文藝春秋の方にお誘いいただき、新宿で行われた松本清張生誕100周年記念行事に行ってきました。九州・小倉にある松本清張記念館が主催で、同館が製作したオリジナル映像作品『日本の黒い霧~遥かなる照射』の上映と、ノンフィクション作家・佐野眞一さんの講演でした。
面白かったのは、ドキュメント映像の中で紹介されていた小倉の黒人兵集団脱走事件のエピソードです。これはノンフィクション『日本の黒い霧』に収録された話ではなく、小説『黒地の絵』のモチーフとなった実在の事件だそうで、私も初めて知りました。
これはどういう事件かというと、朝鮮戦争の頃、小倉にある米軍基地から黒人兵が集団脱走し、略奪と婦女暴行のかぎりを尽くしたという話です。この米軍部隊は、幹部クラスを除いてほとんどが黒人兵で、朝鮮戦争でかなり戦死者を出した部隊だそうです。
松本清張は1953年頃まで小倉に住んでいたということで、この事件を直接見聞しており、後に『黒地の絵』を書いた後、その映画化に奔走しています。ところが、その作品がことごとく映像化された超売れっ子の松本清張作品でも、『黒地の絵』の映画化はついに実現しませんでした。
これはたいへん興味深いことです。事件当時は米軍が強大な影響力をもっていた時代ですから、同事件はほとんど報道もされていません。しかし、それから数十年も経ってからも、この話はいわばタブー視されたわけですね。
たいへん不幸な事件ですが、こうした話はじつは古今東西あります。戦場ではしばしば起こっていることです。それでも、在日米軍を悪者にする作品は、たとえ事実でもおそらく政治的な配慮でタブーになったのです。
この事件がタブー視された最大の理由はおそらく、黒人兵の犯罪だったからではないかと思います。人種差別に繋がりかねないとのビビりですね。私はニューヨークのブルックリンという黒人街に若い頃住んでいたことがありますし、アフリカの戦場取材経験もあるので、黒人の知人もそれなりにいます。その経験から言うと、立派な尊敬できる人ももちろん多数いますが、正直怖い思いは何度もしました。人種差別は単なる肌の色とか容姿の違いとか、そんな表面的な問題ではないですね。
『黒地の絵』を私はまだ読んでいませんが、イーストウッド監督あたりが映画化しないものですかね。もしもそうなったら、アメリカ人はどう観るのか非常に興味を覚えるのですが。
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- 2010/02/28(日) 18:19:21|
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久々に石破茂・自民党政調会長にインタビューしました。別冊宝島や『ワールド・インテリジェンス』でこれまで何度もお世話になりましたが、4年ぶりの取材です。小沢問題をめぐる国会の攻防や、派閥問題をめぐる党内の攻防などが激化するなか、役員会と記者会見のあいだにお時間をいただき、日米同盟の過去と未来についてお話を伺いました。
今月は、外交・防衛問題に関する取材でいろいろな方と再会しました。
政治家では、鈴木宗男・衆議院外務委員長も『ワールド・インテリジェンス』以来の取材です。検察問題で取材が詰まっているなか、こちらは対ロシア外交についてお話を伺いました。
外交ジャーナリストの手嶋龍一さんともお会いしました。『ワールド・インテリジェンス』創刊号でお世話になって以来です。NHK元ワシントン支局長として著名な方ですが、現在は慶応大学大学院の教授をされています。本日、あのベストセラー『ウルトラ・ダラー』の続編『スギハラ・ダラー
』(→アマゾン)が発売です。
『ワールド・インテリジェンス』で2度取材させていただいた春名幹男・名古屋大学大学院教授にもお会いしました。共同通信でワシントン支局長、論説副委員長、特別編集委員などを歴任された方で、現在は例の日米「密約」を検証する外務省有識者委員会の委員も務められています。
ところで、春名さんが長年連載してきた新潮社の『フォーサイト』の休刊が決まりました。あの連載は私にとってはまさにお手本のようなものでしたので、非常に残念です。
その『フォーサイト』の最新号で、私が春名さんの連載とともに常に真っ先に目を通しているアラブ専門家の池内恵さんの連載記事に、最近ほかにもいろんな雑誌が休刊していることが書かれていました。『外交フォーラム』『現代の中東』『国際問題』などなど。休刊の理由は、どこも要はカネの問題です。『フォーサイト』は莫大な広告料、それ以外のは「お上」から資金がわんさか入って、正直「うらやましいなあ」と思っていたのですが、予算削減でそれまでとなったらしいです。
思い返せば、細々と営んでいた我が『ワールド・インテリジェンス』も、やっぱりおカネで続きませんでした。ビジネス・モデルとしては最初から無理があったことは否めません。むしろ、よく2年間続けられたなあというところでしょうか。読者の皆様のおかげです。
それにしても、そうなると日本語で読めるのは、あとは『ニューズウイーク日本版』『選択』『FACTA』くらいかなあ。あ、そうだ、『軍事研究』を忘れてはいかんいかん。
- 2010/02/26(金) 09:43:49|
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あの地下鉄サリン事件から、早いもので来月で15年になります。ということは、国松警察庁長官狙撃事件の時効もまもなくですね。村井秀夫刺殺の背後関係など、オウムにはいまだ明らかになっていない謎がいくつも残されています。それでいいのか!とも思うのですが、なんとなくこのままうやむやになりそうな感じですね。
昨日発売の月刊誌『宝島』四月号で、「オウム最後の謎」という特集企画を担当しました。メイン記事は作家の麻生幾さんとジャーナリストの門田隆将さんの対談で、私は司会・構成担当です。一昨年暮れに出版された別冊宝島『昭和・平成コールドケース』で、戦後の未解決事件全般について、ご両人の対談記事を企画・構成したことがあったのですが、それを今回はオウム事件に絞って掘り下げてみました。
麻生さんは当時、有名週刊誌・月刊誌で活躍するジャーナリストで、門田さんは『週刊新潮』の剛腕編集者。ともにスクープを連発し、すでに週刊誌業界ではエース級の実力派として有名な方々でした。お二人はまた、後に『週刊新潮』長期連載で大反響を呼んだ「昭和・平成 裏面史の光芒」シリーズの黄金コンビでもあります。
私はといえば、当時はテレビ業界にいて、オウム報道の末端に関わっていました。松本サリン事件のときは事件翌日に現場を取材しました。
地下鉄サリン事件のときは、海外にいました。ミャンマーの日本人義勇兵のドキュメントを撮っていたのですが、ミャンマーの戦場で取材し、タイに戻ってきて英字新聞をみたら「ええッ!日本のほうが戦争みたいじゃん!」と。帰国後はまさにオウム一色の日々でしたね。
あれほどの大事件でしたが、すでに風化しつつあることは実感せざるを得ません。ですが、謎は本当にまだまだ残されてます。詳細は『宝島』を是非どうぞ。上記対談記事の他にも、元アーレフ代表・野田成人氏へのインタビュー、さらに「村井ノート」(事件後に滋賀県で押収された光ディスクに収録されていた手書きノート)の中身初公開などもあります。
- 2010/02/25(木) 17:12:17|
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しばしブログのチェックを怠慢しているあいだに「管理者のみ閲覧コメント」をいただきました。その中で、質問事項のメール返信をご希望の方にお願いがあります。
私でわかることをお答えすることは一向に構わないのですが、どなたかわからない匿名の方ですと、正直言って対応に苦慮します。
まず、当ブログは現在、当方が個人でやっているものであり、当方のメールアドレスは無制限には公開しておりません。また、私が書いていることなどはほとんどネットか書籍で入手できる程度の公開情報にすぎないのですが、それでもインテリジェンスに関することでは、正体不明の方に無条件でレスポンスしていいというわけにも参りません。
なので、もしも当方より直接、何か資料や情報をご希望の方は、実績のあるブロガーの方などを除き、原則的に氏名・身分を開示し、少なくとも当方に依頼する理由のご説明をいただきたく存じます。
しかるべき理由があれば、私にできる範囲でご協力させていただくことにやぶさかではありませんので、何卒ご理解をお願いいたします。
それと、質問項目を書かずにただ「質問があるので連絡してほしい」とのご要望を寄せられた方もいらっしゃいましたが、内容が不明ですのでレスポンスのとりようがありません。これもご理解をお願いいたします。
- 2010/02/24(水) 01:49:10|
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ちょっと畑違いですが、最近かなりの人数のインタビュー&座談会記事をこなしてきたことと、多少は軍事をかじっているということでご指名をたまわり、今月20日発売の別冊宝島『僕たちの好きなかわぐちかいじ』(→
アマゾン)で、漫画家のかわぐちかいじ氏と作家の福井晴敏氏の対談記事の司会・構成をやらせていただきました。
周知のとおり、かわぐちさんは『沈黙の艦隊』や『ジパング』、福井さんは『亡国のイージス』や『終戦のローレライ』などで、ともに戦争活劇モノでは著名な大御所です。
私は福井さんの作品ではやはりなんといっても『亡国のイージス』が印象に残っています。とにかくストーリーテリングが見事で、終盤の盛り上げ方とかさすがです。フィクション界における北朝鮮モノはこの『亡国のイージス』をはじめ、麻生幾さん(『ワールド・インテリジェンス』に寄稿いただいていました)の『宣戦布告』、五條瑛さんの『プラチナ・ビーズ』(五條さんも『ワールド・インテリジェンス』でインタビューさせていただいたことがあります)、さらには韓国映画の『シュリ』などなど、98~99年に大傑作が続出しました(ちなみにちょっと毛色が違う村上龍氏の『半島を出よ』は2005年ですね)。
98~99年当時はちょうどテポドン事件とか能登半島沖工作船事件などがあって、北朝鮮問題や国防問題がいっきに注目された時期でした。私が企画編集を担当した別冊宝島『自衛隊の実力』も99年の出版でしたが、これもおかげさまで10万部超え(筆者推定・文庫版含む)のヒットとなっています(ちょっと自慢ですけど、結局それ以降それを超えるヒットは出せてません)。
一方、かわぐちさんの作品は、私は『アクター』と『沈黙の艦隊』が個人的には印象に残っています。というのも、その頃の私は某週刊誌の新人編集者だったのですが、当時、その出版元では社員に希望する自社雑誌を支給していたため、それらのかわぐち作品が掲載されているコミック誌を毎週欠かさず読んでいたのですね(他にもいろいろもらえたので、関連会社刊の健康雑誌とかもいただいてました)。
私は昨年、念願かなって初の漫画原作『大日本帝国 満州特務機関』(扶桑社SPA!コミック)をやらせていただきましたが、なにを隠そう10代の頃からの漫画ファンです。とくに高校の途中で体育会からオチこぼれてしまってからは、毎日、地元の「ヤマニ書房」のコミック本コーナーに入り浸ってました。
好きな漫画はいっぱいありますが、今ふっと思い浮かぶのは、たとえば『熱笑 花沢高校』の第1話でしょうか。顔がコワイという見かけだけを武器に不良高校の番長たちをビビらせ、「戦わずして軍門に下らせる」。まさに究極のバーチャル抑止力です。もしかしたら北朝鮮指導部は力勝男を参考にしてる……わけはないですね。
『ワイルド7』には、警視庁超法規白バイ隊の飛葉ちゃんたちがラオスに行き、共産ゲリラ『パテト・ラオ』と戦う話とかもありました。共産ゲリラ「パテト・ラオ」……初めて聞く名前でしたが、なぜか異様に興味を覚えました。今こんなことをやっているのも、そんなマンガ体験が刷り込まれているからかもしれません。
梶原一騎さんの後期のピカレスク作品に『人間凶器』という「よくもこんな悪人の主人公を考えつくなあ」というような作品があるのですが、これにはたしかキューバに渡った極悪主人公がチェ・ゲバラと出会うシーンがあったように思います。ここでのゲバラはとにかく「ケタ違いにスゴい男」として登場します。共産主義とか革命とかの言葉にヒロイックでロマンチックな響きがあった時代でした。
もちろん『ゴルゴ13』は徹底的に読破しています。もしも『ビッグコミック』ゴルゴ原作担当関係者の方で、当ブログに目を留めていただいた方がいらっしゃったら、テロ組織とか諜報機関とかはそこそこ得意分野なので、是非ともご用命のほどをご検討ください(売り込みです)!
- 2010/02/23(火) 18:18:10|
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前エントリーに、『モサド~暗躍と抗争の六十年史』(新潮選書
)→アマゾン の著者である防衛研究所教官の小谷賢さんのブログ
→ホワイトホール61番地 ~インテリジェンスを学ぶからリンクを張っていただきました。インテリジェンスに興味にある方には今さら説明は不要でしょうが、小谷氏は日本のインテリジェンス研究では今もっとも最前線を独走されている研究者です(私よりひとまわりもお若いのですが)。24日夜に今回の事件についてJ-WAVEで解説されるということなので、私も是非拝聴したいと思います。
さて、前エントリーで私は、「こんな鮮やかな暗殺作戦を実行できるのは、モサドではないか」というようなことを書きました。私はどちらかというと、アラブの情報機関とかイスラム・テロ組織とかの動向をウォッチしているほうなので、「連中に比べたら、すごいなあ」という見方をしていたのですが、一方では「監視カメラに証拠を残すなんて杜撰だ」という評価もあるようです。
『スーパーニュース』のキャスターの方は、モサドの犯行に見せかけた他組織の犯行の可能性もあることを指摘していました。小谷さんは、モサドは意外と杜撰なことをやることもあると指摘したうえで、状況証拠的にはモサドによる犯行の可能性が高いのではないかと見立てています。
面白いというと非常に不謹慎なので言いませんが、興味はそそられますね。
- 2010/02/22(月) 20:22:13|
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一昨日、フジテレビの夕方ニュース「スーパーニュース」でコメント出演させていただきました。今年1月にドバイでパレスチナのイスラム強硬派組織「ハマス」幹部が暗殺された事件で、イスラエルの諜報機関「モサド」による暗殺作戦だったという疑惑が浮上したというネタで、モサドについて解説をしました。
モサドは世界有数の情報機関として非常に有名ですが、その実態は不明な点が多いです。元職員や幹部の証言などがたまに出るので、それで関連情報が出てくることはありますが、古い話や誇張された話などもけっこうあって、なかなか現在の実態まではわかりません。いちおう公式サイトもあるのですが(http://www.mossad.gov.il/)ほとんど何も書いてません。
モサドは正式名称を「イスラエル情報特殊作戦機関」といい、この「機関」がヘブライ語でモサドというのですが、それが公称となっています。
公式サイトによると、モサドは49年に創設されています。ちなみに現在、イスラエルの諜報機関としては他に防諜・公安担当の「シャバク」や、軍の情報機関「アマン」などがあります。
モサド職員は国防軍の徴募として入局しますが、実際には国防軍とはリンクしておらず、首相直属となります。職員もいわゆる階級はありません。 モサドの職員数は非公開で、80年代後半の情報だと1500~2000人ですが、さらに近年の情報には「1200人くらい」との情報もあります。
モサドにはいくつかの部署がありますが、最大規模のものは「情報収集部」です。いわゆるスパイ活動を担当します。
モサド情報収集部の特徴としては、世界各地のユダヤ人コミュニティに工作員を持っていることで、何世代にもわたって世襲されたスパイを持っていたりします。敵国である中東諸国などでは、現地社会に深くスパイ網を作り上げていて、CIAやMI6も一目置いているといわれています。
また、冷戦時代から、ユダヤ人が多いソ連や東欧にも広い諜報網があって、こちらでも当時から西側諜報機関を助けたりしてきました。
モサドの凄いところは、それだけでなく、じつは事実上の同盟国アメリカをはじめとする西側諸国、NATO、国連すらを諜報対象としているところです。イスラエルのスパイがアメリカで摘発されたりしてます。同盟国さえスパイするシビアなところは、さすが戦時国家ですね。
モサドの他の部署としては、まず「政治活動・連絡部」があります。外国に対する政治的な工作や、外国諜報機関との連絡を担当します。FASサイトによると、たとえばモサド最大の支局のひとつであるパリ支局の場合、イスラエル大使館員にカバーした2人の地域統括者がいて、ひとりが「情報収集部」、もうひとりが「政治活動・連絡部」の担当となっているとのことです。
モサドの海外支局は、この連絡業務があるため、たいていは代表者を大使館員カバーで出しています。日本にもいて、内閣情報調査室国際部門、警察庁警備局外事情報部、公安調査庁調査第2部などとコンタクトしています。
ですが、モサドはその他にも、外国駐在のイスラエル人のなかに、民間人カバーの諜報員をたくさん派遣しています。金融機関やメーカー、報道機関などでもイスラエル人やユダヤ系アメリカ人などが世界各地にいますが、そういうところにモサドは浸透しています。エルアル航空の支社などは明らかに在外拠点になっています。
さらにイスラエルでは、男女を問わず多くの若者が兵役後にバックパッカーとか英語教師とかアクセサリー売りとかで世界各地を旅行するのが一般的ですが、そんななかにも工作員が混じっているといわれています。
その他、モサドには「特殊作戦部」もあります。これは主に外国での非公然工作(カバート・アクション)を担当します。
この海外でのカバート・アクションをどんどんやっているのも、モサドの特徴です。世界の主要国の情報機関は、いまやバレたときの政治的ダメージを勘案して、あまりヤバいことはやらなくなってきているのですが、戦時国家イスラエルの場合、国民に「そういうのも必要だ」とのコンセンサスがあり、国内で責任を問われないので、パレスチナ過激派の拉致や暗殺などを今でもしょっちゅうやってます。特殊作戦部内には、とくに拉致や暗殺を担当する特殊チーム「キドン」というのもあるようです。
モサドの特殊作戦で有名なのは、ちょっと古いですが、1960年のアドルフ・アイヒマン拉致と、72年のミュンヘン五輪テロに対するパレスチナ過激派「黒い9月」への報復です。アイヒマンは元ナチス親衛隊(SS)幹部で、戦後アルゼンチンに潜伏し、偽名で暮らしていたのですが、モサドがそれを探し出し、拉致したうえで、エルアル航空機でイスラエルに非合法に移送しています。
「黒い9月」のケースでは、中東各国やヨーロッパ各国に潜伏していた首謀者ら14人を、次々と発見・処刑しています。これはスピルバーグ監督の「ミュンヘン」という映画にもなっていますね。古い資料によると、こうした暗殺作戦は、首相や国防相、テロ問題担当首相顧問などが出席する「X委員会」で決定されるということですが、現在もこうしたシステムになっているのかどうかはわかりません。
その他、パレスチナ過激派などの暗殺はたくさんやってます。ほとんど証拠はないのですが、モサドの犯行だろうといわれているものは以下です。
▽86年、イスラエル核兵器情報を持ち出した核技術者をローマで拉致(ハニートラップにかける)
▽89年、レバノンでヒズボラ(レバノンのイスラム武装勢力)指導者を拉致
▽92年、パリでPLO幹部暗殺
▽92年、レバノンでヒズボラ書記長を殺害
▽94年、ガザでハマス幹部暗殺(自動車に仕掛け爆弾)
▽95年、ガザでハマス幹部暗殺(車中から通りすがりに銃撃)
▽95年、マルタの高級ホテル前で、パレスチナ過激派「イスラム聖戦」司令官を暗殺(バイクのヒットマンが銃撃)
▽96年、ハマス軍事部門司令官を暗殺(爆弾仕込み携帯電話で)
▽97年、ヨルダンで、ハマス最強硬派幹部を毒殺しようとして失敗(この人物が現在ダマスカスを拠点にハマス強硬派を取り仕切っているハリド・メシャル)
▽2004年、シリアでハマス幹部暗殺
▽2007年、アメリカでイラン系核物理学者を暗殺
▽2008年、シリアで、ヒズボラ幹部でイラン諜報機関と連携している大物テロリストのイマド・ムグニヤを暗殺
(2000年代前半とかあまり調べてません。ちょっと時間がなかったので)
モサドの主な部署はほぼ以上のようなものになります。
その他、資料によって情報が一致しないので、あくまで推定になりますが、以下のような部署もあるようです。
▽情報分析を担当する「調査部」
▽諜報機材や偽造旅券などの製作を担当する「技術部」
▽プロパガンダ宣伝や欺瞞工作などを行う「心理作戦部」
▽「ユダヤ人コミュニティ担当部」
▽盗聴・監視を専門に行う部署(これは今ではおそらくシギント担当がメインと思われます)
さて、いま問題になっているドバイでのパレスチナ過激派幹部暗殺ですが、今のところモサドの犯行である証拠はありません。
パレスチナ過激派内ではカネをめぐる争いごとが日常茶飯事なので、犯行動機としてはカネのトラブルの可能性も考えられるのですが、今回の犯行では、イギリス、アイルランド、ドイツ、フランスなどの精巧な偽造旅券を持ち、ヒゲやカツラで変装した11人の白人の男女が、わずかの間に標的を始末し、数時間後には国外に逃走しているという鮮やかさですので、パレスチナ組織の内輪もめとか犯罪組織絡みの処刑だとかはちょっと考えにくいと思います。
これだけのことが実行できる組織ということでは、やはりモサドの暗殺チームの犯行である可能性はきわめて、きわめて高いと考えていいでしょう。
偽造旅券を使われたイギリスが激怒し、イスラエルに猛抗議していると報じられています。現場レベルではMI6とモサドの協力関係はきわめて深いものがありますから、まあイギリス世論向けのポーズですね。ハマス強硬派幹部暗殺なんて、イギリスにとってもいいことですし。
以上、なんだか映画みたいな世界ですが、現実の話です。
なお、モサドの歴史については、『ワールド・インテリジェンス』にも寄稿いただいていた防衛研究所の小谷賢さんの近著『モサド~暗躍と抗争の六十年史』(新潮選書)が詳しいので、興味のある方にはお奨めします。
- 2010/02/21(日) 15:24:22|
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