本日送られてきた情報誌『フォーサイト』で中東専門家の池内恵・国際日本文化研究センター助教授が執筆していた解説記事「フセイン処刑のどこが『イラク流』の本質だったのか」を拝読したが、もう何から何まで「そのとおり!」だと感銘した。皆さんにも是非一読をお薦めしたいが、書店売の雑誌ではないので、ここで一部紹介させていただく。
「フセインが死刑にならないのであれば、公正な裁きがなされたと納得する者は、イラクではかなり少なくなる」
「スンナ(スンニ)派の住民にしてもフセインの恐怖政治を経験したことには変わりはない。よほど運が良くない限り、政権を失ったフセインが死刑に処せられるこをはやむをえない、ということはスンナ派の住民も共通の前提としている。彼らの批判は、現政権を認めないがゆえにフセインの有罪も認めない、というだけのことである」
「一方、フセイン政権の圧政を経験していないアラブ諸国ではフセイン賛美論が提起されやすい。『アメリカ・イスラエルによる処刑』と断定して、イラク人の意思から目を背ける議論が目立つのは、強権政治で似通う各国政権の立場を反映している。だが、アラブ諸国でもフセインを積極的に評価するものは少なく、もっぱら『フセインはアメリカが作った』『フセインが死刑ならブッシュも同罪だ』といった、アメリカの非を批判する対抗言説が多い」
「もしイラクの歴史と政治文化に根ざした最も『納得のいく』やり方を選ぶのであれば、フセインの逮捕と同時に即刻処刑が行なわれるというのが最も自然だったろう」
「フセインにとって最後の幸運は、米軍によって逮捕されたことだったかもしれない。シーア派民兵に捕捉されていれば、即刻の処刑がなされた可能性が高い」
「とはいえ、フセイン処刑がイラクの治安状況や政治プロセスに与える影響は小さい」
「牢獄にあって無力なフセインが持ちえる影響力は小さく、裁判への関心もイラク国民の間では低かった」
「ただし、処刑された、いわば『安全な』フセインには新たな意味が与えられ、周辺諸国で反米のシンボルとして用いられていくかもしれない」
フセイン処刑をめぐっては日本でも新聞やテレビでさまざまに報じられたけれども、このコラムが私にはいちばんわかりやすかった。
私は執筆者の池内氏とはいっさい面識はないけれども、中東アラブ社会、あるいはイスラム社会に対する洞察力は、私の個人的な評価では、日本の中東専門家のなかでもピカイチではないだろうかと思う。池内氏や春名幹男氏を連載陣とするなんて、フォーサイト編集部がウラヤマシイのだ!
と、私の愚痴はともかく、さて池内氏の言説に私が常々注目しているのは、ウラを返せば、その他の専門家の方々による中東アラブないしイスラム社会に関する解説に違和感を覚えることが多いからだ。
いくつか理由があるが、ひとつには、専門家の方々が、おそらく現地では政府のエライさんとか、エラい学者先生(あちらでは高級官僚と同じようなもの)なんかと、公式発言オンリーのお付き合いをしているからではないか、ということがある。
あの人たちは「思ってもいないタテマエ」で話すのが習性になっているので、それを勘案して話を聞かなければいけないのに、そのあたりが実直な日本人感覚ではわかりづらいのかもしれない。たとえば、向こうのエライさんに御法度のアルコールでも振る舞い、エロ話で盛り上がったりすると、もっと違う話が聞けるのになあ…と思う。
それともうひとつおかしいと思うのは、日本ではイスラム専門家のほとんどがイスラム教徒あるいはイスラム・シンパだということだ。だから、イスラム絡みの解説となると、なんだか「なんでもイスラムが正しい」「アメリカが悪い」が前提になってしまっている。憲法学の世界における護憲派学者のようになってしまっているのである。
他にもいろいろおかしいと思うことはあるけれども、上記のことを考えたとき、ふと思い当たったことがある。この違和感は、かつて冷戦時代に進歩的文化人の方々が社会主義を賛美したのと似てないかな?ということである。そういえば、現在、アラブの反米言説やイスラムの大義を擁護している人たちというのは、かつて社会主義→リベラルという流れに位置していた方々が多いように思える。心優しい人たちだとは思うが……私が性悪なだけかも。
じつは何を隠そう、私はかつて大学に入ったばかりの頃に、かの本多勝一さんの著作をかなり読んだ。下宿の近所の古書店に、なぜか氏の本がたくさん置いてあったからだ。
私はただ外国に関する本が読みたかっただけなのだが、そういうわけで、私は図らずも海外事情の知識を得るのにいきなり本多作品から入ったのだった。本多氏がああいう政治的立場の方であるということはまったく知らなかった。
それで、「ほう、世界はそんなふうに米帝に牛耳られているのか!」などと思い込んで、では実際に見てみようと旅に出た。ソ連、東欧、中東、中南米、アジアなどを回ったが、「なんだか違うよなあ……」となんとなく感じた。
住んでみたらもっとわかるかも、と思って、アメリカ、ソ連、エジプトに住んでみた。そしたら、どんどん性悪になってしまった。
もしも学生さんでこのブログに目を留めてくれる人がいるなら、実際にどこかの国に住んでみることをお薦めする。自分でビザをとり、自分で下宿を探し、家主と交渉し、電話やネットを手配する。闇ドル屋を探し、イスラム国ならモグリのアルコール入手ルートを見つけ出す。怪しげなバイトをする。タカリの悪徳警官をやりすごし、殺到する詐欺師軍団と渡り合う。大手企業駐在員以外は人間扱いしない現地日本大使館員なんてまったくあてにできないが、そういうなかでもいろいろ面白い現地での出会いがある。たくさん友人も出来て、ホンネで話し合えるようにもなる。
数年くらいの滞在でわかることは限られるけれども、そういう経験をした方がやがて学位をとって専門家になり、日本の言論界でもっと活躍していただければなあと思います(ついでに弊誌にも寄稿してくれるとうれしいのですが)。
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- 2007/01/20(土) 20:50:44|
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本日発売の『週刊現代』に「フセイン処刑でイラク内戦が本格化する」という記事を執筆。
ところで、先日、当ブログに「フセインなんて功績なんてなにもないタダの殺人狂じゃん!」という意味のことを書いたが、ここ数日の報道をみると、アラブ社会でフセイン英雄論が広がっている模様。ホントかなあ???
ということで、アラブ数カ国に電話&メールで知人数人の意見を聞いてみた。と、たしかに新聞やテレビでそういう話は結構出てきているようだが、やはり一般の人はどちらかというと冷めた見方をしているようだ。ただ、ことスンニ派の人のあいだでシーア派脅威論(というか「差別」に近い)が高まっているのは事実らしい。数人に話を聞いただけだからなんとも言えないが、「フセインが英雄」なんてちょっと考えづらい議論だ。
中東・アラブでは人々のホンネが見えづらいということを、私は『軍事研究』本誌コラムなのでもたびたび書いてきた。独りよがりの思い込みかもしれないが、比較的濃密にあちらの社会とは付き合ってきた自負があるので、「なぜフセイン英雄論が起こるのか」と私なりに考えてみた。
中東・アラブでは、まずはいつも威勢のいい強硬論が台頭する。だいたい反米だとか反イスラエルだとかの言説が多い。ただし、私の知るかぎり、多くの人は「それはそれ」と割り切って、実際には現実の自分の利益を最大限に優先して何事も考える。生きていくためには当然のことで、そうした裏表の使い分けを、たいていの人は当たり前のことと考えている。
いいとか悪いとかではなく、そういう社会に彼らは生まれ育っている。そういうところは、かつての共産圏と少し似ている。
ということで、いろいろ崇高なことを語っていても、そうした政治的な言説を基本的にはみな、互いに信用していない。自分もホンネとタテマエを使い分けているのだから、他人も同様だと考えるのは自然なことだ。反米とか反イスラエルだとかいうのは、あちらの社会では誰も正面からは否定しづらい教条だが、そんなわけで、彼らの関心のメインは内部での抗争(競争)だったりする。
現在、イラクではスンニ派とシーア派がもう内戦状態に入っているといって過言ではないが、これは宗派対立というよりは、もっと単純に「タダの抗争」だという解説をどこかで読んだ。私も同意見だ。
たまたま抗争の両陣営が宗派で分かれただけのこと。スンニ派同士でも有力者間抗争があるし、シーア派の主要派閥は現実に内ゲバ状態にある。
たとえば、日本の心ある人々は、パレスチナでハマスとファタハが内ゲバしていることに心を痛めているかもしれない。が、彼らはもともとそういう人々なのだ。
ああいう国で取材をすると、外国人取材者はどこに行っても威勢のいいスローガンを聞かされる。インタビューして現地の声を伝えるのが報道なので、そういう声が日本の新聞読者やテレビ視聴者に届けられることになる。それに意味がないとは言わない。
けれど、そうしたコメントをホントにその発言者自身が信じているのかどうかはまた別の問題だ。実際には信じているのは外国人記者だけかもしれない。
前の湾岸戦争のときにヨルダンを取材したことがある。パレスチナ人の若者たちが「フセイン頑張れ!」と盛り上がっていた。50がらみのパレスチナ人のオッサンは「あいつらバカだから」と私にこっそり言った。
イラクとのあいだでタンクローリーを運転してたヨルダン人男性は、「サダムみたいのが大統領でイラク人はホントにかわいそうだなあ」と言っていた。
しつこいようだが、「フセインが英雄」? それはないだろうと思う。
- 2007/01/15(月) 11:16:01|
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陸上自衛隊が3月を目途に「中央情報隊」というインテリジェンス専門部隊を新設する。その主力は既存の「中央資料隊」や「中央地理隊」を統合することになるが、注目されるのは、そのなかに、70人規模の現地情報隊(仮称)を創設する予定になっていることだ。
この現地情報隊は、陸自の海外派遣に際し、現地でのインテリジェンス活動を専門に行なう部隊とのことである。
じつは、米英をはじめほとんどの国の軍隊でも、紛争現場でのインテリジェンスを行なう主力は軍の情報機関ではなくて(ましてや政府中枢のインテリジェンス機関や外務省でもなく)、軍の情報部隊である。米陸軍で言えば「INSCOM」や「グレイフォックス」などである。日本の防衛庁はたとえば米英軍などからそれなりに情報を得ることができるが、現場の情報部隊が持つ草の根の現地情報までは入らない。そういう泥臭い情報活動は各国の陸軍が独自に行なうべきものだ。
だから、自衛隊も海外での平和協力活動が本来任務に格上げされたのだから、陸軍の現地情報部隊を創設するのは当然である。今までそれがなくて海外に地上部隊を派遣していたほうが、むしろおかしいと言える。
だいたい、これまでのPKOやイラク派遣などを見ると、日本では外務省が取り仕切ってきた。だから、部隊をどう使うかという観点よりも、とにかくアメリカ支援になるような外交的見地から政策が決められてきた観がある。今回、防衛庁も晴れて防衛省になったことでもあり、これからは防衛省が主導してもっと効果的な海外派遣を行なっていただくことを願う。
とはいえ、海外での活動というのは、日本国内での活動とはまったく違う。海外ビギナーの防衛省が独力で効果的な海外活動を行なえるようになるには、とにかく場数を踏んでいくしかない。
あまり重箱の隅をつつくような批判は本意ではないけれど、これまでの自衛隊の海外派遣には、たしかに首を傾げざると得ないことも多かった。たとえば、カンボジア派遣。自衛隊はカンボジアで唯一安全地帯だったタケオ州に引き篭もっていたが、あんな何の危険もないところなら、わざわざ軍隊が出張る必要はない。派遣隊員にもちろん罪はないし、彼等はそれなりに頑張っていたとは思うが、世界からみると、単なる「過保護のお坊ちゃん」にしか見えなかったろう。
イラク派遣部隊も、以前にも書いたことがあるが、米英軍などが多大な犠牲を払いながら治安回復作戦をしている最中に、危機的状況にあったわけでもない「給水」はないだろうと思う。自衛隊は自分たちの貢献を盛んにアピールしているが、本来なら、「ちゃんと治安回復作戦に貢献したかった」という気持ちもどこかにはあったのではないのだろうか。
(これも書いたことがあるが、防衛省も「自分たちはうまくやった」ということばかりアピールしていると、もっとシビアな状況でも「テキトーな特措法でもイラクではうまくやったんだから、次もそれでいいじゃん」ということになって、自分の首を絞めちゃうように思えるのだが…)
いかにも「初心者」という失敗もある。私が驚いたのは、サマワに派遣された先遣隊が、ベース地を決めてから地代交渉をしたことだ。案の定、地主に法外な地代を要求されて話題となったが、アラブ社会を多少とも知る者からみれば、悪いのは日本側だ。
たとえば、かの地では、外国人観光客はタクシーに乗る際に事前に目的地までの運賃を運転手と交渉する。それをしないで乗ると、後で必ず正規料金の数倍もの料金を請求されることになるのは常識である。簡単な話で、サマワの先遣隊も、ベース地を複数候補にして、事前に価格交渉をすればよかっただけのことだ。おそらく数日の交渉で地代は10分の1に値切れたはずだ。
現地部族有力者にカネをただバラ撒いたのもよくない。ああいうものは、恩着せがましく渡してこそ効果がある。たとえば、陸自部隊の中堅幹部クラスが内部で派閥抗争をしているふうを装い(アラブではそのほうが普通)、複数のチームがバラバラに小銭を撒けば、集まってくる情報の量・質は数倍にもなる。ずっと小額の機密費でずっと有効な情報が得られるのである。
もっとも、こうしたいわば「世渡り」の術にマニュアルはなく、場数を踏むしかない。新設の現地情報隊の隊員には、ぜひともこうした経験を積んでいかれることを期待したい。
たとえば、麻生幾氏の小説『瀕死のライオン』には、自衛隊の新人特殊部隊員候補が欧州で単独旅行・調査を最終訓練として行なうという設定がある。部隊の訓練としては防衛省などは思いつきもしないことだろうが、個人の海外適応力を高めるのには、これは最適の訓練だと思う。
場数を踏むといっても、チームで動くと個人の経験にはならない。たとえば、筆者は活字とテレビの世界で海外取材の経験があるが、とくにテレビの場合、取材班は現地在住の日本人コーディネーターに頼るケースがほとんどなので、いくら海外経験を積んでもまったく取材者個人の「場数」にはならないことが多かった。なかには自分が何という国にいったのかもよくわかっていないスタッフさえいた(大手メディアの特派員でも、現地人アシスタントと現地人運転手に何でも任せっきりなので、自力では赴任地の街中すらロクに歩けないという人に、私は何人も実際に会ったことがある)。
軍隊でも同じで、いくらカンボジアやイラクに行ったといっても、チームにくっついていっただけなら、本当の海外経験とは言えない。
ということで、オススメの方法がある。PKOの現場に、民生部門やアドミニストレーション部門に単独もしくは数名で隊員をどんどん派遣してしまうことだ。
日本では、PKOは部隊ごと派遣するものだとみんな思い込んでいるようだが、実際にPKOの現場にいくと、管理部門などにはじつに多くの国から人材が派遣されていることがわかる。
たとえば、筆者が90年代半ばにレバノンを取材した際に、PKOの広報を取り仕切っていたのはスウェーデン軍の将校だったし、90年代はじめにソマリアに行った際には、現地国連事務所にインドネシア陸軍から1人の将校が派遣されていた。このインドネシア人将校とは、筆者が持ち込んだウイスキーのパワーでかなり仲良くなったが、そのうち、彼がインドネシア陸軍情報部の所属であるということがわかった。この将校は、東チモールでインテリジェンス活動の経験が豊富にあり、当時の話をいろいろ聞くことができた。インドネシア陸軍はもちろんソマリアなどに興味はないが、情報要員に場数を踏ませるためにこうした派遣を行なっているとのことだった。
ちなみに、インドネシア陸軍の情報部はなかなかのものだ。筆者はカンボジア取材の際に、危険地帯のコンポントム州でPKOインドネシア軍のキャンプ内に寝泊りしたことがあるが、彼等は危険地帯にも関わらず、ポト派とまったく交戦していなかった。聞けば、情報部の要員がポト派現地司令官と水面下で接触し、互いにカチ遭わないようにしているということだった。
インドネシア陸軍情報部員は、ちょっとした小銭でポト派現地部隊指揮官を篭絡していたようだが、こうした手法は東チモールで学んだということだった。こういう裏技の得意な軍とそうでない軍というのがあって、カンボジアでもたとえば、情報活動をまったくやらないバングラデシュ軍あたりと一緒にいると、逆に危険だとさえ言われていた。
陸自も、海外の紛争地に部隊を派遣するなら、こうした世渡りのできる情報部隊員を1人でも多く育成することだ。たとえば、スーダンのPKO管理部門に陸自からたった1人の要員を出すとする。外務省とはほとんど接触しないで動く。
この人物を、数年後にはたとえばアフガニスタンに出す。アフガンの各国将校連中も、スーダン経験のある日本軍士官には一目置くという空気になるだろう。そこでこの隊員は、これまでのオブザーバー(お客さん)的な存在でななく、多国籍の現地軍人世界でそこそこのポジションを得ることになる。
こうして場数を踏んだ日本の陸自情報部隊員が数十人もいれば、陸自は世界のどこの紛争地帯でもそれなりに通用すると思う。
本当は、民間人に偽装した陸自隊員が隠密に諜報・情報工作を行なうくらいにならないといけないと思うが、自衛隊がいきなりそうしたスパイ活動をするのも難しいと思うので、まずはPKOなり多国籍軍なりの管理部門に情報部隊員を散らばらせるということを検討してみてはどうだろうか。
- 2007/01/11(木) 01:22:30|
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あるジャーナリストの方から、内閣情報調査室の英語名について、研究社発行の「和英翻訳ハンドブック-第5版」(1987年12月25日発行)に、「キャビネット・インフォメーション・リサーチ・オフィス」と記載されている旨の指摘をいただきました。
ちょっと今、原本を確認する余裕がないのですが、内閣情報調査室の当初の英語名ではインフォメーションという用語を使っていたらしいことがこれでかなり有力になりましたので、お知らせいたします。
とすると、内調はインテリジェンス機関とアピールするために内閣調査室→内閣情報調査室に改名したわけではないということになります。では、その狙いはいったい何だったのでしょうか? なんだかよくわかりませんね。
で、その後、ある時期(87年~90年代前半頃?)に、「やっぱりインテリジェンス機関ということをアピールしなきゃ」ということで、インフォメーションからインテリジェンスに用語を変更したということなのでしょう。
- 2007/01/09(火) 13:19:39|
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『ワールド・インテリジェンス』第4号にも書いたが、元KGB職員のワシリー・ミトロヒン氏(故人)とイギリスのインテリジェンス・ヒストリーの大御所であるクリストファー・アンドリュー氏の共著『ミトロヒン文書Ⅱ』と、日本の公安筋が作成したレフチェンコ・メモを付き合わせると、いろいろ興味深いことが見えてくる。
たとえば、日本の新聞各紙が書かないところが、マスコミ内部のエージェントたちの件だ。レフチェンコ・メモには、サンケイ新聞編集局次長の山根卓二氏(コードネームは「カント」)、読売新聞の外山四郎記者(トマス)、テレビ朝日の三浦甲子二専務(ムーヒン)、『インサイダー』の山川暁夫氏(バッシン)の実名が明らかにされているほか、実名は不明ながら、サンケイ新聞東京版記者で山根編集局次長を補強しうる「デービー」(コードネーム・以下同)、韓国問題専門家の東京新聞記者「カミュ」、共同通信記者の「アレス」、大手新聞元モスクワ特派員の「アギス」、フリージャーナリストの「ドクター」の存在が明記されている。
このうち、「友好的人物」あるいは「無意識の協力者」とファイルされている人物が、外山四郎氏、三浦甲子二氏で、その他は意識的な協力者ないしはKGBの正式エージェントということになっている。
一方、ミトロヒン文書では東京新聞記者の「コーチ」、朝日新聞の「BLYUM」、読売新聞の「SEMIYON」、産経新聞の「KARL」(あるいは「KARLOV」)、東京新聞の「FUDZIE」、社名不詳大手新聞の「ODEKI」、社名不詳ジャーナリストの「ROY」、詳細不明の「FET」(あるいは「FOT」)の存在が指摘されている。ミトロヒン文書とレフチェンコ・メモにあるエージェントのコードネームはいずれも一致しないが、一部に同一人物がいるものと推定される。
もっとも、記者の場合はネタ元としてソ連大使館員あるいはKGB要員に接触することもあるだろうから、彼らが必ずしもホンモノのエージェントだったとは断定できない。KGB要員側が勝手にエージェントにファイルしているケースも考えられる。
その点、これは明らかに悪質だと考えられるケースもある。
ひとりはレフチェンコ・メモに「フリージャーナリストの『ドクター』」と記載されている人物である。レフチェンコ証言によれば、彼は元共産党員で、ただ情報を提供するだけでなく、KGBの秘密活動をバックアップしていたという。これはもう犯罪行為といえる。
もうひとりは、ミトロヒン文書で「社名不詳ジャーナリストのROY」となっている人物だ。この人物について、ミトロヒン文書の説明文では「金銭目的でKGBに協力。日本の防諜機関上級幹部のリクルートに貢献」となっている。
じつは、この説明に符合する人物がレフチェンコ証言にもある。共同通信記者の「アレス」だ。レフチェンコ証言には、アレスは「公安関係の友人から膨大な秘密情報を入手し、KGBに渡していた」とある。レフチェンコの回想録『KGBの見た日本』では、こんな表現もある。
「ソ連のために働く日本在住の優秀なジャーナリストがいる。有力通信社勤務で、若い頃、プロニコフというKGB東京支部員にリクルートされた。日本の公安関係機関の秘密情報をもう何年も提供してくれていた」
こうしたことから、『ミトロヒン文書Ⅱ』でもROY=アレスと断定されているのだが、これらの記述をみるかぎり、ROY=アレスは完全なスパイといえる。公安に食い込んでいた優秀な記者というならば、もしかしたら著名なジャーナリストなのかもしれない。KGB側は金銭目的としているが、記者ならばバーターでソ連情報を入手していた可能性もある(当然ながらKGB要員は自己保身のため、自分が記者にネタをバーターしたとは報告しない)。とするならば、ROY=アレスはソ連情報に強い記者として共同通信内で鳴らしていた人物だった可能性もある。
レフチェンコ証言によれば、アレスは70年代半ばに日本の防諜機関にマークされたために一時スパイ活動を縮小していたが、77年より再び活発に動き始めていたという。では、70年代前半に公安情報とソ連情報に強いとして鳴らした共同通信記者とは誰か? そうたくさんいるわけではないだろうから、同社関係者ならだいたいアタリはつくのではないか。
そんなROY=アレスにエージェントに引き込まれた公安機関幹部も問題だろう。レフチェンコ・メモによればコードネーム「シュバイク」。ミトロヒン文書には、「ROYは日本の防諜機関幹部(KHUN)をリクルートするにも役立った」とあるが、このKHUNがシュバイクだったのか。あるいは、レフチェンコ・メモには元内閣調査室員「マスロフ」がKGB正式エージェントだったとあるが、KHUNとマスロフはともに「中国情報に強い」とあるので、こちらが同一人物かもしれれない。いずれにせよ「KHUN」あるいは「シュバイク」あるいは「マスロフ」の行動も問題だろう。
日本の政治家としては、レフチェンコ事件の際にすでに実名がいくつも漏洩しており、大きな問題になった。レフチェンコが実名を明らかにしたのは、自民党の石田博英氏(フーバー)、社会党の勝間田清一氏(ギャバー)、伊藤茂氏(グレース)、佐藤保氏(アトス)である。(その他、レフチェンコ・メモに実名が記載されている人物に上田卓三氏がいる)
このあたりはKGBに利用されたということなのだろうが、ミトロヒン文書によって、じつはかなり悪質だったのではないかとの疑念がもたれるのが、石田博英氏だろう。この人物は親ソ派で知られた人物だったが、ソ連側の意向を受けて政府中枢にいろいろ働きかけていたらしい。ソ連側が嫌った駐モスクワ日本大使の召還を福田首相に意見していたなどという話も指摘されており、明らかに親ソ派政治家の域を超えているようにみえる。
ミトロヒン文書では、自民党関係者にさらに2人のエージェントがいたと指摘されている。自民党議員の「KANI」と、田中角栄の側近の「FEN」である。
このうち、FENはおそらく、レフチェンコ・メモに「フェン・フォーキング」というコードネームでファイルされていた人物と同一人物と推定される。じつは、レフチェンコ事件の際、関係者がいちばん大きな関心を寄せたのが、このフェン・フォーキングの正体である。レフチェンコ・メモによれば、彼は「自民党員で、党内の一派閥に影響力を及ぼしえる立場にいる。KGB東京支部の中国班が担当している」とあった。
このフェン・フォーキングの正体について、マスコミでは一時期、レフチェンコのアメリカ議会証言直後に自殺した中川一郎代議士ではないかとの噂があった。だが、中川議員であれば、わざわざ自民党員と記すのはおかしい。レフチェンコ・メモの説明文からは、議員本人ではなく、派閥領袖クラスの大物議員の大物秘書のような立場の人物が強く示唆される。
ということで、これは誰も表立っては言わなかったが、マスコミ記者のあいだでは、「鈴木宗男さんじゃないの?」という噂も根強かった。なぜKGB中国班かというのは謎だが、自民党員で一派閥に影響力を及ぼしえる人物で、ソ連との関係が深い人物ということではまさにドンピシャリだったからだ。
だが、今回のミトロヒン文書によって、鈴木氏でないことが判明した。「田中角栄の側近の自民党員」であることが明らかにされたからだ。
ということは、謎のフェン・フォーキングはいったい誰なのか? 田中角栄本人あるいは側近議員の大物秘書、金庫番、後援会のドン、のような立場の人物だったのか?
この他、ミトロヒン文書から、とくに見逃せないケースがいくつか明らかになっている。明らかにKGBスパイとして活動した外務省職員の「RENGO」および「EMMA(女性)」。レフチェンコ・メモには「レンゴー」は外務省職員で夫妻でエージェントだったとされているので、2人はおそらく夫婦で外交官だったのだろう。彼らのスパイ活動は明らかに違法と思われる。
また、ミトロヒン文書で「MISHA」、レフチェンコ・メモで「ナザール」と記載されているおそらく同一人物の外務省電信官は、ハニートラップでKGBに篭絡された後、金銭報酬で日本の外交公電をKGBに流し続けるという明らかな犯罪行為を長年続けた人物ということである。レフチェンコ・メモとミトロヒン文書に存在が記された日本人エージェントのなかでも、もっとも日本に損害を与えた悪質な人物といえる。
この他、これはマズイのではないかと思われるケースを挙げてみよう。
たとえば、そのほとんどが駐ソ連日本大使館勤務経験のある外交官たちがいる。ミトロヒン文書では「OVOD」(2回もハニートラップに引っ掛かった)、「MARCEL」などの存在が明記されている。MARCEL経由では駐ソ連日本大使館に派遣されていた防衛駐在官「KONUS」もリクルートされている。防衛駐在官がKGBにリクルートされていたという話は今回のミトロヒン文書で初めて明らかになったことだ。
社会党議員のブレーン的存在で、親ソ派研究者の指導的立場にあった大学教授の「ヤマモト」も、これらの資料から、KGBエージェントであることが明らかな人物である。ミトロヒン文書によれば、ヤマモトがKGBにリクルートされたのは77年。それ以降、活発に政治的な活動を開始した著名な教授とはいったい誰か? これも関係者にはなんとなく「あああの先生では・・・」とわかるのではないだろうか。
- 2007/01/08(月) 01:37:55|
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一時期、元ロシア情報機関員のアレクサンドル・リトビネンコが放射性物質を盛られて毒殺された事件が日本でも大きく報道されていた。それについては弊誌第4号でも触れたが、かつてロシアに住んでいたことのある経験から、あまり日本の報道で指摘されていない点をひとつ述べてみたい。
ロシアでは、たいていの事件の裏にカネが関わっている。これは共産主義時代からのことで、表向きはイデオロギーがどうのとか政治的にどうのということが言われるが、その裏はほとんどがカネの取り合いになっていたことが多かった。冷戦末期からはそれに拍車がかかり、とくにエリツィン時代のロシアは法治国家ではなく、カネと暴力がすべてだったといって過言ではない。
そんなエリツィン時代に、権勢を極めたのが、べレゾフスキーを頂点とする政商たちである。政商というと単なる利権商人のようなイメージがあるが、90年代のべレゾフスキーの存在は、それよりもはるかに強大なもので、ロシアを牛耳っていたマフィアのそのまた頂点にいたも同然だった。
リトビネンコは当時、FSBの組織犯罪対策部門にいたとのことだが、当時のロシアでは、FSBも警察も軍も、マフィアと同義で、その主流派はすべてべレゾフスキーを中心とする新興財閥のカネに群がっていた。
プーチンは大統領に就任した後、べレゾフスキーらの排除に乗り出したが、これは要するに、新興財閥やその系列のマフィアが牛耳っていたロシアの裏権力を、FSBを中心とする旧KGB人脈が奪取したという権力闘争だった。
プーチン大統領の強権的な政治手法は西側のメディアでは非常に評判が悪いが、ロシア国内では依然、国民から高い支持を受けている。なぜか。
当局がメディアを支配下に置いているため、政権に都合よく情報統制されているからだとの見方があるが、私はそうは思わない。共産党独裁政権やマフィア支配の厳しい時代を生きぬいてきたロシアの国民は、それほど単純な人々ではない。情報を見る眼は大方の西側の国民よりもはるかにしっかりしていると思う。
彼らがプーチン政権を支持する最大の理由は、べレゾフスキーやマフィアをやっつけてくれたからだ。旧KGB勢力を中心とするプーチン政権は必ずしもフェアな民主政治をしているというわけではないが、あのメチャクチャだったべレゾフスキーらに比べれば100倍もマシなのである。
しかも、プーチンは政治的に強権的ではあるが、エリツィンと違い、取り巻きが国家を私物化するのを黙認していない。ロシア国民の大多数はそんなわけで、プーチンの独裁権力を必要悪として、ある程度認めているのだ。要は「他のヤツよりはずっとマシ」ということである。
プーチンの対チェチェン強硬路線にも西側では批判の声が少なくないが、ロシアではこれも国民の高い支持を得ている。なぜか。
ロシアでは、チェチェンの武装勢力がイコールでチェチェン・マフィアと認識されているからだ。大方の西側の報道では、「強圧的なロシア軍がチェチェンを蹂躙し、レジスタンスと戦っている」というようなイメージだが、実際のところロシア国民にとって、チェチェン武装勢力はレジスタンスではなく、ヤクザ集団にほかならない。
90年代前半にモスクワに暮らした筆者の実感からしても、当時のチェチェン・マフィアの無法ぶりはあまりにも酷かったから、そのロシア市民の感覚は理解できる。実際、チェチェンのイスラム武装勢力の有力者のほとんどはヤクザそのものであり、そうした現実を背景に、ロシア社会には「チェチェン人に対する差別」が存在する。まじめに生きているチェチェン人には気の毒な話だが、その責任の大半はチェチェンのヤクザたちにある。
私はここでどちらが正しいかということを言いたいのではなく、ロシア国民のあまりオモテに出てこないホンネを指摘したいだけだ。
だが、これらの視点はなぜか日本のメディアにはあまり紹介されない。暗殺されたポリトコフスカヤ記者は、ロシア軍やFSBの非道ぶりを告発していたことで有名な記者だったが、じつは同時に、チェチェン武装勢力のヤクザぶりも厳しく糾弾していた。それが、なぜか日本では「チェチェン武装勢力の味方」のようなイメージで報じられているのである。
前置きが長くなったが、こうした事情を理解しないと、リトビネンコ事件の背景もわからないのではないか。
リトビネンコは、明らかにべレゾフスキーらロシア人ヤクザの一味である、とロシアでは考えられている。権力と戦う正義の人、とは誰も考えていない。ロンドンをベースに闇商売で荒稼ぎしているべレゾフスキーや、チェチェン・グループのザカーエフの手下のようなもので、プーチン政権批判の言動も、当然ながらべレゾフスキーらと連携したものだ。その内容たるやトンデモ陰謀論の類であり、ロシアでは誰もまともに相手にしていない。つまり、リトビネンコ暗殺事件は、西側で報じられているような、「強権的な権力が正義の告白者を処刑した」というような単純な構図ではまずないだろうと思われるのだ。
今回、このようにかなり一方的に書いた。もちろんメディアに報じられている以上の情報は私にもなく、事件の真相はわからないのだが、あまりにも日本のメディア報道が単純化されすぎているので、あえて逆の見方を書いた次第である。
ところで、プーチン大統領がその豪腕ゆえに支持を得ていると書いたが、イラクの場合、サダム・フセインにそれは当てはまらないだろう。
昨日、某番組でサダム処刑の特集をやっていたが、コメンテーターの方が「ああいうバラバラな国をまとめるにはサダム・フセインのような強い指導者が求められた」「その意味では功績もあった」というような発言をしていたが、まったく違うと思う。
サダムは自身の権力欲のために独裁権力を掴み、多くのイラク国民を殺害したうえ、ほとんどのイラク国民と近隣のイランやクウエートの国民にも不幸をもたらした。功績などひとつもない。イラク側に引き渡されれば処刑されるのが当然の人物である。
「公開処刑のようなかたちでひどい」というような発言もあったが、なんだかなあと思う。
- 2007/01/07(日) 14:08:27|
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権兵衛様より以下のようなコメントをいただきました。
※
ーーーーーー内閣(情報)調査室の英語名に関してですが,確か,日本名で「情報」が加わった際の英語名は「キャビネット・インフォメーション・リサーチ・オフィス」であり,後に再度「キャビネット・インテリジェンス&リサーチ・オフィス」に変更されたものと記憶しています。ーーーーーーー
弊誌2号『日本の対外インテリジェンス』内の記事で、「86年に内閣調査室=キャビネット・リサーチ・オフィスから、内閣情報調査室=キャビネット・インテリジェンス&リサーチ・オフィスに改名した」という内容の記述をしました。この点に関して、前述のような御指摘をいただいたわけです。
言われてみれば、弊誌のこの記述に関しては「内閣情報調査室の英語名」を具体的に確認したのは90年代半ば頃時点でのものであり、86年の名称変更時点での正式英語名は確認していませんでした。最初からインテリジェンスという語を使用していたものとてっきり思い込んでいましたが、そうでない可能性はもちろんあります。読者の皆様には、不十分な取材で情報を掲載したことをお詫びいたします。
したがって、権兵衛様の御指摘が正しいものと推測できるのですが、この件に関し、弊誌の取材では正確なところが判明しませんでした。できれば正確なところをフォローしていきたいので、もしも正確な事情をご存知の方がいたら、御教示いただければ幸いです。
(匿名コメントではなかなか裏取りができませんで、もし可能ならば、当ブログの管理者のみ表示コメントか、あるいはリンク先のワールド・インテリジェンスHPの寄稿募集フォームにて御連絡いただけるとたいへんありがたく存じます)
また、未確認情報を扱うことの多い弊誌では、このような御指摘はどしどし承りたく願っています。何か気がつかれた方はどうか御一報をお願いいたします。権兵衛様、ありがとうございました。
- 2007/01/06(土) 15:55:19|
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