ワールド&インテリジェンス

ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です)

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情報機関の監査に関する本

 今春にオーストラリアで出版された『Democratic Oversight of Intelligence Services』(Daniel Baldino編)という本で、日本のインテリジェンス制度に関しても1章を割いて解説されています。情報機関に対する政府や国会などによる監査制度がテーマで、なかなか興味深い内容です。拙著『日本の情報機関』からも、ちゃんとレフェレンス明示で引用されています。ローカルな邦字メディアのみで仕事をしてきた私などは、これまで英文で情報発信したことがほとんどないので、こういうのちょっと嬉しいです。
 同章の執筆者であるDr.Brad Williamsはシンガポール国立大学のフェローをされているオーストラリア人の研究者の方ですが、だいぶ以前に同テーマでメールで直接質問を受け、ごく簡単にではありますが、日本の事情を説明させていただいたことがあります。
 同書は他にもアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの事情がそれぞれ専門の研究者によって解説されています。オーストラリア発信ですから、そのまんまUKUSA諸国の話になってますが、あまり目にする機会のないニュージーランドの話などは面白いですね。
▽『Democratic Oversight of Intelligence Services』(→版元(→アマゾン) 
 ついでに、拙著もよろしくお願いします。
▽『日本の情報機関』(→紹介エントリー)(→アマゾン)
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  1. 2010/10/15(金) 21:58:01|
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中国民主化運動家がノーベル平和賞

 劉暁波さんのノーベル平和賞受賞はたいへんすばらしいですね。こうした民主化圧力はどんどんかけていくべきかと思います。
 ああいう国で、自らの身を犠牲にしても正論を貫くというのは、すごい勇気だと思います。まだまだ後に続く人は少ないですが、世界中が劉暁波さん支持を明らかにすることによって、中国の指導者層の空気を少しでも変えていけないものでしょうか。
 89年の天安門事件の頃に学生だった世代が、今では中国の各界の中核になりつつあります。アメリカを中心に活動している民主化勢力のネット新聞などに、中国政府中枢のかなりインサイダーな情報が流れるようになってきていますが、国内外にそうした個人的な友人ネットワークがあるのでしょう。
 ただ、そこは中国人社会ですから、そう簡単に団結というわけにはいかないかもしれません。少し前のエントリーで、天安門事件当時の学生リーダーだった柴玲さんの写真を紹介しましたが、天安門事件1周年の頃に、ワシントンやボストンなどで活動する亡命者たちを取材しました。ちょっと驚いたのは、亡命者たちが互いに思いっきり悪口を言い合っていたことです。当時、民主化運動には世界中からかなりの金額の支援金が集まっていましたが、その受け取りをめぐって熾烈な主導権争いが実際にありました。
 そうした内部の軋轢に嫌気が差し、活動から離れた人も多かったようです。みんな優秀なエリートでしたから、アメリカでビジネスで成功した人もたくさんいます。そういう人に対して、また昔の仲間が嫉妬したりして、いろいろあるみたいです。
 私は、そんな話を彼らから聞くうちになんだか気持ちがさめてしまい、彼らの取材をやめてしまったのですが、劉暁波さんのような勇気ある人もいるということは非常に嬉しいですね。
 アメリカのインテリジェンス機関などは、この機会に心理工作を仕掛けるかもしれません。ちょっと注目です。
  1. 2010/10/10(日) 11:13:13|
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写真館27 イラン=イラク戦線その他

 前エントリーまでが、いちおう手元にある写真の主だったものの紹介となります。先月に仕事部屋の大掃除をした際に出てきたものにざっと目を通し、適当に見繕ってコンパクトカメラで接写しただけなので、画質のほうはご容赦ください。
 私の写真はいずれも「作品」というよりは、あくまで当時の「ニュース素材」として撮影したものなので、その時点で「消費」されて終わったものばかりです。もちろんそれで構わないのですが、せっかくこういう場があるので、個人アルバムとして再録させていただきました。冷戦終結期前後の時代の混沌ぶりを、少しでも感じていただければ幸いです。
 また、これは本来は他人様にお見せするクオリティではないですが、私の初めての戦場経験であるイランの写真も出てきましたので、アップしてみます。まだ出版業界に入る前の大学3年のときに旅行した際のものです。
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 イランのイラク国境近く。スーサンゲルドという町の入口です。イラン=イラク戦争開戦後にいったんイラク軍に占領されたところを、後にイラン軍が奪還しました。撮影は、ペルシャ湾のタンカー攻撃まで戦況がエスカレートしていた1984年です。完全に軍事地域になっていて、民間人は一切いません。
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 同じくイラン軍が奪還したハウィーザという町の廃墟。こちらは完全に瓦礫に埋もれています。
 ただの学生旅行者だった私が、どうしてこんな戦時下の軍事エリアに入れたのかというと、戦場に向かう革命防衛隊の兵士たちと長距離列車で偶然に乗り合わせ、親しくなったからです。さすがに前線の部隊従軍までは許されなかったのですが、革命防衛隊の軍用トラックに便乗して軍事エリアをあちこち回りました。行き交う軍用車両のピリピリした緊張感に、ちょっと興奮したことを覚えています。
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 こちらも国境の軍事エリア(ホラムシャハル近く)で見かけた反米スローガン。スペル間違ってますが。
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 オマケその1。このときの旅では、他の周辺国でも少し取材の真似事をしました。上写真はシリアの首都ダマスカスのパレスチナ難民キャンプです。反アラファト派の拠点になっていました。
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 オマケその2。当時、レバノン南部に展開していたイスラエル軍が、徐々に撤退を始めていました。上写真はレバノンからイスラエルに帰還したイスラエル軍兵士。レバノン国境付近での撮影です。

 最後に・・・ちょっと分野が違うのですが・・・・。
 ニューヨークに住んでいた20代半ばの頃にアメリカ各地で撮った写真が、まったく見つかりません。日本の雑誌の仕事で、それなりに撮影していたはずなのですが。
 政治的なネタばかりではありません。というか、むしろトピック的な取材のほうが多かったですね。いちばん思い出に残る写真を1点だけ、掲載誌のコピーからアップします。
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 阪神にいたセシル・フィルダーが、米国帰国後にいきなりア・リーグの本塁打・打点の2冠王に(しかも2年連続!打点だけなら3年連続トップ)。大リーグ復帰初シーズンで、アメリカ中の注目を集め出した頃のフィルダーを、本拠地の(デトロイト)タイガー・スタジアムで取材しました。
 その頃、時間も経費もかかる戦場取材は、雑誌数誌で掲載されてもせいぜいトントンにしかならないので、こうした仕事で生活費を稼いでおりました。
  1. 2010/10/08(金) 18:34:34|
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写真館26 北朝鮮その2

 北朝鮮の後編です。
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ほとんどの外国人が見学させられる万寿台の金日成像。いろんな角度から撮影していたら、監視役のガイドに「どうしてそんな変な写真ばかり撮るのですか! なにか悪意があるのですか!」と怒られてしまいました。
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 もちろんですが、こんな感じの肖像画は国中いたるところにあります。
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 平壌市内でたまたま出くわした一団。撮影されるの嫌がってました。
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 平壌市民。ガイドなしで出歩いた際、郊外の団地でたまたま見かけた住民の家に、無理やり押しかけてみました。あちらはちょっと困った末に、こんな写真を持ち出してきました。
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 何かカードのようなものでゲーム(ギャンブル?)をしていた人。シャッター音と同時に飛び上がって逃げていきました。驚かしてごめんなさい。
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 こんなのにも乗りました。
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 こちらは平壌市内の地下鉄。
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 農村風景。このときは季節も良かったので、それほど荒涼とした感じではなかったです。
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 農家を直撃。先方ホントに困ってます。無理やり写真撮ってごめんなさい。
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 ほとんどが監視付の表面的な取材でしたが、いろいろ見せてもらったことは良かったです。面白かったもののひとつが「塩田」でした。
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 いちおうニュース取材もしました。平壌で行われた世界青年学生祭典というイベントに、韓国の学生運動の女子大生が参加し、話題になりました。(この人→ウィキ
 あと、例によってマスゲーム多数見学させられましたが、恒例の写真ばかりなので割愛。一度、会場に金日成が来たのですが、ちょっと遠くてうまく撮れませんでした。
  1. 2010/10/07(木) 15:58:45|
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写真館25 北朝鮮その1

 一度だけですが、北朝鮮を撮影したことがあります。まだ一般の観光旅行が解禁されていなかった80年代末期のことですが、国内の風景は今も当時とあまり変わりないと思います。
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 板門店を北側から見たところです。
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 まさに休戦ライン上。手前が北朝鮮軍兵士で、向こうの白制服は国連軍兵士です。
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 警察国家ですから、いたるところにこんな感じの警備兵がいます。
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 105階建の柳京ホテル。87年着工後、資金不足で92年に建設中断。2008年にようやく工事が再開されました。
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 平壌の町のシンボルのひとつでもある凱旋門。
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 こんな感じの人が、平壌の町中にはたいへん多いです。
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 小学生たち。平壌中心部の、外国人に見せるモデル校です。北朝鮮独特の挙手ですね。
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 外国人見学モデル小学校では、こんな感じの芸を次々と見せられます。こういうのを考える人たちというのは、自分では良かれと思ってやってるのかもしれませんが、私には子供たちが痛々しく見えます。
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 元気に遊ぶ小学生たち・・・に一見するとみえますが、これは演出されたものです。先生の合図で、せーので「無邪気な子供たち」を演じます。いかにも無邪気な様子で私たち外国人見学者にまとわりつく・・・という演出までプログラムされています。やりきれませんね、こういうの。



  1. 2010/10/07(木) 15:55:32|
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写真館24 ロシアその2

 前エントリーのように、私は中国の天安門事件の顛末を見届けることはできませんでしたが、91年3月から2年弱ほどモスクワに住み込み、ソ連崩壊の過程をナマで体験することができました。文字通り「歴史の激流」を目の当たりにするという、たいへんエキサイティングな経験でした。
 以前のエントリーで写真をいくつか紹介させていただきましたが、写真ファイルの中から他の反政府デモ取材時の写真が出てきたので、4点ほど新たにアップしておきます。
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 上記の過去エントリーでアップしていたのは91年6月のロシア大統領選挙時のものでしたが、これは同年3~4月頃だと思います。まだソ連邦体制が磐石な時期で、政府批判デモはそれなりに緊張感がありました。
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 モスクワは寒かったですが、人々には熱気がありました。
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 政府命令でデモが禁止され、急遽、別の会場に変更になったりしたこともあります。民主派勢力と権力側の駆け引きの時期です。
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 中高年婦人層というのが、反政府デモでは大きな戦力になります。警官隊もカメラマンらがいる前で、こういう人に暴行を加えることはあまりありません。

(追記)
 やっぱり上記の過去エントリーから2点、ここでも再度アップロード。写真的に数少ない自信作なので。
繝「繧ケ繧ッ繝ッ縺ョ繝・Δ3_convert_20090521004428

極右組織2



  1. 2010/10/05(火) 09:51:25|
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写真館23 中国民主化運動

 歴史に「もしも」は禁句ですが、「あのとき違った展開になっていれば・・・」とつい考えてしまうのが、1989年春の中国民主化運動です。4月半ばの胡耀邦の死去をきっかけに始まった学生運動は、その後も大きな高まりを見せましたが、結局、小平ら党・軍指導部の判断で軍が投入され、6月4日の天安門広場の大弾圧で幕を閉じます。
 私は同5月初めに北京に入り、しばし学生運動の取材をしましたが、同月中に次の取材の準備のために日本に帰国したため、肝心の6・4は現場にいませんでした。
 もしもあのとき、小平が違う判断をしていたならば・・・中国も今ではまったく違った国になっていたかもしれません。
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 私が取材した頃は、天安門広場はまるで学園祭のような雰囲気でした。参加していた学生たちも、よもや軍があれほどの弾圧を実行するとは思ってもいなかったと思います。
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 とにかく人が多かったです。
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 孫文の肖像も掲げられていました。上写真は超エリート大学・清華大学の学生たち。今ではすっかり中国が誇るハイテク頭脳集団です。
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 デモ参加者もたしかに多かったですが、実際には見物人の数も非常に多く、参加者数はかなり水増しされていたように思います。 
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 デモ行進は各大学を起点に出発し、天安門広場に向かいます。
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 中には興奮する学生もいましたが、デモのリーダーたちは穏健路線の堅持に必死に務めていたように見えました。
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 当初は警察もデモに圧倒されていて、トラブルもあまりありませんでした。
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 非常に暑い5月でした。デモ隊もみんなアイスキャンデーを持ってますね。このように、当初は非常に暢気な雰囲気でした。
 本当に、天安門事件は残念な事件でした。その後のヨーロッパの冷戦終結のプロセスでは、軍が自国民に銃を向けるかどうかが、まさに分岐点でした。
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 民主化運動リーダーのひとりとして有名だった柴玲さん。翌年の一周年の際、逃亡先の米国ワシントンDCで犠牲者追悼集会に参加中のところを取材しました。現在はアメリカでコンピューター会社を経営しているそうです。
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 オマケ。1992年の天皇訪中の際、週刊Sの特派で北京に行きました。天安門広場に日の丸が掲げられていました。
  1. 2010/10/04(月) 22:00:23|
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写真館22 ルワンダ難民キャンプ

 70年代末期のカンボジア大虐殺以降、この30年間でもっとも大規模な虐殺といえるのが、94年4月に発生したルワンダ大虐殺です。私はちょうどテレビ局の撮影スタッフとして日々の業務を担当していたため、同年7月頃まで続いたその大事件をリアルタイムで取材する機会はありませんでしたが、テレビ撮影班の一員として、同年9月に隣国タンザニア領内のルワンダ国境エリアに設置された難民キャンプを取材しました。ほとんどスチールは撮影していないのですが、3点ほどアップしてみます。
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 国際援助が比較的豊富に届けられていたので、ソマリアのような飢餓は発生していませんでした。
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 ただ、まさにこの世の地獄から逃げてきたわけですから、子供たちの中には精神状態に不安定な子も少なくなかったようです。
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 私たちが密着取材した対象は、難民キャンプ内の診療所。まあ、ソマリアの病院よりはだいぶ良かったです。
  1. 2010/10/04(月) 18:02:11|
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写真館21 レバノン1996

 1996年、イスラエル軍はヒズボラを叩くため、14年ぶりのベイルート爆撃を含む大規模なレバノン侵攻作戦を行いました。当時エジプトに居住していた私は、すぐにレバノンに入りました。ただ、この戦争の取材では私は主に映像撮影を行っていたので、スチール写真はほとんど撮影していません。
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 沖合いのイスラエル艦から発煙弾の砲撃を受けるサイダ(シドン)。
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 多数の避難民が逃げ込んでいたカナの国連軍(フィジー軍)基地をイスラエル軍が爆撃。避難民109人が殺害されました。
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 イスラエル軍の爆撃で被害者続出。ただし、私の取材では、イスラエル軍はかなり緻密な情報活動により、ヒズボラの関連施設をピンポイントで攻撃していました。
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 主戦場となったレバノン南部をゆく国連軍のコンボイ。
  1. 2010/10/04(月) 15:27:12|
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写真館⑳南アフリカ部族対立

 南アフリカ白人政権の末期。ようやくアパルトヘイト法が廃止された時期に、南アを取材しました。
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 南ア最大の政治勢力「アフリカ民族会議」(ANC)支持者のデモ。アパルトヘイト廃止の原動力はもちろんANCでした。
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 ANCの中核は、南ア黒人の主流派であるコーサ人。大きな動員力があります。
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 白人政権末期のイケイケの時期。世界中からマスコミが来るので、アピール慣れしてます。
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 まあこのへんはオモチャですが。
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 お馴染みのマンデラANC議長。後に大統領になります。
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 あまり報道されていませんでしたが、当時の南アの対立軸はすでに「白人VS黒人」ではなく、黒人国家建設を睨んだ黒人部族間抗争になっていました。多数派のコーサ人と少数派のズールー人の対立です。上写真はズールー人の政党「インカタ自由党」(IFP)のデモ。ANCとの対決を叫んでいます。ズールー人の特徴は、伝統的な鑓とか盾とかを持ち寄るスタイルです。
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 ズールー人のデモ。アフリカのデモは歌あり踊りあり。ねぶた祭りみたいにずっと跳ねてます。
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 もっとも、デモなどというのはオモテの動きであって、実際には両サイドともにチンピラ武装集団があり、互いに相手側の一般住民を襲撃・殺害するという事件が頻発していました。上写真はズールー人ギャングを摘発する南ア警察部隊。
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 ギャングの多くは、ヨハネスブルクの有名な黒人居住区「ソウェト地区」に散在する「ホステル」と呼ばれる出稼ぎ者収容施設を根城にしていました。上写真はズールー人ホステルで取材した武装グループのメンバー。本当は自動小銃を持っていますが、写真撮影ではやっぱりこんな格好しか撮らせてくれませんでした。じつはこのときは、周囲をギャングに囲まれていて、かなりビビリながらの撮影でした。
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 ソウェト地区。こういうのは定番の写真ですね。もっとも、ソウェトにも金持ちや中流層の黒人が結構います。金持ちの多くはANC幹部だったりします。
  1. 2010/10/04(月) 11:15:02|
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写真館⑲アルバニア騒擾

 1997年、アルバニアでは超高利回り信託投資詐欺(ネズミ講)の破綻から暴動・略奪が全国で発生し、無政府状態になりました。マフィア・愚連隊・私兵集団が町の実権を握り、それに与野党間の抗争が拍車をかけました。
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 軍の武器庫が破られ、誰も彼もが武装するという西部劇みたいな状況になってしまいました。昼日中から武装強盗が頻発してましたし、酔っ払いが遊び半分で銃を乱射することもしばしばでした。
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 上写真の手前の人物は、この騒乱時にアルバニア南部で最大の私兵グループを率いた元警察官。いわゆる愚連隊の大ボスです。
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 とにかく、しょっしゅう銃声が響きます。こちらを狙ったものかどうかは不明ですが、常に警戒は怠れません。
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 強い私兵グループのいる町は、そのガンマンたちが町を治めます。警察もいるのですが、私兵グループの命令に従ってました。
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 無政府状態のなか、略奪や抗争で多くの人が殺害されました。
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 治安維持のため、ヨーロッパ各国より多国籍軍が介入。
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 アルバニアでもっとも治安の悪い港町ブロラに展開したイタリア軍。
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 相手はせいぜい軽武装の小規模なマフィア・愚連隊グループなので、それほど難しい任務ではないです。
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 チンピラ集団にいいようにされていた住民たちは、いちおうは歓迎の構え。どこでもそうですが、とくに男の子たちは興味津々。
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 念のために警戒配置についたイタリア軍の狙撃兵。
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 反政府集会。アルバニアの政治抗争は「左派vs右派」ですが、それよりも地域間利権抗争の側面が大きいです。
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 ブロラを地盤とする麻薬マフィア。アルバニアは犯罪組織の多い国で、アルバニア・マフィアは広くバルカン半島エリア一帯で大きな勢力を持っています。
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 不法移民や麻薬をイタリアに運ぶアルバニア・マフィア。ブロラにて。
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 南部の港町サランダで宿泊したホテルのクローゼットに、弾薬や手榴弾が残されていました。こんなのはどこでも手に入ります。
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 そもそもアルバニアというのは、こんな感じの国です。長い冷戦時代、左翼政権が鎖国政策をとっていたこともあって、ヨーロッパでももっとも経済が未発達です。
  1. 2010/10/03(日) 14:45:27|
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写真館⑱カンボジア1993

 私と同世代の人、あるいはそのちょっと上の世代の場合、最初の取材地が86年のフィリピン政変(アキノのピープルズ・パワー政変)という人が多いですが、そのまた上の世代の人はアフガ二スタン(戦争は79年末から)かレバノン(とくに82年のイスラエル侵攻)という方が多いのではないかと思います。
 カンボジアもずっと紛争が続いていましたが、やはりインドシナの戦争報道は60年代後半から70年代のベトナムの印象が強いです。私はベトナム世代のジャーナリストやカメラマンの方々とは世代的な接点がほとんどなく、紛争現場でお会いしたこともあまりありません。
 まだポルポト派は存続してはいましたが、私の頃はカンボジアでももうそれほど激しい戦闘もなく、なかなか取材する機会がありませんでした。唯一取材したのが、日本でも大きなニュースになった陸上自衛隊初の海外派遣が行われた時期でした。
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 当時の政府軍であるフン・セン派の兵士たち。政府軍といっても、日常的に追い剥ぎ行為が行われていて、住民にもひどく恐れられていました。
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 私の姿を見て、家の近くに掘られた壕に隠れた子供たち。ヤラセじゃないです。これまでいろいろ怖い目に遭ってきたのでしょう。
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 首都プノンペンの国連PKO部隊。たしかガーナ軍だったように思います。こう言ってはナンですが、「あまり役に立たない」との評判でした。当時、評判が良かった(つまり、ゲリラ対策に長けていると言われていた)のが、フランス軍やインドネシア軍あたりですね。
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 ポト派の行動地域である危険地帯のコンポントム州に派遣された日本人文民警察官。非武装なのでインドネシア軍の兵士とともに行動します。大手メディアは自衛隊取材で忙しいため、こちらの様子は一切報道されていませんでしたが、この日本人警察官たちの宿舎もポト派の攻撃を受けていて、彼らは夜間はインドネシア軍宿営地に居候していました。当時、同州内で日本人国連ボランティアの青年1名、他のエリアで日本人警察官1名が殺害されています。週刊F掲載。
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 こちらは自衛隊派遣部隊。
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 自衛隊の方々は主に道路工事をやっていました。炎天下の作業の日々です。もっとも、派遣先のタケオ州はカンボジアで唯一のポト派活動エリア外。当時の一部報道にあったような軍事的な危険度は皆無の、いたって平和で暢気な場所でした。危険地帯じゃないからエラくないというわけではありませんが、文民警察官の方々のシビアな境遇とのギャップが強く印象に残っています。
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 野党集会。
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 僧侶の方々もデモに参加。
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 国連主導による総選挙に期待する人。有名な話ですが、地雷の被害者は実際に非常に多いです。
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 選挙当日の投票所。お祭りみたいな雰囲気でした。週刊F第2弾掲載。
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 上写真の右が、カンボジア政界のVIPのひとりだったシアヌーク殿下(後、国王)。
 でも、私の狙いは左の人物。シアヌークと親交があった北朝鮮の金日成が送り込んだシアヌークの私設護衛(たぶん凄腕)です。当時、ケビン・コスナー主演『ボディガード』が大ヒットしていて、そのキャッチコピーのパロディ「彼から目を離さないこと。命をかけて守ること。決して恋に落ちないこと」なんてキャプションをかませたらどーだろなー、なんてふざけた考えで撮影しました。狙いどおり、週刊Bグラビアをゲット。とにかくこのときはハンパじゃない人数の日本人ジャーナリストがカンボジアに大集結していたので、なにか企画ネタを考えないといけないという状況でしたね。
  1. 2010/10/02(土) 19:47:49|
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写真館⑰南オセチア紛争

 紛争多発地帯である旧ソ連カフカス地方の南オセチアです。ここももうずーっと紛争が続いていますね。
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 ここでの対決関係はグルジアvs南オセチア。ロシアは南オセチア側を支援しています。
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 グルジア側の襲撃に備えるオセチア側の歩哨。南オセチア州都ツヒンバリにて。私の取材時はグルジア側が大きく攻め入っていて、ツヒンバリはほとんど篭城状態でした。
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 戦死者が葬られたツヒンパリ市内の墓地。
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 グルジアはあのスターリンの故郷。この兵士たちは当時、治安維持名目で南オセチアに入ったソ連の内務省部隊です。
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 両サイドともに即席で部隊を編成していました。
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 もともと両民族は混在していたので、住民同士の殺戮戦がエスカレートしていました。そんな村々を巡回するソ連内務省部隊の装甲車に乗せてもらい、同行取材しました。
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 グルジア人の初老婦人が「ソ連軍は帰れー!」
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 ソ連部隊は政治的には反グルジアで親オセチアですが、この内務省治安部隊は基本的にあまりやる気がなかったです。
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 グルジア人村に入っソ連部隊。以前のエントリーに一度モノクロ版を掲載した写真ですが、ポジがありました。
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 一方的な抑圧なら「住民の希望どおりにすれば」と話が簡単なのですが、ここは両民族混在なのでややこしいのです。
  1. 2010/10/01(金) 11:23:48|
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プロフィール

黒井文太郎

Author:黒井文太郎
 63年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。

 著書『ビンラディン抹殺指令』『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『紛争勃発』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』、編共著・企画制作『生物兵器テロ』『自衛隊戦略白書』『インテリジェンス戦争~対テロ時代の最新動向』『公安アンダーワールド』、劇画原作『実録・陸軍中野学校』『満州特務機関』等々。

 ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験あり。紛争地域を中心に約70カ国を訪問し、約30カ国を取材している。




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