すべて「軍服は着ているが、非武装」のものだったのですが、自動小銃を抱えた離脱兵たちの映像が一昨日の26日、初めてネットに登場しました。
▽ラスタンの逃亡兵グループ 以前、画面上は非武装でしたが、ラスタンの反乱兵士の映像は今月8日の当ブログでも紹介しています。今回の映像のグループも同じグループかと思われます。今回の映像で確認されるのは、大尉を筆頭に全9人だけですが、「逃亡兵は数百人」などとの情報も出ていて、規模はよくわかりません。ただ、昨日の27日には、国軍が数十台の戦車・装甲車両およびヘリをラスタンに進攻させたとの情報が流れています。それなりの規模の反乱部隊が出たために、鎮圧作戦に乗り出した可能性があります。
ところで、サイバー・テロ事件でたびたび国際ニュースに登場するようになった匿名ハッカー集団「アノニマス」ですが、今度はシリア国防省サイトを標的にしました。26日までに、同省のサイトを乗っ取り、画面を書き換えて、民主化運動を支持する声明を掲載したとのことです。
アノニマスはエジプト革命でも同様のサイバー攻撃をやっていました。侮れない存在になっています。
2011/09/28(水) 14:43:12 |
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9月13日にアフガニスタンの首都カブールにあるアメリカ大使館が武装グループの攻撃を受けましたが、「犯行グループはパキスタン情報機関の支援を受けていた」とアメリカ側が断定したため、アメリカとパキスタンが険悪な状況になっています。
この事件の犯行グループについて、9月17日、マンター駐パキスタン大使は「パキスタン国内に拠点を置く武装勢力『ハッカニ・ネットワーク』の犯行だ」「パキスタン政府との結びつきを示す証拠がある」と断言しました。
また、22日にはマレン米統合参謀本部議長が上院軍事委員会で「ハッカニ・ネットワークはパキスタン軍統合情報局(ISI)の支援を受けてカブール米大使館を襲撃した」「ハッカニ・ネットワークはISIの事実上の戦闘部隊である」とも断言しました。
要するに、アメリカはISIが対米テロに関与していると言っているわけですが、これに対し、パキスタン政府は完全否定し、アメリカ側の態度に猛反発しています。
ハッカニ・ネットワークだけではなく、タリバン本隊もアルカイダも、もともとISIとは非常に密接な関係があり、ISIの一部が今でも支援しているのではないかという疑惑は根強く囁かれていました。
ISIとイスラム過激派ネットワークとの水面下の関係というのは、テロ問題研究者にとって最大の謎であり、私もずっとそのことに関しては海外の報道や研究機関報告などをウォッチしているのですが、その実際のところはわかりません。
決定的な証拠といえるほどのものがないので、かなり推測に頼ざらるを得ないのが現状ですが、私の見方では、ISIが組織としてイスラム過激派ネットワークを支援しているというよりは、ISIの一部が独自に人脈を維持しているといったところなのではないかなと考えています。
ISIというのは、非常に特殊な組織です。パキスタン軍はもともと、かのムハマド・ジアウルハク政権時にイスラム原理主義勢力「イスラム協会」の人脈が浸透し、軍内に一大勢力を築いていました。その中核勢力がISI内に残っていて、独自の怪しげなネットワークを作っている形跡があります。
アフガニスタンやインド、中央アジアで暴れまわるイスラム・テロ組織のほとんどは、ISIともともと密接な関係にあった人脈を基盤にしています。ただ、その部分はパキスタン軍内でも闇の部分で、実際のところはほとんど判明していません。
ところで、今回、カブール米国大使館攻撃を行ったとされる「ハッカニ・ネットワーク」という組織について解説してみます。
ハッカニ・ネットワークはタリバン系のアフガン武装勢力で、創設者はジャララディン・ハッカニという人物です。
ハッカニはもともと80年代の対ソ戦時代の有力ムジャヒディン・ゲリラ組織「イスラム党ハリス派」の幹部で、ソ連軍撤退後、91年にいちはやく東部の町ホーストを支配下に置き、ムジャヒディン政権で一大勢力を築いた軍閥のひとりでした。ムジャヒディン時代は、CIAともっとも親密だったゲリラ司令官のひとりで、パキスタンISIやサウジアラビア系財団、アルカイダなどの外国人義勇兵人脈とも非常に密接な関係にあったといわれています。
その後、ISIの支援によってアフガンでタリバンが台頭すると、ISIと連携するハッカニもタリバンに参加します。タリバンの初期メンバーの多くはイスラム党ハリス派出身でしたが、ハッカニ自身はタリバンが首都攻略した頃に合流し、タリバン政権のカブール北方軍事司令官に就任。主にアハマド・シャー・マスード率いるタジク人部隊などと戦っています。
また、タリバン政権下でパクティア県知事、国境部族問題担当相なども歴任しています。2001年の9・11テロ後のアフガン戦争では、タリバンの軍事司令官となり、米軍と戦っています。
その後、ハッカニ・ネットワークは、息子のシラジュディン・ハッカニが事実上の軍事司令官となっています。ムジャヒディン時代からパキスタン部族地域の北ワジリスタンを後方拠点としていて、現在も北ワジリスタンを拠点としています。
ハッカニ・ネットワークはタリバン系のゲリラ組織としては最大勢力のひとつで、少なくとも数千人の兵力があるとみられています。現在もアルカイダと緊密な関係にありますが、主に捕虜の証言により、CIAは、ハッカニ・ネットワークとISIの一部がその後もずっと関係を続けていると判断しています。
幹部はその他に、以下がいます。
▽バララディン・ハッカニ(シラジュディン・ハッカニの弟)
▽マ二ク・ハッカニ
▽ナシルディン・ハッカニ
▽サンジーン・ザドラン(シラジュディン・ハッカニの副官でパクティア県司令官)
▽マリ・カーン(アフガン内担当幹部軍事指揮官)
ハッカニ・ネットワークの過去の主な作戦(容疑含む)は以下のとおり。
▽2008年1月14日、カブールのセレナ・ホテル攻撃
▽同年3月、イギリス人ジャーナリストのシーン・ランガン誘拐
▽同年4月27日、カルザイ大統領暗殺未遂
▽同年7月7日、カブールのインド大使館で車両自爆テロ
▽同年11月10日、ニューヨークタイムズのデビッド・ロード記者拉致
▽2010年5月18日、カブール爆弾テロ
▽2011年2月19日、カブール銀行ジャララバード支店で自爆テロ
▽同年6月28日、カブールのインターコンチネンタル・ホテル襲撃のサポート(主犯はタリバン)
▽同年9月10日、ワルダック県のサイエド・アバド基地の前でのトラック爆弾テロ。
ポスト・アルカイダとして私が最有力視しているパキスタン・タリバン運動に次ぐ、要注意グループといえますが、今のところその活動範囲はパキスタン部族地域とアフガニスタン東部に留まっていて、世界各地でテロ工作という感じではないようです。
2011/09/25(日) 17:31:50 |
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シンプルに考えてみましょう。
野田政権とオバマ政権は現在、すでに日米政府間で合意されている辺野古沖移設を履行しようという方向です。これは両国での合意ですから、あとは地元・沖縄が合意すれば問題なく実行される話です。
しかし、沖縄県側はあくまで県外移設を要求する方針を崩していません。今後もその主張を変更する徴候はみられません。
そこに最近、米上院軍事委員会から「嘉手納統合もあり得る」との案が出てきました。
ーー以上が普天間基地移設問題をめぐる現在の状況です。
さて、では今後、どういう展開が予想されるのでしょうか?
▽日本政府があくまで辺野古移設の方針→沖縄県拒否→日本政府が沖縄県説得→沖縄県が受諾→辺野古移設実現ーー
野田政権の希望的シナリオかもしれませんが、「沖縄県が受託」の可能性はちょっと現状では考えられません。よって可能性極小。
▽日本政府があくまで辺野古移設の方針→沖縄県拒否→日本政府が辺野古移設案撤回→米側が計画見直し→県外移設実現ーー
沖縄県側の理想型ですが、鳩山政権時の騒動で明らかになったように、海兵隊ヘリ基地の県外移設を米側が呑む可能性はほとんどないでしょう。よって実現の可能性は非常に小さいです。
▽日本政府があくまで辺野古移設の方針→沖縄県拒否→日本政府が辺野古移設案撤回→米側が計画見直し拒否→日本側が主権国として普天間閉鎖を強硬に要求→県外移設実現ーー
理論上は可能ですが、日米関係の現状を考えれば、現実的にはまず考えられません。私自身はこういうのもアリではないかとも思うんですが。
▽日本政府があくまで辺野古移設の方針→沖縄県拒否→米側時間切れ→普天間固定化ーー
確率的にはこれがいちばん高いことは明白です。
▽日本政府があくまで辺野古移設の方針→沖縄県拒否→日本政府が辺野古移設案撤回→普天間固定化ーー
こういう展開もあるかもしれません。
いずれにせよ、現状でもっとも可能性の高い展開は、ずるずると普天間固定化という将来です。財政難と米戦略の変化により、米政府としては軍の海外駐留を削減したい意向はあるのでしょうが、現状ではまだ米軍側は海兵隊の沖縄拠点を破棄するような状況にはありません。したがって、このまま話が進まなければ、米側は普天間固定化でもヨシとすることになります。
今回出てきた嘉手納統合案は、米政府・軍は認めていませんが、上院軍事委員長の案ですから、米側の政治的ハードルはそれなりにある部分を越えています。米側に可能性があるわけです。
嘉手納統合案は以前からありましたが、主に米軍側の事情でダメになってきた経緯があります。今回、米上院で出てきたというのは、画期的な変化といえます。
しかし、今回、沖縄県知事は「難しい」という表現で拒否しています。沖縄世論もまず是認しない状況です。
日本側の反対の理由は主に2つ。1つは、嘉手納周辺の騒音被害が増大するという、嘉手納町からの反対です。
もう1つは、「県外移設でなければ沖縄の負担軽減にはならない」という沖縄県全体の反対です。しかし、後者の反対には、「このまま膠着が続けば、普天間固定化の可能性がきわめて高い」という冷徹な現実が立ちふさがります。
また、日本政府の一部にも反対があります。沖縄の米空軍力の低下が「抑止力」を著しく弱体化させるので危険だという考えです。
こういった状況のなか、現状では将来の見通しがないままに、「辺野古移設」と「県外移設」が対峙しています。嘉手納統合案はまだ具体的な遡上に乗った話ではないですが、日本側ではほとんど話題にすらならないのは何故なのでしょう?? 検討ぐらいはしてもいいのではないかなと思うのですが・・・。
2011/09/25(日) 11:46:35 |
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訪米した野田首相に対して、オバマ大統領が普天間移設問題に関して強硬に要求を突きつけた、と大々的に報じられていますが、にわかには信じがたいですね。基本的にアメリカ側は「普天間存続」でもさほど困りません。困るのは日本側です。
そもそも問題山積のアメリカの安全保障政策当局にとって、普天間問題など瑣末な問題であり、プライオリティは非常に低いはずです。対日外交担当のキャンベル国務次官補あたりはともかく、アメリカ大統領がアタマを悩ませるような問題ではないでしょう。いつものことですが、日本外務省情報で政治部記者の面々が大げさに書き立てている可能性が高い気がします。
ただ、親分=アメリカの要求に対して、日本側がのらりくらりとかわすという構図は、戦後の日米外交ではずーっと続いてきた「いつものパターン」ではあります。結局、日米外交の政治面というのは、たいした問題がないので、そんなことでもずーっと通用していたわけです。貿易摩擦のような問題ではアメリカも本気ですが、安全保障問題では日米関係にそれほど深刻な問題はない、というのが現状なのだろうと思います。
唯一アメリカが気をつかったのは、おそらく在日米軍基地を「極東から世界」対応にシフトさせることだったのではないかなと思います。そのあたりのことに関連して、05年出版の拙編著『日本の防衛7つの論点』に掲載したインタビュー記事で、自民党の加藤紘一・元幹事長が興味深い発言をしています。古いインタビューですが、一部引用してみます。
(以下、引用)
――アーミテージ氏をはじめアメリカの当局者は、小出しに『日本は憲法改正すべき』だの、『いや、そういうことを言ったわけじゃない』だのと、小出しに日本に揺さぶりをかけていますが、アメリカとしてはだんだん日本をそういう方向に引き込んでいこうということなんでしょうね。
「たとえば97年の新日米防衛協力のためのガイドラインといったものも、実はそうした狙いだったと思うんですよね。それに『日本の平和と安全に重大な影響を及ぼす場合に限る』というタガをはめたのが、当時の自民党執行部なんです。具体的に言えば、政調会長の山崎拓さんと幹事長の私でした」
――アメリカから『それはやめてくれ』と言ってきませんでしたか?
「それは抵抗は強かったですが、当時は自社さ政権でしたし、そうでないと通りませんでしたからね」
――この頃、日米防衛協力に関するさまざまなレベルの協議が活発に行われていて、いよいよこれまでの日本防衛という枠を取り払い、対国際テロや大量破壊兵器拡散などのいわゆる “新しい脅威”に対処するために協力していこうということと、極東の枠を超えた世界の平和と安全のために日米で協力していこうという方向で話が進んでいます。
これは結局、アメリカの要求に日本が従っているといっていいと思うのですが。
「そこですよね」
――テレビでよく浜田幸一さんが『日本はアメリカの植民地なんだ』と発言していますが、戦後の占領期から現在に至るまで、ずっと日本はアメリカの言うなりになるしかなかったということでしょうか?
「ノーと言おうと思えば、言えた部分もあったと思いますよ」
――それは条件闘争のような部分に留まるのか、それとも日本の独自の戦略でアメリカに対することが本当に可能だったのか。その点はいかがですか?
「まず、実際に日本が必ずしもアメリカの言うなりにはならないようにしてきたこともあったと私は思います。
たとえば、そもそも日本がサンフランシスコ講和条約で事実上独立したとき、当時の吉田茂首相が日米安保条約を戦略的に使おうとしたんですね。軽武装で経済を発展させる道を進もうということです。
その後、岸信介首相は安保条約にしっかり事前協議を入れようとしたんですが、国内左翼の力が大きい時代で、なかなかうまくいかなかった。でも、吉田さんにしても岸さんにしても、日本の独自の戦略というものをどう実現化するかということを模索しつつ、現実の日米関係に対応していたんだと思います。
ところが、その後、その日米安保体制の路線がごく自然なもの、あたりまえのものになり、しかもそれが日本にも好都合なシステムであったから、国民はみんなそれを享受したわけです。
しかし、ある一点以上のことをアメリカに要求されると、そのときにはタテマエを使ったんですよ。それが憲法9条であり、社会党の存在ということだったのです。
ところが、冷戦構造の終結とともに、冷戦構造の国内版たる自社対立路線が崩れたのですね。ちょっとタイムラグはあったけれども。そうなると、もはや『社会党がうるさくて』という方便が使えなくなってきたわけです。まして自社さ政権のときには社会党も政権与党になったから、対米的には口実に使えなくりました。それでだんだんとアメリカの要求をタテマエでかわすということができにくくなっていったのは事実ですね」
――政権を運営する側は、同時に2つの相手に気を使わなかったということですね。ひとつは日本国内の左翼の存在をネタに、アメリカといわばバーゲニング交渉をしなければならなかった。もうひとつは、日米同盟という基軸を揺るがせずに国内の左翼と渡り合い、国内をまとめなければならなかった。そういうことですね?
「その通りですよ」
(以上、引用)
上記の社会党という部分を、「民主党内」に読み替えると、なんとなく現状に近い感じでしょうか・・・。
2011/09/23(金) 15:17:25 |
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『週刊朝日』今週号に、ノンフィクション作家・吉岡忍さんの、「あそこは本当に死の町だった」と題する興味深いコメントが掲載されています。鉢呂前経産相の舌禍辞任に関する記事中ですが、被災現場の取材経験のある吉岡氏は、鉢呂氏の「死の町」発言を問題化したメディアのほうこそ問題だと指摘しています。
被災者の心情を踏みにじる発言だとメディアは言いますが、それは的外れなのではないかというのがコメントの主旨ですが、そこなかで「被災者を弱者と差別して、腫れ物に触るように扱うメディア」を批判しています。後半部分のみ一部抜粋引用してみます。
「そうなった理由には、遺体を報じられなかったメディアの形式主義があると思う。この震災では多くの被災者が瓦礫の下などに無残に横たわる遺体を見ている。だから悲しみも大きいんです。しかし、その厳しい現実から目をそむけたメディアは、被災の残酷さを浅くしか理解できなかった。だからこそ今回のような見当外れの報道に陥ったのではないでしょうか」
鉢呂氏の件では、とにかく現職大臣の舌禍はニュースだということで飛びついた部分が大きかったのではないかなと、個人的には感じています。
しかし、吉岡氏の指摘は、べつの核心をついているのではないかと思います。これを私なりに言い換えると、遺体を報じなかったメディアは、震災のリアリティを本当に伝えてはいないのではないか?ということだと思います。で、その延長には「メディアで震災を見る国民(もちろん私もそのひとり)は、じつは震災のリアリティを本当にはわかっていないのではないか?」という問いが隠されていると思うわけです。
私は過去、さまざまな紛争地の取材現場で死体を多く見てきました。生きている人間が死体になる場面も何度か見ました。それは「情報」としてはなんの特殊な価値もないものですが、自分にとって、「理解」のためには決定的に意味のあることだったように思います。
死体だけではありません。自動小銃の射撃音、砲弾の飛来音、硝煙の臭い、血の臭いなど、報道されている写真や映像では伝わらないものが、状況を理解する材料となります。後方であっても、たとえば兵士たちが持っている自動小銃の銃弾を手にとって、その鋭い先端部に触れれば、これが高速で人間の肉体に突き刺さる場面を想像し、その恐怖に戦慄します。自分が被弾したときには、自分の腰に突き刺さった迫撃砲弾の小さなフラグメントを手にとり、その重量と、断面の鋭利さに衝撃を受けました。こうした感覚は、現場体験ならではのものになります。
インテリジェンス分析に関して、個々の取材体験とか現地経験というのは、原則的にはあまり意味がない・・・というようなことを過去に書いたことがあります。
個々の取材や経験というのは、無数にある「情報」のワン・オブ・ゼムにしかすぎないわけで、自分の取材・経験が他の人のものより優れているとか、自分の目で見たことだけが間違いないなどということはありえません。必ずそうだとはいえませんが、「他のやつらは間違っている」などという主張は、確率的には「自分のほうこそ間違っている」ケースが多くなります。「オレ以外はみんな馬鹿」などと言う「主観だけで他人を見下す人」ほど馬鹿が多いのと同じですね。
(多数派が必ず正しいとはかぎりません。が、かつての人気番組「クイズ・ミリオネア」でも、ライフラインと称する3つのヒントのうち、スタジオ観覧者の意見を募る「オーディエンス」が圧倒的に正解率が高かったと思います。あくまで確率的には、という話ですが)
インテリジェンス分析においては、自分の経験はむしろ、強い先入観=「アンカリング」として認識バイアスをもたらす傾向があるので、要警戒といえます。
ただ、自分の経験は当然ながら認識におけるリアリティのレベルが高いわけで、現場の状況を理解するという点では、非常に有益なものです。いくら科学的なインテリジェンスに依拠しようとしても、人間の理解は最終的には勘に頼る部分がどうしても残ります。矛盾する話ですが、先入観に注意しつつも、リアリティも重要なのです。
たとえば、私は紛争地レポートを執筆する際、自分の見てきた範囲だけ、あるいは自分が直接聞いた話だけで解説記事を執筆したことは、たぶんありません。「情報」に関して、自分の取材などたかが知れていると思うからです。なので、現地のメディア情報、あるいは主に英米を中心とする海外メディア情報などを必ず参考にしています。
ただ、実際に行って現場を体験することで理解が深まることも往々にしてあります。ものすごく想像力の豊かな人であれば、情報だけで理解できるかもしれませんが、私のような鈍感な人間の場合、リアル体験が理解への圧倒的なショートカットになることが多いと思います。
少し話がそれましたが、冒頭のような「遺体を報じないメディア」→つまりは無菌化された情報だけでは不充分ではないかなということは、私がこの半年、このブログを通じてご紹介しているシリア情勢に関して常々感じていたことでした。
シリアで「虐殺される側」の人々が撮影し、ネット配信している映像は、視聴者に現場そのものを提示します。見る者には、まるで現場の追体験をするような強烈なインプットになります。それこそネットの凄まじい威力であって、まさに「新時代だなあ」と、私自身は衝撃を受けてきました。
それで私は当ブログでも、かなり衝撃的な現地映像の紹介をしてきました。『フライデー』や『軍事研究』などの紙メディアでも、そうした画像を掲載しました。それはなにもグロテスク趣味ということではなくて、シリアの現状そのものであるからです。
しかし、テレビ媒体の場合、そうした素材はほとんど使用されません。チャンネルをあわせるだけの受動的メディアであるテレビの場合、広い視聴者層がありますから、ある程度のそうした配慮は必要だと思いますが、死体そのものでなくとも、撃たれる人々などの緊迫感のあるシーンはほとんどカットされます。
それはなにも一般の人々が衝撃的な現場の追体験をする必要はないと思いますが、私自身はこれらの映像によって、シリアで現在起きていることに関して、部分的ではあるでしょうが「理解」を深めることができたような気がしています。
かつて90年代半ばのルワンダ虐殺では、膨れ上がった死体の映像が、ときにはモザイクをかけながらでしたが、世界中で放送されたように記憶しています。ルワンダは本当に酷いな・・・ということが、それで世界の人々に伝わったのではなかったかなと思います。
同国内での放送に際しては遺族の心情に配慮するのは当然ですが、そこに理不尽な死があるなら、その場面をまったく報じないというのもおかしなことではないかなと感じます。
2011/09/22(木) 10:44:35 |
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あるジャーナリストの方から「シリア人の知人に連絡したいが、スカイプで繋がらないようだ」とのご指摘をいただきました。
そこで、ある第3国にいる協力者を通じてトライしてもらったのですが(私は現在、実名で反シリア政府的な立場で執筆活動しているので、情報源のセキュリティのために直接はシリア内と連絡していません)、普通にスカイプで話ができたし、データも伝えられたとのこと。とくに迂回路を通じるなどの特別なことはしていないようです。
どういうことか、ちょっとよくわかりません。もしかすると私の協力者がシリア保安機関の何らかのトラップに監視されているということでしょうか???
2011/09/20(火) 18:52:00 |
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三菱重工サイバー・スパイ事件。サイバー攻撃の宿命として、「敵が断定できない」ため、報道では敵国名を断定していませんが、標的が防衛産業ですから、まず中国軍によるものと考えていいでしょう。主犯が人民解放軍総参謀部の第3部(技術偵察部)か第4部(電子戦部)かはわかりませんが。
読売新聞で報じられている情報しか私もわかりませんが、それから考えると、中国ネット軍がアメリカなどに行ってきたサイバー・テロのごく典型的な手口です。実行犯は民間ハッカーの可能性もありますが、標的設定から考えて、ネット軍のフロントと考えていいかと思います。
あのアメリカでさえ政府機関・軍、防衛産業などが被害に遭ってますから、日本のサイバー防衛態勢ではなかなか防げません。中国の情報収集の特徴は「可能なところ軒並み」なので、他企業も侵入されていると見るべきでしょう。
重工は新聞報道まで防衛省への通知をしていなかったそうですが、それはダメですね。こういうのは国家安全保障案件なので、政府中央で統制しなければなりません。また、そのための国家機関の整備・強化が急務です。サイバー戦能力は、もはや国家の防衛力の要といって過言ではありません。
2011/09/20(火) 18:27:37 |
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三菱重にサイバー攻撃、80台感染…防衛関連も (9月19日 読売新聞)
まあ、おそらく犯人は中国のネット軍あたりではないかなとは思うのですが、サイバー戦の難しさは、侵入経路が中国発信だったとしても、それが本当に中国発なのかを特定することが理論上非常に難しいということです。「ウチのサーバーは何者かに利用されただけ」と主張されれば、それを100%覆すのは至難のワザであるからです。
アメリカ政府は「サイバー戦は戦争と見なす」などと言っていますが、犯人特定できなければ、誰と戦争するのかという話になります。
サイバー戦の攻撃能力は中国よりもアメリカのほうが上ですが、アメリカは防御が弱いので、トータル戦力では中国がむしろ有利です。日本はこの点、攻撃も防御も非常に遅れているというのが、私の知るかぎり関係者の常識になっているようです。
折りしも読売新聞では本日付から「サイバーウォーズ」という連載がスタートしました。第1回もなかなかの力作で、今後に期待大です。
ところで、若者向け月刊誌『サイゾー』今月号で、「サイバー戦争の最前線」という私のインタビュー構成記事を掲載していただきました(偶然ですが、『サイゾー』様からは別途にネット配信記事のほうからも取材を受け、ひとことですがコメントを採用していただきました。こちらです→「
何を信じていいの? カダフィ政権崩壊をめぐる「偽造映像」騒動 」)。
また、『SAPIO』誌で7月に寄稿した拙稿記事の一部抜粋が、小学館サイトでも掲載されています。
▽NEWSポストセブン
世界の工場・中国 世界各国の基幹システムに罠仕掛けている説 上記は一部のみですので、興味のある方は図書館などでどうぞ。『SAPIO』7月20日号です。
また、関連して中国のネット検閲制度を中心に分析したレポートを、『正論』5月号に寄稿したのですが、それも産経新聞社サイトで掲載されています。
▽MSN産経ニュース/
月刊正論 ここまでやるか!中国のネット監視 中国のネット監視システムあるいはサイバー戦部隊に関しては、他にも『週刊朝日』2月22日発売号、『軍事研究』4月号などにも書いてきましたので、これも興味のある方は図書館などでどうぞよろしくお願いします。
それともうひとつ、読売新聞本日付にひとつ気になった記事を発見。
ミャンマー、ネット規制緩和…ユーチューブOK (読売新聞9月19日)
今、ネット言論空間を解禁すれば、否応なく民主化圧力が盛り上がることは常識です。ミャンマー政府がそれでもネット規制緩和に乗り出したということは、政権内指導層に民主化志向の勢力が台頭してきたということかもしれません。
かつて民主派を殺しまくった世代は、民主化はそのまま自分の命取りになりかねない危険なものでしたが、長い年月が経って世代が順次交代してきたこともあって、そのあたりはかなり緩んできている可能性があります。
ミャンマーでも必ずネットを介した民主化要求の言論が高まることになりますが、そこでそのまま民主化に向かうのか、あるいは守旧派権力層が巻き返してひと波乱起こるのか、これも今後の展開が注目されます。
2011/09/19(月) 14:50:51 |
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地元で行われた北朝鮮拉致被害者関連の講演会・シンポジウムを観覧してきました。横田めぐみさんのご両親が来ていたこともあり、多くの観覧者が来ていました。震災もあって、国民の注目度が下がってしまっているのかなと感じていたのですが、これだけ多くの方が集まるところをみると、そうでもなさそうです。
ところで、自宅で雑誌の整理をしていたところ、少し前の某週刊誌で、某出版社が主宰するノンフィクション賞の今年度の受賞作に異論が出ていて、一部の方々が「授賞を取り消せ」とその社にクレームを入れていることが出ていました。
私はその出版社も受賞作の著者の方も個人的に多少縁があり、だから擁護するわけではないのですが、圧力のしかたが違うのではないかと、ふと思いました。気持ちはわからないではありませんが、相手は単なる一民間企業の一私的褒賞にすぎませんから、過剰反応な気がします。それより言論に対抗するには言論で、が基本ではないかなと思います。
ちなみに、その本はオウム真理教に関する本なのですが、何が問題かというと、テロは麻原の指示ではなくて、弟子の暴走だったとしていることだそうです。まあ、9・11がいまだに米国の自作自演と信じている人もたくさんいるぐらいなので、いろんなことを言う人がいても、私自身は驚きません。
それで、多少ともテロリズムを研究してきた私の見方を言えば、テロは麻原と村井が中心になって進めたもので、間違いないと思います。私はとくに拙共著『生物兵器テロ』を書く際に、世界でも珍しい生物兵器テロ計画集団であったオウムのことをかなり詳細に調査しましたが、麻原の指示で間違いないと考えています。
オウムは国際標準でいえば、世界最凶のテロ組織に分類されます。現アーレフ執行部はテロに直接関与していないので、刑事責任にはあたらないようですが、麻原をいまだに信奉しているのであれば、テロ予備軍と見られてもしかたがありません。昨年、アーレフを追い出された元代表の方にインタビューする機会があったのですが、麻原(松本)家が絶大な権力を握る現教団執行部は、今でも麻原原理主義みたいな印象を持ちました。
実際には彼らは単なる「騙されやすいおバカさんたち」で、テロリストの要素はまったくないのかもしれませんが、いつか「麻原の後継者」が現れ、そのテロ思想を受け継ぐ可能性が皆無とはいえません。単なるおバカさんたちだからべつにいいじゃん・・・とはいかないのが、カウンター・テロリズムです。
それと、これは以前も書いたことがありますが、生物テロは失敗したので事件化せず、刑事責任が問われていませんが、それに関与していた当時ナンバー2の大幹部が、別件の微罪だけで出所し、今では分派の指導者に収まり、堂々と言論活動まで行っています。それもどうなの?とは思いますね。
つまりは当時、この人は村井だの井上だの早川だの新実だの土谷だの遠藤だの岡崎だのと同様に、麻原を微塵も疑うことなく、テロ計画の片棒を担いでいたわけです。が、たまたま法的にシロだった、と。運がいいのか、はたまた計算ずくか・・・後者だったら怖い話です。いや、わかりませんが・・・・。
2011/09/19(月) 12:34:38 |
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南スーダンに陸自PKO…300人規模で (読売)
こういうこと、大事だと思います。日本は世界の中に存在しているわけで、他国のことは知らないということにはいきません。
アフリカは何が起こるかわかりません。不幸にして自衛隊員から負傷者あるいは犠牲者が出る可能性もゼロではありませんが、それでも非常に有意義な任務だと思います。
ところで、ちょっと前のエントリーで、大学時代の先輩である元週刊誌記者で現在は職業=海外徒歩旅行者の平田裕先輩が「まぐまぐ」のメルマガを始めたことを紹介しましたが、最新号に、イスラマバード駐在の小生意気な日本大使館員の話が出ていました。(→
あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行~地球歩きっぱなし20年~ )
私もこれまで各地でなにかと日本大使館にはお世話になる機会がありましたが、バックパッカー時代が長かったので、正直言えば、悪い印象の大使館員のほうが多いです。まあ、日本国に何の貢献もしていない貧乏旅行者だったので当然といえば当然なのですが、後で大手メディア特派員だの大手企業駐在員だのに対する優遇ぶりを目にするようになると、その差別ぶりに多少はむかっ腹も立つわけです。
で、今回、たまには他人様の悪口を書いてみようと思うわけです。
まず、前にもちょっと書いたことがありますが、私にとってのワースト1は、90年代はじめ頃の在タイ大使館の参事官ですね。
当時、私はカンボジア国境やミャンマー国境を取材するために、タイ政府の記者証を取得しておこうと考えたのですが、あちらの担当者は「日本大使館からジャーナリスト証明のレターをもらって来い」とのこと。基本的には在バンコク特派員用みたいですが、テンポラリーでも対応するとのことでしたので、日本大使館へ。面倒ですが、こういう国はときどきあるので、まあ事務的な手続きです。
で、そこで登場したのが、尊大な参事官。とにかく態度がデカい。初対面なのに、最初からまるで自分の部下に対するみたいな口の利き方なんですね。
で、自分では名刺を出さず、私の名刺を手で弄びながら、いろいろ偉そうにお説教をたれるのですが、そのうちなんと私の名刺をグシャっと折り曲げやがったのですよ。無意識に。
速攻で名刺を奪い返し、悪態をついて退出したことは言うまでもありません。いったいそれまでどんな社会生活をしてきたのか、不思議な方でした。
次に在カンボジア大使館のノンミャリのベテラン大使館員。なにかの折に他の日本人ジャーナリスト数人とその人に会う機会があったのですが、この人も説教魔。ある著名な日本人ジャーナリストの悪口を延々と話しておりました。
概して日本人の少ない国の大使館員は、日本人に親切なのですが、日本人の多いところは態度でかいし、相手によって露骨に態度を変える人が多いですね。とくに、貧乏なフリー・カメラマンが多く集っているような場所だと、偉そうにするのが当たり前みたいに思っているベテラン大使館員が稀にいます。だいぶ前ですが、カイロの大使館にも尊大なベテランがいましたね。まあ、その方はそんなに悪い人ではなさそうでしたが。
バックパッカーの頃、恥ずかしながらメキシコ・シティで強盗グループに襲撃され、貴重品をパスポートごと強奪されたことがあります。当時宿泊していた安宿に、同じ日にパスポートを盗まれたスウェーデン人の女の子がいました。同じ惨めな境遇ということで、一緒に行動することになりました。
まず日本大使館。敷地の入口の受付で用件を告げると、20分ほど待たされて日本人職員が登場。旅券代わりの帰国用一時国籍証明書(そういうのがあるんですね)発行を申請すると、その場で申請用紙を書かされ、坦々と事務的に受理されました。で、「5日後に取りに来い」と。べつに文句はありませんけれども、結局、寒空のなか館内どころか敷地内にも一歩も入れてもらえなかったわけです。
で、次は彼女のお供でスウェーデン大使館へ。まったく無関係の日本人で、旅券すら持っていない私ともども応接室へ通されると、すぐに大使が登場。「それはたいへんな目にあったねえ」と、その場で本国に照会して、ものの30分で新旅券が発行されました。
その間、私も一緒に豪勢な昼食をご馳走になり、彼女なんてその場で現金まで貸してもらっていました。我彼の格差に唖然、です。
もしかしてこの話は以前も書いたことがあるかもしれませんが、中米ニカラグアの首都マナグアで、風土病で地元の病院に入院したことがあります。猛烈な腹痛と下痢で、数分おきにトイレに篭城状態でした。
で、トイレで七転八倒のとき、おもむろにノックする音が。そして、間の抜けた日本語が聞こえてきたのです。
「日本の人ですかあ? 病院から連絡を受けて、日本大使館から来ましたあ。大丈夫ですかあ?」
トイレ内でのた打ち回っている私→「大丈夫じゃないですう。苦しいですう」
「ちょっと出られますかあ?」
「今は無理でえす」
「そうですかあ。じゃあ、なにかあったら大使館に連絡くださいねえ。お大事にー・・・」
そう言うと、その大使館員は一度も私と会うこともなく、そそくさと帰っていきました。その間およそ1分という早業・・・。アイツはいったい何しに来たんだ???
行くたびに扱いが良くなったのは、中米コスタリカの日本大使館でした。最初に行ったのは学生のとき。日本の新聞を読ませてもらおうと行ったのですが、まあ感じ悪かったですね。
で、次にフリー・カメラマン時代。これも何かの用事で行ったのですが、当時はニカラグア・ゲリラ従軍など、それなりに取材していたので、政治問題担当の書記官が丁寧に対応してくれました。
で、3回目。隣国パナマでノリエガ将軍の演説などを撮影した後だったのですが、その話を聞いて書記官の態度がなぜか一変。すぐに公使の部屋に通され、冷たい飲み物などを出していただき、慇懃な態度でパナマ情勢のレクチャーを頼まれました。
在パナマ大使館には、米軍パナマ侵攻のときに訪問したことがあります。・・・というか、米軍基地に監禁状態だったところを、他の日本人記者とともに日本大使館の防衛駐在官に身柄を引き取られたのです。
市内はドンパチ状態だったので、数日、大使館にお世話になったわけですが、大手メディア特派員の方々と一緒だったため、これまでの私の経験では考えられないような優遇を受けました。
ただ、ちょっと面白かったのは、私は週刊誌特派だったからその中ではいちばん軽い扱いでしたが(中米取材経験や戦地取材経験はそこそこ長いほうだったのですが、そういうのは関係ないみたいです)、新聞記者でも、大使館員は「霞クラブ(外務省記者クラブ)出身か否か」で微妙に差別していたように見えたことです。
というか、霞クラブ経験者に対する、大使館員が醸し出すあの親近感はなんなのでしょう?? 同じようなことは、ペルー日本大使公邸占拠事件のときの在リマ日本大使館の空気にも感じました。部外者にはよくわからない〝ムラ〝の世界ですね。
もちろん大使館員の中には、他人に礼儀正しく、人間的に尊敬できる方もたくさんいらっしゃいます。でも、学生旅行者やフリー・カメラマンなどに無礼な態度をとる人は、少なくともひと昔前は結構いましたね。
当時のバックパッカー仲間やフリー・カメラマン仲間などと話すと、そんな話は誰もがたくさん経験していました。今はどうなのでしょう?
私事ですが、久々に仕事場の清掃をしたついでに、大量の新聞・雑誌の整理・処分をしました。で、ふと気付いたのですが、震災のちょっと前、日本国民は携帯カンニング事件なんかで大騒ぎしていたのですね。なんだか遠い昔のことのようです。
2011/09/17(土) 11:29:58 |
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シリアの「革命」は3月15日のダマスカスでのデモが一般には端緒とみられています(南部ダラアではその少し前から始まっていますが)。なので、もう半年が経過したことになります。
反体制派はようやく内外の各グループが連携し、「国民評議会」が作られました。が、リビアの国民評議会と決定的に違うのは、国内で「支配区」を持っていないことです。なので、国民評議会の会合もトルコで行われています。
今後、反体制運動はこの組織を中心に動いていくことになりますが、まだまだ先の見通しは立ちません。欧米・アラブ諸国と外交的に連携し、アサド政権に圧力をかけていくことになるかと思います。もっとも、今のところは反体制デモを継続する以外、国内での活動の方針は決まっていません。同じような状態で半年経過しましたが、このままでは埒があかない感じになっています。
当然、反体制派も次なる展開を考えているのでしょうが、今後、国内でリビアのような内戦化を目指すのか、あるいはアサド政権に国連監視下の早期選挙を突きつけるなどの交渉路線に転じるのか・・・ただし、今のところそうした方向に進む徴候はありません。
とにかく、シリア革命は中東民主化の天王山です。イスラエルやイランの情勢に直結するシリアが民主化されれば、そのインパクトはエジプトやリビアの革命など比べものにならないほど大きいと思います。シリアが民主化されれば、将来的には次はいよいよ本丸のイランが視野に入ってきます。
世界は今、冷戦終結に次ぐ時代の大転換期を迎えていて、その第一幕のクライマックスが現在のシリアであり、第2のクライマックスが将来のイランとなるのではないかと私は考えています。シリアとイランが民主化されれば、世界はまったく違うステージに突入することになります。
いずれにせよ、現在進行中のシリア革命は、それほど重大なものであると思っています。
ところで、某月刊誌の寄稿記事が校了し、これでとりあえず夏のレバノン取材関連の発表は一段落です(シリア革命そのものはまだまだこれからですが)。そこで、レバノン取材時の写真をアップしておきます。
レバノン北西部のシリア国境地帯です。こんな感じの低い山というか、丘陵が続いています。レバノンのド田舎ですが、貧しい山村という雰囲気ではないですね。比較的立派な家が多く、そこそこハイレベルな暮らしぶりです。
シリア難民収容施設。ちょうど夏休み(向こうは7~9月の3ヵ月が休み!)だったので、地元の小学校が使われていました。左手にある車両は援助団体の医療支援車両です。
難民は教室内で雑魚寝&自炊生活。家族以外は男女別に分けられています。もともと出身地で友人同士だった人ばかりなので、それなりに楽しそうですが、シリア秘密警察と親シリア派のレバノン官憲人脈が危険なので、外出は難しいそうです。
難民女性。生活費が要るので、夫を地元に残して女子供だけ逃げた家族が結構います。ちなみにシリアの携帯電話で通話可。情報化はこんな田舎まで浸透。
凄い傷跡ですね。デモ参加していて治安部隊に捕まり、ナイフやナタで文字通り半殺しにされたそうです。
レバノン側国境から見たシリア領内の村。手前の林の中に小さな国境線の川があります。このあたりのシリア側住民の多くは密輸業者で、けっこう立派な密輸御殿が多いです。
取材した人①
ダマスカス近郊キスワトゥのデモ指導者(公安警察に追われてレバノン北部潜伏中)。顔出し・実名NG。
取材した人その②
今回の取材のメインの目的は、この人にインタビューすることでした。シリア各地のデモをコーディネートしている「シリア地域調整委員会」(LCCS)の中心人物のひとりであるオマル・イドリビー氏。ホムス出身の人権活動家で、今回のシリア革命の仕掛け人のひとりです。
活動家のほとんどはシリア秘密警察を恐れて匿名・顔出しNGで活動しているのですが、イドリビーさんは数少ない実名活動中の人物。アルジャジーラなどの国際メディアも常連です(ただし、英語が不得手なのでアラビア語メディアのみ)。
イドリビーさんは単に反体制運動のスポークスマンというだけでなく、国内で撮影され、持ち出された映像のネット配信でも中心的役割を果たしています。会見場所はベイルート市内の秘密アジト。
取材した人③
レバノンのオンライン・メディア「NOWレバノン」のハニン・ガダル国際部長。シリア革命発生当初から、いち早くシリア情勢専用ページ「NOWシリア」を立ち上げ、英語・アラビア語のバイリンガルで記事と映像を発信し続けています。なかでも英語ページは、シリア情報に関する英語ソースとしては、もっとも重要な役割を果たしているサイトのひとつになっています。なお、レバノンはアラブ圏のIT先進国であり、ガダルさんはアラブ地域のIT事情にも詳しい方です。
(追記)
発表メディアは以下。
「正論」
「軍事研究」
「フライデー」
「BSフジ」
「TBSニュースバード」
2011/09/16(金) 11:10:00 |
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つい先ほど入ってきたニュースですが、シリアの首都ダマスカス南郊のダーライヤで行われた著名な反体制活動家の葬儀に、米仏およびデンマーク各国の大使とともに、日本大使も出席したとのことです。
▽アルジャジーラ英語版⇒Envoys to Syria 'attend activist's vigil' ~US, French, Japanese and Danish envoys visit Daraya in show of solidarity with protest movement, activists say. 葬儀の映像が早くもユーチューブにアップされました。鈴木敏郎大使の姿も見えます。
▽シリア葬儀のユーチューブ映像 (参列者最前列左から5番目の白髪系の紳士が鈴木大使)
大使の独断ということはないでしょう。アメリカ政府と歩調を合わせてのことでしょうが、本省の判断ではないかと思います。であれば、わが日本国外務省も、なかなかやるではないですか。このまま外交団の先頭に立って、アサド政権を追い込んでいただきたいと思います。
(追記⇒大使らの退出後、治安部隊が葬儀会場に催涙弾を撃ちこむなどしたそうです。負傷者はナシとのこと)
ところで、上記のアルジャジーラ記事によれば、在英人権団体「シリアン・オブザーバトリー・フォー・ヒューマン・ライツ」の集計では、これまで7万人が逮捕され、現時点でも1万5000人が拘束されているとのこと。
その中で、私の古くからの知人で、シリア総合治安局に数ヶ月間拘束され、つい最近ようやく賄賂で釈放された人物が、ある第3国に出国し、連絡がとれました。
その人物から聞いた話のなかで、ちょっと興味深い点を以下に挙げます。
▽一般警察、および総合治安局(アムン)のなかで、拘束者を賄賂で釈放するのが、一種の裏ビジネスになっているとのこと。ムハバラート系だと、そういうわけにはいかないようです。
▽デモはとくに「いつ、どこで」という情報が住民に事前に行き渡ってはいないようです。なんとなく町の中心部に行くと、自然と人が集まってきて、誰かがシュプレヒコールを叫ぶと、それにつられてまた人が集まるという感じだそうです。各町村ごとにデモの調整委員会があるはずなのですが、それはどうなっているのか一般の住人はあまり知らないそうです。
▽ずっとビビって暮らしてきたので、とにかくデモは開放感にあふれ、気持ちが高揚するようです。曰く「お祭りみたいな感覚かなあ・・・」とのこと。
▽デモの中心になっている活動家は、実際にはデモ中も身辺を警戒しているので、民兵やアムンによる銃撃で犠牲になることは、じつは少ないそうです。どちらかというと、端のほうで参加している一般住民が、逃げ遅れて犠牲になるケースが多いとのこと。
▽現在、フェイスブックよりもツイッター、ツイッターよりもスカイプのほうが安全だということで、国外との連絡にはスカイプが広く使われているそうです。
▽経済が半ばマヒしているので、国民生活はかなりシンドくなってきているとのことです。
この知人も、とくに拘束の前半には、自白剤を使われるなど、非常に厳しい仕打ちを受けたといいます。もっとも、逮捕された後、死体で捨てられる人も多いので(私の知人の縁者にも、そうして殺害されたケースがあります)、生きて出られただけラッキーといえます。
なお、誤解なきよう書き添えますが、私はもう四半世紀前から中東各地を取材してきたので、各国にそれなりに知り合いがいます。が、ほとんどは普通の人々であり、もとから反政府運動をしていたわけではありません。シリアの知人たちもみな普通の人ばかりで、要はこれらの話はごく普通のシリア国民によくある話だということです。
2011/09/14(水) 22:40:35 |
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嘉手納統合案を検証=予算大幅削減で-次期米国防副長官 在日米軍というのは、アメリカにとっては世界戦略の要のひとつですが、日本にとっては防衛の柱です。で、そのもっとも重要な役割は、「そこに米軍がいる」という1点です。米軍が日本にいれば、それだけで中国も北朝鮮もロシアも手は出しません。
ですが、何事も程度の問題で、私の見方は「たくさんいすぎるのではないか」ということで、「もっと少なくてもいい」と考えています。
以前も書きましたが、在日米軍の規模がこれほど大きいのは、占領時代・冷戦時代からの惰性であります。なので、アメリカに「減らせ」と要求するのは、妥当な権利ではないかと思います。
海兵隊の普天間飛行場の機能を、空軍嘉手納基地に統合する案が米議会から出ていますが、現実的にはそれがベターだと思います。米空軍の機能が多少は弱体化する可能性がありますが、米空軍は烏山、群山、グアムにも大規模な基地がありますし、比クラーク復活も含め、その気になれば先方でなんとかします。日本が心配する筋合いではありません。それは嘉手納返還となれば大問題ですが、嘉手納温存のかぎり、安全保障環境の基本構造は変化しません。
米軍の機能低下は日本の安全保障に有害と考える方もいますが、アメリカは必要とあれば、軍事力を減らさない方途を自分で考え、実現する能力があります。日本ごときが心配することはないですね。
嘉手納町は騒音増大で絶対反対ですが、ヘリが増えても、将来的にジェット戦闘機の離発着が減る可能性があります。そこは別途、平時の騒音低減を米軍と交渉ということが必要です。
カネの問題で米議会で問題化しつつある海兵隊グアム移転も、強く要求すべきではないかと思います。というか、米軍の戦略に他国が口を出す必要はなく、「どこでもいいから、わが国から減らせ」でいいです。その他にも、あまり使っていない施設も多いので、どんどん返還を要求すべきです。
移転費用の心配はアメリカ政府がすべきです。日本は、基地反対運動を利用してアメリカ政府と強い態度で交渉すべきでしょう。交渉とは、外交上の戦争みたいなもので、まずは要求を突きつけてナンボだと思います。
それで気まずい関係になったとしても、日米同盟の弱体化など起こりません。現在、在日米軍施設は、米軍専用が56箇所、自衛隊などと一部共用の場所が28箇所もあります。日米同盟は日本防衛以上に、米軍にとってものすごいメリットがありますから、多少の返還要求ぐらいで、アメリカは同盟を解消したりしません。三沢、横田、横須賀、座間、厚木、岩国、佐世保・・・沖縄以外でもこれだけタダで使える膨大な施設があるのに、アメリカが日米同盟から手をひくわけはありません。
交渉テクの一環としては、返還施設の一部は自衛隊管理で軍事機能を温存し、有事の際に米軍も使用できるようにする必要はあります。むしろそっちが軍事同盟の本来の姿ですね。
要するに、本来の軍事同盟の姿に近づけるのが、ベストだと思います。たとえば▽自衛隊の海外での武器使用緩和▽武器輸出三原則見直し、さらには▽憲法改正▽集団的自衛権行使容認▽海外での戦闘参加容認▽国際的集団安全保障への積極的参加▽日米安保条約の双務化▽スパイ防止法・軍事機密保全措置の導入、などを徹底し、そのうえで▽日本防衛に必要最低限なレベル以上の「占領地」の返還、というのが、すっきりしていいのではないかと思うわけです。
とにかく私の主張は、日本防衛に相応しいレベルの相互負担による日米安保体制であります。戦後65年以上も経つのに、外国の占領地がこんなに残っているのは、異常だと思います。航空管制もそうですけど。これでは「属国」と言われてもしかたないのではないかと思います。
で、その代わり・・・同盟してるのに一国平和主義という欺瞞に閉じこもるのはもうやめて、堂々と普通の国になればいいのではないかと思うわけです。
同盟してるのに一国平和主義という欺瞞・・・などと書くと、右翼の主張みたいですが、それでこれまで日本はどんな利益を得てきたかリアルなところを指摘すると、「自衛隊員が海外で誰も殺さず、殺されずにすんだ」ということです。で、普通の国になるということは、そういう「特別扱い」も放棄することになります。自衛隊員が海外の紛争地で戦死することが不可避です。が、世界が平和でない以上、それがリアル世界というものです。
これまでどれだけの外国の兵士たちが、自国の安全保障以外の任務で戦死したか、日本人はあまりにも他人事ではないかなと思います・・・と、つい話がそれました。
以上、右からも左からも怒られそうですが、冒頭のニュースにそんなことを考えました。
2011/09/14(水) 12:02:17 |
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昨日、石川県輪島沖で、北朝鮮から出航した小型木造船が発見されました。男性3人、女性3人、少年3人の9人が乗っていました。北朝鮮東海岸の漁大津港を脱出し、韓国へ向かうつもりだったと話しているとのことです。
ちょっと不思議なのは、漁大津から輪島沖までは直線距離でも750キロもあることです。韓国に向かうつもりでそこまで流されるということも、あるのかもしれませんが、そうだとしたら非常に珍しいことといえます。日本の治安当局は当然、偽装も視野に入れて調査中のことと思います。
さて、関連して指摘しておきたいのですが、かつてよく「朝鮮半島有事が起きたら、大量の北朝鮮難民が日本に押し寄せる」と盛んに言われていましたが、そういうことは起こりません。朝鮮半島有事では基本的に北朝鮮が戦場になり、韓国は国境から70キロくらいまで以外はほとんど無傷になります。なので、脱北難民のうち、船で逃げる人がいたとしても、ほとんどは韓国に行きます。わざわざ日本海を超えて日本になど来ません。
そもそも、今回の脱北者は充分な量の軽油を積んでいましたが、そもそも有事の際に北朝鮮でそんなに軽油を確保できる人はほとんどいないでしょう。
拙著『北朝鮮に備える軍事学』でも指摘しましたが、北朝鮮難民殺到説の根拠になっているのは、最初の核クライシスの最中の94年6月に内閣安全保障室が作成した朝鮮有事対策試案だそうです。そこでは「難民10~20万人が日本に押し寄せるだろう」と予想されていたというのですね。
しかし、その数字は、かつて帰国事業で帰国した在日朝鮮人とその一族の数から推定したものだそうです。日本出身だからといって、船や燃料がなければ日本に来れるはずもないし、しかもわざわざ遭難の危険を冒して日本海を渡る必要もありません。この数字にはまったく根拠はないと言っていいでしょう。
2011/09/14(水) 09:41:07 |
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前原誠司・民主党政調会長の武器使用基準&武器輸出三原則緩和の呼びかけが波紋を呼んでいるようです。ちょっと前の拙ブログのエントリー「前原誠司氏の防衛戦略」で紹介したように、前原氏の防衛意識はもともとリアリズム的なもので、今回の2件は、彼にとっては論理的に仕掛けやすいところからジャブを出した感じに見えますが、それでもこれほど旧態依然とした批判が出ることに、なんだか脱力感を感じます。
もともと民主党が嫌いとか、前原氏を嫌いという人もいるでしょうが、そういうのを抜きにしても、今でも「日本が戦争に参加!」「日本が死の商人に!」的な無茶苦茶な批判が結構ありますね。左翼党派系の特殊な活動家系を除き、軍事専門家で武器使用基準&武器輸出三原則緩和を批判する人は、おそらく誰もいないと思います。いるのかな? いたらすみません・・・。
2011/09/12(月) 08:58:29 |
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前エントリーで、シリア治安機関にいろいろな名前が出てきましたので、私にわかる範囲で解説します。すべて判明しているわけではなく、さまざまな研究資料をもとにしていますので、下記には一部推定も含まれています。
いま現在、国民を虐殺しているシリアの治安機関・秘密警察は、大きく分けると「総合情報局」(ムハバラート)と「内務省」の2系統があります。総合情報局は大統領直属の強大な秘密警察で、シリアでは裏の権力をいちばん握っています。
総合情報局の下には、いくつも秘密警察セクションが設置されています。「軍事情報部」(ムハバラト・アスカリエ)、「政治治安局」(アル・アムン・アル・シアセ)、「空軍情報部」(イダーレト・ムハバラート・アル・クワト・アル・ジャウィーア)、「秘密事務局」(アル・マクタブ・アル・スリ)、「内務治安部」(フルウ・アル・アムン・アル・ダーヒリ)、「政府治安局」(アル・アムン・ダウレ)、「民族治安局」(アル・アムン・アル・カウミ)、「情報部」(フルウ・アル・マルマト)、「海外情報局」(ムハバラト・アル・ハーリジ)、「捜査部」(フルウ・アル・ブフース)、「パレスチナ部」(フルウ・ファラスティーン)、「対テロ部」(フルウ・ムカファハト・アル・エルハーブ)、「212部」「911部」「215部隊」などがあるようです。
各部局の詳細まではわかりませんが、このうち、とくに軍事諜報機関兼軍内秘密警察である「軍事情報部」、公安政治警察の「政治治安局」、独立系の秘密警察兼諜報機関である「空軍情報部」などは、それぞれ独自の指揮系統を持っていて、大統領に直結し、互いに忠誠を競い合っています。このあたりの仕組みは、独裁を磐石にするために先代のハフェズ・アサド前大統領が築き上げたものです。
ちなみに、なぜ空軍情報部がこんなポジションなのかというと、先代ハフェズがもともと空軍司令官出身で、最高権力に就いた後も、秘密警察のなかの対抗馬として、空軍情報部に独自の諜報活動・公安活動の権限を与えたからです。なので、空軍の情報セクションなのに、実際は空軍司令官ではなく、大統領に直結しています。
空軍情報部はハフェズ時代から、旧ソ連のKGBと密接な関係があるといわれていました。実態はよくわからない部分も多いのですが、かつてはパレスチナ関係やテロ支援などの海外工作などでも暗躍していたとみられています。現在は国内で反体制分子の密殺なども行っているといわれ、空軍情報部の管理する政治犯収容所に入ると「生きては出られない」と噂されています。
また、軍事情報部も独自の強力な機構を持っています。現在は軍副参謀長となっているバシャールの義兄のアセフ・シャウカトは、長くこの軍事情報部長を務め、軍・治安機関全体に睨みを利かせていました。軍事情報部は、総合情報局本体に匹敵する権限と陣容を持っています。
政治治安局は、さしずめ「武装した特高警察」といったところです。政府高官でさえ震え上がる公安警察の最上位になります。
他方、内務省系には一般の警察と、公安警察である「総合治安局」(アル・アムン・アル・アーム)があります。一般の警察も、諸外国の警察のような感じではなく、要は独裁体制のための公安警察そのものです。武装した治安部隊があります。
総合治安局は、一般警察より上位の公安警察で、こちらも治安部隊があります。日本政府の資産凍結リストでは国家治安局となっていますが、局長の氏名からすると、おそらくこの総合治安局のことだろうと思います。
総合治安局には、メインのセクションが3つあります。「国家治安部」(シュエバト・アル・アムン・アル・ワタニ)、「海外治安部」(シュエバト・アル・アムン・アル・ハーリジ)、「パレスチナ関連部」(シュエバト・アル・シュウン・アル・ファルスティニヤト)です。他にも細かな部局がいろいろあるようですが、詳細はよくわかりません。
なお、総合情報局と総合治安局で、似たような名称の部局がいくつもあって、似たような任務を担当していますが、それも裏権力を分散させ、互いに牽制させることで独裁を守るための措置です。ただし、大統領直属の総合情報局のほうが、内務省系の総合治安局よりもずっと格上になります。
現在、デモ隊を弾圧する中心になっているのは、総合治安局の国家治安部です。ここが私服要員に加え、武装した制服治安部隊も投入して、デモ隊を襲撃しています。
また、総合治安局は、体制派民兵と一般警察部隊を現場で指揮しています。体制派民兵の主力は、私服のゴロツキ集団である「シャビーハー」(亡霊)ですが、その他に、西部アラウィ派エリアを地盤とする戦闘服姿の武装グループもあって、「フルカト・アル・マウティ」(死の部隊)と名乗っています。一般警察もデモ隊の弾圧の前線に駆り出されています。弾圧場面映像で「POLICE」と書かれた制服を着ているのは、すべて一般の警察になります。
総合治安局はもともと独裁維持のための公安組織なので、市民弾圧はいわば本来の任務になります。ですが、一般の警察官にはそうでない人も少なくありません。なので、総合治安局の要員は、一般警察を監視する役目も負っています。
他方、総合情報局系の組織は、街角でデモ隊を蹴散らすというよりは、反体制分子を逮捕・拷問することがメインです。しばしば20人くらいのグループで1人もしくは数人の標的を密かに拉致するという活動を盛んに行っています。国民も、一般警察や総合治安局に逮捕されただけならまだいいほうで、総合情報局系の秘密警察に逮捕された場合、非常に危険な状況に陥ってしまったことになります。
ところで、街角でデモ隊を弾圧・虐殺する主役は、シャビーハ、一般警察、総合治安局になりますが、彼らで対応できない場合、軍が出動となります。ただし、一般の軍はあまり信用されていないので、軍の後ろに大統領の弟が指揮する精鋭部隊が配置されることがよくあります。共和国防衛隊と第4機甲師団です。
アサド政権がいちばん恐れているのは、政府軍の内部から反乱する者が出てくることで、そのため精鋭部隊は一般部隊の監視の役目も果たしています。各部隊の上級幹部はむろん、軍事情報部の監視も受けます。こうした二重三重の監視体制のため、シリア軍内部からの大掛かりな反乱は抑えられています。
2011/09/10(土) 00:50:46 |
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リビアのカダフィ関連のニュースに埋もれていますが、シリアでの国民弾圧は今も続いています。ここ数日はホムスで大々的な軍事作戦が行われ、多数の犠牲者が出ている模様。また、東部デルゾールでは反体制派側武装集団が体制派民兵や治安部隊を攻撃したとの情報もありますが、こちらは未確認。
そんななか、日本政府は9日、シリアの15個人+6団体に資産凍結等措置を発表しました。対象とされたのは、以下です。
※個人
▽バッシャール・アサド大統領▽ファルーク・シャラ副大統領▽ムハマド・イブラヒム・シャアール内務相▽アリ・ハビブ・マフムード前国防相▽マーヘル・アサド共和国防衛隊司令官▽ラミ・マフルーフ(シリアテル会長/アサド大統領の従兄弟)▽ハフェズ・マフルーフ総合情報局幹部▽アーティフ・ナジーブ元政治治安局ダラア支部長▽アブドルファタハ・クドスィーヤ軍事情報部長▽アリ・マムルーク総合情報局長▽・ムハマド・ディーブ・ゼイトゥーン政治治安局長▽ラスタム・ガザリ軍事情報部ダマスカス地域支部長▽アーセフ・シャウカト軍副参謀長▽ヒシャーム・ブフティヤール国家治安局長▽ムハマド・ハムショー(「ハムショー・インターナショナルグループ(貿易・建設・メディア他)」会長。マーヘル・アサドの義兄で、マーヘルの裏利権代理人。スンニ派)
※団体
▽総合情報局(Syrian General Intelligence Directorate)いわゆるムハバラートと呼ばれる秘密警察
▽軍事情報部(Syrian Military Intelligence)
▽空軍情報部(Syrian Air Force Intelligence)
▽ベナ・プロパティーズ(Bena Properties)
▽アル・マシュレク投資ファンド(Al Mashreq Investment Fund)
▽ハムショー・インターナショナル・グループ
ところで、明日発売の『軍事研究』に「シリア虐殺現場の実態」という記事を寄稿しました。現時点ではもう1件、某月刊誌にシリア問題について寄稿することになっています。
これでレバノンで取材したシリア情勢ネタについては週刊誌×1、月刊誌×1、軍事誌×1、BS放送×1、CS放送×1でなんとか企画にすることができましたが、まだまだ世間の反応はいまひとつに思います。まあ、ネタがマイナーだということですね。イスラエルやイランの問題に直結するシリアは、国際政治のなかではリビアやエジプトなどよりずっと重要だと思うのですが・・・。
ちなみに余談ですが、当ブログには「戦場ジャーナリストになるには」等のキーワード検索で覗いてくれる方や、関連コメントをいただく方もいらっしゃるので参考までに記すと、1週間のレバノン自費取材の経費がこれらの「発表」でようやくトントンといったところです。調査・執筆等の期間の生活費を考えれば、このネタ単独ではかなりの赤字になります。私がコメント欄で何度も「他に収入源が必要」と書く意味がわかっていただけると思います。
2011/09/09(金) 22:12:40 |
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シリアのハマとホムスの間にあるアル・ラスタンという町から、本日入ってきた映像です。軍を離脱した兵士グループが、デモ隊の前で演説しています。まだまだ数は少ないですが、徐々にこうした動きが出てきています。
▽アル・ラスタンの反乱軍 ただし、まだ反乱軍が正規軍と交戦するような場面の映像は出ていません。なので、政府軍・治安部隊と対決できるほどのまとまった反政府軍の創設までは至っていないものと推測されます。
また、場所がよくわからないのですが、下記も本日流出した映像で、シリア反体制派のフェイスブックで大きな話題となっているものです。重傷者(あるいはもう死んでいるかも)に、トドメをさしている場面です。
▽トドメの銃殺 (残虐シーンということで、ユーチューブではログオン者のみの閲覧制限になっていますね)
2011/09/08(木) 00:25:02 |
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9・11から10年ということで、主にBSとCSで関連ドキュメンタリーが結構放送されていますが、昨夜、ヒストリー・チャンネルで「9・11アメリカ陰謀説」という番組を拝見しました。いまだに「9・11はアメリカの自作自演」と思い込んでいるアメリカ人があれほどたくさんいることに、ちょっと驚きました。
番組によれば、陰謀論者には「米政府はテロをわざと見逃した」派と、「自作自演」派があったのが、今では後者がずっと優勢とのこと。また、当初はそれほど多くなかった陰謀論者が、03年のイラク戦争を機に「戦争で儲けたい政治家・企業が仕組んだ」というストーリーで、どっと増えたということでした。
それと、これはまったく知りませんでしたが、アメリカの若者が制作している「ルース・チェンジ」というネット配信映画シリーズが多くのネット・ユーザーの支持を受け、陰謀論の拡散にたいへん寄与しているということでした。
信じるか信じないかは、アナタ次第です!!ではありますけれども、いちおう「9・11」と「情報分析」をそこそこ研究してきた立場からすると、911陰謀論の論拠はすべて間違いだと思います。というか、間違いです。なので、できたら「信じない」でいただきたいと思います。
陰謀論の論拠はいろいろありますけれども、どうも本丸は「ビル崩壊の仕方が不自然だ」ということらしいです。「火災の温度で鉄筋は溶解しない」⇒「なので爆破」とのことですが、「火災の温度で鉄筋の強度は低下する」が解答です。
ちょっとネットでググってみたら、こんな記事もありました。
9.11から10年、いまだ根強い「米政府陰謀説」 AFP通信09月02日
上記記事から抜粋・引用します。
▽米国民3人に1人が陰謀説を支持
2006年に米スクリップス・ハワード財団が実施した世論調査では、何らかの陰謀があったと思うとの回答は36%に上った。その他の世論調査でも、陰謀説はアラブ世界ばかりかフランスでも広く支持を集めている。
米国内では10年後の今も、「9.11の真実と正義のための学者集団」や「9.11の真実のための建築家・エンジニア集団」といった複数の団体が、米史上最大の政府の陰謀を暴こうと活発に活動している。
『9・11事件は謀略か―「21世紀の真珠湾攻撃」とブッシュ政権』などの著作で陰謀説を唱えるデービッド・レイ・グリフィン氏「本当のアホは政府の説明を鵜呑みにするやつ」「奇跡を科学原理、特に物理や化学の原理で説明できない事象と定義するなら、政府の説明には10個以上の奇跡があることになる」
▽9.11の都市伝説
ディラン・アヴェリー監督がインターネットで公開したドキュメンタリー映画『ルース・チェンジ』は、グーグルで約1億2500万回、ユーチューブで約3000万回の閲覧回数を記録。この作品で提示・検証されたのは以下。
- ツインタワーは飛行機の激突だけでは倒壊などしないはず。
- 世界貿易センターの第7ビルは、飛行機が激突していないのに驚くほど倒壊が速かった。あれはビル解体のプロの仕業だ。
- ニューヨークの株価は事件直後に下落した。一部の人間がテロ発生を事前に察知していたからに違いない。
- 国防総省への攻撃は、アメリカン航空77便の激突ではなく、米軍のミサイルによるものだった。
- ユナイテッド航空93便はペンシルベニア州の平原に墜落したとされているが、恐らく戦闘機により撃墜された後、痕跡が消された。
ただし、これらの疑問については「www.debunking911.com」や「www.screwloosechange.blogspot.com」などの反陰謀説ウェブサイトが改めて検証し、ほぼ全てについて「間違いだ」と結論付けている。(以上、引用)
陰謀論は、なかなかなくならないですね。信じる人は何を言われても信じるみたいです。余談ですが、日本でも陰謀論の書籍は結構よく売れる鉄板企画だそうです。羨ましい話です。私もときどきお話いただきますが、いくらなんでも無理っす。
つい先日も某誌から中東情勢に関する、ある陰謀論についてコメントを求められました。丁寧にご説明したつもりですが・・・・。
上記、反論のある方もいらっしゃるかと思いますが、信じるか信じないかはアナタ次第です!!
2011/09/07(水) 11:49:01 |
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本日発売の『週刊朝日』に、短い記事ですが「“崩壊”リビアでカダフィ大佐がすがる“息子”の動向と“シリア”の情勢」という記事を寄稿しました。カダフィの7人の息子たちは揃って稀代のバカ息子揃いですが、国内潜伏組は今でもかなりのカネを握り、それなりの戦力の親衛隊を指揮しているようなので、その動向が注目されます。
また、シリアのアサド政権が“独裁者仲間”ということで、カダフィを側面から支援しています。
ともあれ、トリポリが陥落したとき、私はカダフィも早期にとっ捕まるか殺害されるか自殺するかするのではないかと予想していましたが、外しました。ご存知のとおり、意外な粘りを見せています。はたして“砂漠の狂犬”は今どこに??
9月5日、カダフィ派のイブラヒム報道官がシリアの政府系衛星テレビ「アル・ライ」(主張)を通じ、カダフィがリビア国内の反カダフィ派が到達できない場所にいることと、カダフィ後継者である次男セイフイスラムもリビア国内で移動を続けていると明言しました。事実かどうかはわかりませんが。
また、同5日夜、200~250台のリビア軍の装甲車が隣国ニジェールのアガデスに到着した、との情報があります(6日、ロイター通信)。
カダフィやセイフイスラムがいるかどうかは不明ですが、ロイター通信によると、「ニジェールの隣国ブルキナファソに亡命する可能性がある」とのこと。カダフィの性格からすると、まだそこそこの戦力を持っている段階で、そう簡単に国外逃亡するとは考えにくいことではありますが・・・。
2011/09/06(火) 13:16:45 |
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まもなくあの911テロから10年になります。あの事件は、私個人にとっても人生の転機となる事件でした。
その頃、私は『軍事研究』で「ワールドワイド・インテリジェンス」という欄を担当するかたわら、他の版元でもムックの編集などをやっていました。あの頃はなかでも自衛隊関連のムックを立て続けに手がけていた頃で、911当時もたしか別冊宝島で自衛隊ムックを制作している最中でした。
911は発生直後に自宅のテレビで第一報を知りました。当時、ビンラディンやアルカイダは日本のメディアではメジャーな存在ではなかったので、テレビや新聞の記者から電話が殺到しました。まあ、そんなバブルも1週間くらいだけでしたが。
アフガン取材も考えましたが、911から数日のうちに2つの仕事が決まりました。『世界のテロと組織犯罪』増補改訂版の出版と、『イスラムのテロリスト』の出版です。『世界のテロと組織犯罪』は当時、ビンラディンやアルカイダに関しておそらくもっとも詳細に解説されていた日本語の書籍で、在庫が瞬時に売り切れ、増刷が決まったのですが、すでに3年前の本だったので、その間のアルカイダ情報を付記することになりました。「ワールドワイド・インテリジェンス」でアルカイダ情報のストックは手元にあったので、数日で書きました。
それからは、すでに進行中だった自衛隊ムックと並行で、『イスラムのテロリスト』にかかりました。じつは、イスラム・テロの興隆史を現代史ドキュメントの読み物にするという企画をだいぶ前から進めていて、途中まで書いていたのですが、その「商機」にそれを超特急で新書に組み直すことになったわけです。
資料はすでに全部持っていたので、それを組み直すのに、だいたい3週間くらいかかったと思います。なので、緊急出版でしたが、べつに内容的には「やっつけ仕事」だったわけではありません。
それから自衛隊ムック、さらに『世界のテロリスト』をすぐに出しました。『世界のテロリスト』は、『世界のテロと組織犯罪』からテロ分野だけを抜き出し、その情報を全面的に更新しました。とにかくテロリスト情報に対する注目がものすごく集まっていて、それだけ需要があったわけです。
その直後に、今度はアメリカで炭疽菌テロが発生しました。私はちょっと以前に別冊宝島の『生物災害の悪夢』というムックに関わっていて、生物テロに関しての予備知識があったので、今度は急遽、『生物兵器テロ』という新書を書くことになりました。とはいえ、バイオや医療の分野の知識には自信がなかったので、医療専門紙記者出身のジャーナリストだった村上和巳さんに声をかけ、手分けして共著のかたちで出版しました。蛇の道はヘビといいますが、村上さんにはずいぶん助けていただきました。
正確には覚えていませんが、この『生物兵器テロ』の校了は同年12月中だったと思います。9月のテロからの量産で、へろへろになっていた記憶がありますが、自分のいちばん興味のある分野だったので、あまり苦にはなりませんでした。
911テロの頃、私はすでに38歳になっていて、それまでこれといった実績もない一介のライター兼編集者でしたが、このときテロ関連の書籍を続けざまに出版したことで、その後、その道を専門に進むことができました。
アルカイダに関しては、それからも本籍である『軍事研究』をはじめ、『週刊エコノミスト』などにも書かせていただきました。3年後には『国際テロ・ネットワーク アルカイダの全貌』も上梓しました。
私は当初、ビンラディンは早期に捕まるものだと予想していましたが、見事に外れました。私はアルカイダ情報をカバーするうち、アメリカのインテリジェンスの奥深さに興味を覚え、インテリジェンス研究に興味対象をシフトさせていき、やがて『ワールド・インテリジェンス』を出すことが出来ました。
こう考えると、911こそ私自身の原点だったのだなと思います。10年間は、私にとっても長いようで短い年月でした。今年5月にはビンラディンが殺害され、私も『ビンラディン抹殺指令』を書きましたが、これでこの分野もひと段落という感じになっています。
今、中東イスラム世界は、アルカイダの反米テロよりも民主化革命に焦点が移っています。歴史は新たな時代に移行したということなのだと思います。
2011/09/06(火) 01:11:35 |
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野田政権の発足で、メディア・識者には「鳩山・菅政権で傷ついた日米同盟を立て直せ!」という言説をよく見かけるのですが、日米同盟は本当にそんなに傷ついたのか疑問に思っています。
そもそも、日米同盟の軍事同盟としての重要性は、90年代初頭の冷戦終結で、本質的に低下していたというのが、私の見方です。「北朝鮮や中国があるじゃん!」という意見は多いですが、旧ソ連とは比べものにならないほど、軍事的・政治的脅威は小さいです。日米同盟の切実度は、明らかに空洞化していると考えています。
アメリカ側からすると、日米同盟は、アメリカの世界戦略の同調者のひとりであるという政治的価値が少しありますが、あとはほとんど日本国土を軍事的に利用できる価値ということになります。この価値は非常に大きいもので、私は冷戦終結後の日米同盟の我彼のコスト・バランスは、日本側の一方的出超赤字であって、アメリカの「タダ乗り」と言っていいほどではないかなと考えています。
鳩山政権で日米同盟が傷ついたというのは、鳩山政権が友愛外交と称してアメリカべったりでない外交路線を標榜したこともありますが、具体的には、普天間移設問題でアメリカとの約束を反故にしたことを指しています。
ですが、普天間移設プロセスが止まっても、アメリカ側は現状維持でそんなに困りません。極東海兵隊再編計画に狂いが生じますが、それで困るのは圧倒的に日本側です。
日本は鳩山・菅政権下においても変わらず広大な領土を米軍に差し出していますから、日米同盟にはまったく影響を与えていないといっていいと思います。
日本側はむしろ、もっとアメリカ側に注文すべきだと思います。沖縄の海兵隊基地なんて、メインは台湾のためにあるわけですから、本来ならアメリカと台湾で何とかすればいい話です。軍事的な対中国封じ込めは日本の安全保障にも合致するので、そこに多少のコスト負担は必要かもしれませんが、沖縄ばかり負担しすぎというのは紛れもない事実であろうと思うのです。
沖縄海兵隊についてはそれこそ諸論ありますし、ここではこれ以上論じませんが、要するに「沖縄からの米軍退去」を主権国として通牒するくらいのことがあって初めてアメリカ側は困るわけで、日米同盟が傷つくということになるのではないかなと思うわけです。
私は反米論ではないですし、対中国で日米同盟は必要との立場ですが、日本政府はやっぱりアメリカ様の顔色を必要以上に伺いすぎではないかなという気がしています。
2011/09/05(月) 17:18:32 |
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リビア・ネタもいろいろ出ていますが、先ほどCNNが、カダフィの有名な白人看護士グループのひとりの独占インタビューを流していました。ウクライナ人で、たしかになかなかの美形です。
噂では、カダフィは常にお気に入りの金髪ウクライナ人看護士をはべらせていたとのことですが、その女性は赤毛。たぶん染めてますが、元の色はわかりません。リビア滞在中の写真もいくつか紹介されていましたが、金髪にはしてませんでしたね。
それらの写真では、他にも白人看護士が何人も写っていましたが、この女性以外はそんなに美形ではありませんでした。カダフィのお気に入りがいるとすれば、まあたぶんこの女性でしょう。
で、誰もが気になるあちらの関係ですが、本人の証言によれば、外国人看護士グループはローテーションを組んでカダフィとその妻、家族などのケアをしていたそうで、周囲には常に側近がおり、カダフィと2人きりになることはなかったそうです。本人の証言だけなので事実はわかりませんが、おそらくそういうことなのだろうなという気がします。この手の話は、えてして誇張されるのが常です。
カダフィ関係のネタは、あと何が出てくるでしょうか? テロ支援関連の資料が出てくれば、日本赤軍関連なども出てくるかも。
2011/09/04(日) 15:23:57 |
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この夏、レバノンに行ったことは拙ブログでご紹介しましたが、レバノンの都市部(ベイルートだけではありません)では、すでに人々の生活も都市化が進んでいて、いわゆる中産階級が非常に増えているように感じました。
他方、中国でも、とんでもない富裕層とそうでない人々との格差は広がっていますが、総じて中産階級化が急速に進んでいます。韓国もかつて四半世紀前くらいに私がちょくちょく旅していた頃は、まだまだ慎ましい生活をしている人が多かったものですが、いまや日本とそんなに変わらない中産階級層の国になっています。東欧、東南アジア、中南米などなど、かつては貧しかった国々でも、着実に中産階級が成長しています。
先月だったか先々月だったか、テレ東の夜の経済ニュースでコロンビアの首都ボゴタが急速に都市化している様子をレポートしていました。町の中心には高級ブランド・ショップすら軒を並べています。あのボゴタが・・・と感慨深いものがあります。
なぜこんなことに言及するのかというと、リビアのニュースを見ていて、なんだかずいぶんイメージと違う印象を持ったからです。私が中東によく出没していた80~90年代のイメージでは、リビアといえば遊牧民の文化が色濃く残っていて、部族割拠の国という印象がありました。
ですが、報道で見るかぎり、今でも部族社会は残っているようですが、少なくとも都市部ではかなり今風な雰囲気になってきているように見受けます。数日前も、某CS放送の解説番組に在日リビア人留学生団体の人が出ていたのを拝見したのですが、少なくともトリポリ出身で日本に留学できるようなポジションのこの青年からすると、部族などまったく関係ないとのこと。リビア全土がそうだということはないと思いますが、都市部ではそれなりに都市化・中産階級化が進んでいるのではないかなと推測しました。
都市化・中産階級化というのは、全部ではありませんが、概して「欧米化」とほとんど同じです。それは人類社会の必然の流れであり、大筋では「進歩」といえるものではないかなと私は考えています。
いずれにせよ、人間の社会は、時間の経過とともに変質していきます。10年前、5年前の感覚で見立てると、現実を見誤る可能性が大いにあるとみるべきでしょう。私などは15~25年前くらいに世界各地を比較的広範囲に旅行したことがあるので、先入観に要警戒です。
こうしたことを、シリア情勢の情報をウォッチしているときにも感じます。
シリアはアサド家およびその取り巻きによる超独裁体制です。アサド家は国民の約12%といわれる少数宗派=イスラム教アラウィ派の出身で、同国ではアラウィ派が多数派のスンニ派住民たちを支配している構図がもともとあったわけですが、どうも私の見るところ、今ではかつてほど宗派対立構造にはなっていないのではないかなと思うのです。
たとえば、ひとつにはバース党、軍、秘密警察の上層部に、今ではスンニ派もかなりいるということがあります。スンニ派でも、アサド家やその親戚、側近などに個人的に近ければ、そうした権力構造の上層部に食い込み、利権の甘い汁を吸えるようです。たしかに権力機構の上層部は今でもアラウィ派が多いのは事実だと思いますが、必ずしもアラウィ派独占ということではなくなってきています。
(たとえば、ハフェズ・アサド前大統領の盟友だったトラス元国防相はスンニ派でしたが、その息子は貿易利権でかなりの利益を手にしています。スンニ派でも、中国で言うところの「太子党」はいるわけです)
また、ラタキアをはじめ、西部の海岸地方の町では、アラウィ派住民からも激しい反体制デモが発生しているということがあります。少数宗派といっても、国民の12%もいれば、そのなかにはアサド系もいれば、そのインナー・サークルに入れないアラウィ派もたくさんいるわけです。
シリアでも都市化・中産階級化が進んでいますが、とくに若い世代はあまり「何派」とか気にしていないと思います。あえて分けるとすれば、「アサド独裁体制でうまくやっている派」と「そうでもない派」という感じでしょうか。
反体制派の中でも、モスレム同砲団などの宗教グループの存在感は予想外に低いように見えます。それはスンニ派自体は多いわけですから、デルゾールのモスクが砲撃されたり、ダマスカスのシェイフが襲撃されたりすれば信者たちの猛反発を呼ぶわけですが、かといって宗教系のグループの発言力が強まっているというようには見えません。
誰かが(CIAなど?)意図的にそう誘導している可能性もありますが、シリアでも都市化・中産階級化された若者層が、反体制運動の中心になっているように見えます。
2011/09/04(日) 14:45:17 |
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米『ウォールストリート・ジャーナル』電子版は9月3日、「Tripoli Files Show CIA Working With Libya」という記事を掲載しました。
▽トリポリ文書はCIAとリビアの協力関係を示す 旧東ドイツで冷戦終結後にシュタージ・ファイルが大問題になったり、イラクでサダム政権崩壊後に秘密警察の資料が公になったりと、独裁体制が革命で倒された後は、機密文書がいろいろ物議を醸すわけですが、リビアでもさっそく出て来ました。
対外保安局本部で発見された文書に、CIAとの協力に関して書かれたものがあったというのです。それによると、ブッシュ前政権時代のCIAが、テロリスト容疑者として拘束したアルカイダ関係者を、尋問のためにリビアの刑務所に秘密裏に送っていたということです。
文書のひとつは、リビア対外情報局のムーサ・クーサ局長に対するCIAのスティーブン・カッペスからのテロリスト容疑者尋問代行の依頼書でした。カッペスはもともとCIA作戦本部の幹部でしたが、クリントン時代のリストラでCIAを追われていたところを、アルカイダとの戦いが浮上したおかげで秘密工作担当副長官として呼び戻された、有名な生え抜きの情報工作官。2004年にクーサと交渉し、核放棄と対米関係改善を実現させた立役者でもあります。そのカッペスが、やはり04年に尋問代行を要請していたわけです。
もっとも、これはかつて米大手メディアでさんざん書かれてきたCIAの秘密収容所「ブラックサイト」のひとつとして、すでに知られていた話です。
テロ容疑者を尋問し、情報を引き出すためには、ある程度の拷問が必要となる局面もあるわけですが、法的に人権が守られているアメリカ国内ではそれが不可能です。そこで国外の協力的な国に身柄を引き取ってもらい、代わりに拷問をやってもらっていました。CIAで「エクストラオーディナリー・レンディション」(特殊な移送)と呼ばれていた工作です。
いくつもの国々の協力がわかっていますが、その中にリビアもあったわけですね。独裁国家の独裁ぶりを、当時のCIAは利用していたことになります。もっとも、それが一概に間違いとは私は思ってはおりませんが・・・。
2011/09/03(土) 20:26:35 |
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シリアの若者たちは凄いなと思います。よくこんな状況に立ち向かうし、またこんな状況を撮影できるものだと。シャビーハーとアムンがバンバンこっち撃ってきてます。そこを挑発するする!
⇒ドゥーマ(ダマスカス北東部郊外)9月2日最新映像 上記はユーチューブのチャンネルですが、この人(souria2011)の投降映像は、他にも興味深いものが前後に結構ありますね。それにしても早い! ほとんど同時中継並みです。
ところで、反体制運動ももう半年が経過し、ネット上でも広報体制が非常に洗練されてきています。ということで、シリア国内の日々の投降映像を町ごとに集めている便利サイト(しかも英文)を紹介します。
▽Syrian Uprising 2011 Information Centre 上記は英文のフェイスブックですが、そこで日々のサマリーがグーグルマップにリンクされます。そうすると、その日にシリア各地から発信されたユーチューブ投降映像が、町ごとにリンクされるというスグレモノになっています。
例えば、9月2日分は以下のようになっています。
▽Syria - Friday 02/09/2011 これで毎日、シリア国内の様子が手にとるようにわかるしくみになっています。興味のある方はぜひどうぞ。
2011/09/03(土) 09:49:53 |
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ある種の「化かし合い」「騙し合い」で英ガーディアン紙と完全「内ゲバ」状態になっていたウィキリークスですが、つい数日前に「ウィキリークスが『暴露本の中で米外交公電のパスワードを勝手に公開した』とガーディアンを非難」という記事を目にしたと思ったら、ウィキ側がキレてしまったようで、公式サイトで全データをそのまま公開してしまいました。
たしかにサイト上では、8月30日付で25万件以上がそのまま全公開です。在日大使館発のも全部あります。とりあえずシークレット指定のものだけでもダウンロードしておこうかなあ・・・と。いやあ、それにしても多い!
しかし、こうしてナマ資料がそのまま出ると、情報源の個人名がすべて公開されるというわけで、場合によっては関係者の生死にも関わってくる可能性があります。ウィキリークスを「公権力に立ち向かう正義の味方!」と持ち上げていた向きもありましたが、これはさすがにマズいのではないでしょうか。
ガーディアンはじめ、シュピーゲルやニューヨークタイムズなど、提携していた欧米5紙誌は共同で非難声明を発表しています。一時はヒーロー視されていたのに、なんだかすっかり悪玉になってしまいました。自業自得ですが。
(追記)
ところで、ウィキリークスが話題になったとき、「これで情報公開の時代が来る!」と期待した論調も多かったですが、それに対して私は少し懐疑的な見方をしていました。別冊宝島『機密告発サイト ウィキリークスの真実』で、私はインテリジェンス専門家の小谷賢・防衛研究所主任研究官と対談させていただいたのですが、小谷さんもどちらかというとそういう見方をされていました。
インターネットが情報公開の敷居を低くしたのは事実ですが、それでいきなり機密情報が何でもオープンになるかというと、そういうことではないですね。
いちばんの限界は、ウィキリークスに限らず、ネットは「情報を持っている人」からの自主的なタレコミに期待する「待ち」のメディアだということです。情報というのは、古今東西、原則的には「取りに行く」ものであり、そこが世界中の情報機関や報道機関が苦労しているところなわけです。
正義感からにせよ、自己顕示欲からにせよ、愉快犯的動機からにせよ、私的怨恨からにせよ、機密情報を暴露したいという人は、どんな組織でも常にごく少数はいます。ですが、それはごく少数であって、そこが急にマジョリティになることはありません。
ウィキリークスはたしかにいろいろ興味深い情報をゲットしていますが、世界中から注目されるほどのネタというのは、今のところ全部、たったひとりの米軍兵士がネタ元です。まあ、現実にはそんなものなわけです。
ただし、上記対談で私も指摘したのですが、技術発達によって、ひとりのネタ元が出現した際の破壊力が格段に上がっています。かつてはせいぜい資料を紙でコピーして持ち出していたところが、今ではDVDやメモリースティックなどによってギガバイト・レベルで容易に持ち出されてしまうようになっています。そこはたしかに新しい時代に入ってきたことは事実だと思います。
とはいえ、いずれにせよ、タダで危険を冒すような人は、そんなには出現しません。匿名のタレコミ情報に多額の報酬が生じるシステムが構築されれば、タレコミが増える可能性はありますが、偽情報も増えますから、なかなかうまくはいかないでしょう。やっぱり情報は「取りに行く」姿勢が不可欠です。
ところで、ガーディアンとウィキリークスの内ゲバの経緯は、なかなか興味深いものがあります。ガーディアン側は当初はいかにもウィキリークス側のアナーキーな情報公開思想に共感するリベラル派のふりをしてアサンジに接近しますが、結局、目論みどおりにスクープ独占ができなかったことで喧嘩と相成りました。
ジャーナリストはどこの国でも、ホンネでは手柄競争に血眼になっているのですね。プロである以上、私はそれは当然だと思うのですが。
2011/09/03(土) 00:42:31 |
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シリア中部の検事総長が辞任か、「デモ弾圧に抗議」と動画で ロイター 9月1日
ハマの検事長が、「アサド政権による反政府デモ弾圧に抗議するために辞任した」との声明を、ユーチューブで発表しました。
ビデオ声明では、「7月30日、拘束中のデモ参加者や人権活動家ら72人を治安部隊が処刑」「翌31日、軍が戦車を投入し、少なくとも420人を殺害」「アサド政権が、犠牲者は武装集団によって殺害されたとする偽の報告書を作成するよう検事局に命令」したことなども指摘しています。
アサド政権側は、「彼は武装集団に誘拐され、脅されて話している」としていますが、検事総長は「そんなことはない」と明言。「出国後に正式に声明を発表する」としているで、そのときに明らかになるのでしょうが、自発的反逆であれば、過去最高レベルの高官ということになります。
民衆側はもはやアサド退陣まで反体制デモを止めませんし、アサド政権は自ら辞任することもないでしょう。流血の弾圧がさらに激化していくことは避けられない状況ですが、リビアと違って政権側が暴力装置を独占しているので、最終的には政権側の幹部層や中間層の離反を待つしか道はなさそうです。こうした政権幹部高官の離反が相次げばいいのですが、政権側は当然、幹部たちの家族を事実上の人質にとるなどのカウンター措置をとっていますから、なかなか難しいのが現状です。
側面からふたつの工作が必要になってきています。ひとつは、国連安保理やアラブ連盟などを動かし、国際社会でアサド政権を孤立化させることです。孤立したからといってアサドが辞任するわけではありませんが、政権幹部・中間層の謀反を促す「空気」づくりになると思います。
それと、欧米インテリジェンスによる幹部離脱の誘導工作も、この局面では非常に重要です。インテリジェンスの秘密工作が実際にどう行なわれているのかを知る術はありませんが、リビアでの反カダフィ工作ではそれなりの動きがあったものとみられます。シリアでも当然、何らかの工作は試みられていると思われますが、寝返り工作の成否は決定的に重要になるでしょう。
ところで、ようやく最近になって雑誌やテレビでシリア情勢について紹介させていただく機会を何度かいただいたわけですが、うまく伝えることの難しさを感じています。とにかくシリアなどという国自体が、日本からあまりにも遠く、馴染みがまったくないのですね。
中東といっても、なんとなくイメージが湧くのは、エジプト、イスラエル、パレスチナ、イラン、イラク、サウジアラビア、ドバイくらいまででしょうか。シリア、リビア、レバノン、バーレーン、イエメン、ヨルダン、オマーン、カタール、スーダンなどとなれば、それらの国の個々の違いなど、普通の人ならほとんど興味もないことではないかと思います。
シリアに関しては、かなり乱暴な比喩ではありますけれども、「北朝鮮みたいな国」と解説すると、いちばんわかっていただけます。で、「北朝鮮で金正日に反対するデモが起きたようなもの」と言えば、いかに革命的な事態が進行しているのかイメージしていただきやすいようです。
私は、中東で起きている「アラブの春」は、20年前の冷戦終結に次ぐ現代史上の重要事案だと考えています。冷戦期は当然、東西両陣営の角逐が世界最大の懸案事項でしたが、冷戦終結後の世界の火種は、いわゆる「不安定の弧」に集中しています。その本丸が中東です。90年代以降の国際政治は、中東を軸に動いてきたわけで、中東が民主化されるということは、世界が変わることを意味するのではないかと私は考えています。
かつてのソ連・東欧では、人々に事実を伝えるメディアが登場し、人々が自由に発言できる環境が誕生したことで、社会主義イデオロギーを建前とした強権独裁体制が崩壊しました。中東でも同じようなことが起きています。シリアがひっくり返れば、中東情勢はもちろん、アラブの人々の「空気」も激変すると思います。
旧ユーゴスラビアやチェチェンなどのように、戦争を含む混乱が過渡期で発生する可能性は当然ありますが、大きな流れは止まらないのではないかと思いますし、私はそれは人類社会の大きな進歩なんだろうと考えています。
なので、私自身の個人的考えは、非常に評判の悪い「ネオコン」に比較的近かったするのですが、そうした私見も含めて、うまく説明するのはなかなか難しいですね。
2011/09/02(金) 12:57:27 |
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