ボストン・テロの容疑者2名の映像・写真をFBIが公開しました。
前エントリーで「極右か」と書きましたが、メディアの方々と話していて、我彼の持つイメージがちょっと違うことに気づいたので書いてきます。
「極右」といっても、いわゆる政治運動のようなものとは全然違う「極右かぶれ」の異常者によるテロが、アメリカでは日常茶飯に起きています(本件に関する初エントリーでも「極右かぶれ」という言葉を当ブログでは使っています)。
こうした事件のほとんどは、個人あるいは数人の仲間内グループです。妊娠中絶反対、ユダヤ人排撃、同性婚反対、ゲイ排撃などを主張するケースが多いですが、要するに異常者です。オスロ事件の犯人は移民排撃でしたが、典型的な異常者ですね。
オバマ政権誕生のとき、アメリカの要人暗殺・暗殺未遂について過去事例を調べたことがあるのですが、ほとんどのケースは社会不適格者が社会への不満を募らせた挙句の理由なき殺意を動機にしていました。
日本でも通り魔殺人がありますが、同じようなものです。
テロ対策の面からすれば、それこそが難しさの核心でもあります。異常者をどこまで監視していいのか?というのは、民主国家では人権問題の面で簡単に答えが出せる問題ではありません。
人権問題に絡むこうした「本質」について、マスコミでは正面から指摘することが困難ですが、本当のことを言えば、テロ対策の行く先はこの問題にぶつかります。
今回のボストン・テロの犯人がどうかはまだわかりませんが、同時期に起きたリシン郵送の犯人はもう完全にこのパターンですね。
欧米でのテロで「極右」と表現されているものの半分くらいは、実際には「異常者」のことだとみていいと思います。
スポンサーサイト
- 2013/04/19(金) 10:35:04|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
先日は、質問に御回答頂き、誠にありがとうございました。
正しく、仰る通りだと思います。
一般的な「テロ」の定義が無いのを見ても分かるように、「個人」に最終的には行きつくんですよね。。。もう心理学の領域。
ますますテロを学問的に定義できないとする論文を出しておられる方の理由に、この「組織力(ネットワーク)→個人」化が挙げられているのを見ます。
リスクの「頻度」と「程度」を見極めて対策は打たれる訳ですから、程度が低くなるであろう「テロ」というものへかけるエネルギーというのは、テロ指定団体以外へはかけづらくなるのではないでしょうか。(頻度についても、個人的には増えていくと考えますが。。。)
そして、何と言ってもその際に非常に重要なのが、所謂「人権」や「民主主義的価値」との比較考量です。
自分は、「民主主義的価値」を(政策実行者側が)標榜すればするほど、それを脅かす又は混乱させることが目的である「テロリズム」への対策(事前・事後両方の意味で)は手厚くなされるべきだと思うのですが、いかがでしょうか?
アルジェリアの事件を見てもわかるように、テロがメディアとの共生関係にある以上、少なくとも、「報道規制」というのがなされるべきだと考えます。
- URL |
- 2013/04/19(金) 20:34:16 |
- 嫌大衆 #-
- [ 編集]
社会の全監視も、逆に全自由も現実的ではないので、要はバランスということか思います。個人的には、よほど頻度&程度が悪化しなければ、社会はリスクも覚悟したうえで、あまり窮屈でない程度がいいなと思っています。
報道規制の問題も、これもテロの頻度&程度次第かと思いますが、現状程度であれば許容範囲と考えています。
個人的な好みということでいえば、私自身は治安・情報機関の強化を前提に、社会は可能なかぎり自由でいい加減なほうが好みです。
- URL |
- 2013/04/21(日) 05:38:03 |
- 黒井文太郎 #-
- [ 編集]